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2006年09月04日(月)

 夜明け前、目が覚める。部屋中の窓を開けると、大通りに立ち並ぶ街路樹の葉が、ゆっくりと風と共に歌っている姿が見える。そのもっと向こう、あちらの丘に建つマンションの白い壁に、東から伸びる光の手が今、触れた。
 今、夜が、明けた。

 振り返れば、この夏はあっという間に過ぎた。学童へ出掛けてゆく娘に毎朝お弁当を作り、水筒を持たせ、水着を持たせ。彼女の白い肌はあっという間に日に焼けて、その昔黒んぼとからかわれた私の如く、小麦色を通り越して焦げ色になっていった。悔しいことがあった日、寂しいことがあった日、嬉しいことがあった日。もし彼女のカレンダーをそれぞれに色で塗ったなら、まさしく虹色のカレンダーになっただろう。
 一方、私は体の不調と戦う毎日だった。腹が立つくらいに、毎朝毎朝体が軋み、布団から体を起こすことが不可能のように思えたりもした。実際起き上がれなくて、娘に情けない姿を晒した日もあった。
 そんな不恰好な日々でも、積み重なってゆけば過去になる。そして過去は。残酷なばかりの代物ではなく、やさしくやわらかいものでも在り得ることを、私は改めて知った。六歳の娘の夏がただ一度きりであるように、私にとってのこの夏も、ただ一度きり。もしそれが痛みに飲み込まれ涙に暮れる日々であっても、ただ一度きり。だとしたらそれは、とてつもなく尊い、唯一の時間。どんなにそれが表面的に残酷な代物であっても。

 八月が終わる頃、私はようやく画を作り始めた。いつもお世話になっている喫茶店のマスターに連絡をとり、今年もまた展覧会をやらせてくださいと頼むと、すぐに、いいよ、という答えが返ってくる。ありがたいことだ。
 そうして画を作り始めて気づいたのは、世界はいつだって動いている、という、至極当たり前のことだった。地球は丸くて、常に回っているんだと言ったのは誰だったっけか。その地球に乗っかって、世界は刻一刻と動き続けている。誰の世界であっても。そう、娘の世界も私の世界も。
 それはいつだって、唯一無二なのだ。

 それにしても。この夏は、同性の友人とずいぶんたくさん笑ったり泣いたりしたような気がする。
 実を言うと、私は学生時代、同性の友達というものをあまり持たなかった。そもそも群れることを毛嫌いしていた私は、上級生からも同級生からも煙たがられた。煙たがられ過ぎて、鍵のかかるロッカールームに半日もの間閉じ込められたこともあった。ロッカールームの扉はひとつきり、そのひとつきりの扉には小窓がついているから、休み時間になると誰かしらがその小窓からこっちを覗く。そして、誰かと誰かの嘲笑い声が扉の向こうで響いた。結局放課後まで、鍵を開けてくれる人は誰一人なく、私は、二階のそのロッカールームの窓から外に出、誰にも何も言わずに校門を出た。今振り返れば、ほろ苦く、でも懐かしい記憶だ。
 それからいろんなことがあったが、基本的な私の気質は変わることなく、歳を重ねた。そして気づいたら、自分の周囲には愛してやまない同性の友人たちが、それぞれの距離を保ってそれぞれの位置に在てくれていた。
 時に守り、時に守られ、そうして愛は溢れてゆく。溢れ続ける愛はやがて河を作り、うねうねと谷間を削り流れ、いつか海に辿り着く。
 視界の全てが水平線の、愛に満ち溢れた海に。

 人がこの世に生まれ堕ちるとき、緒で繫がっているように、愛は自分次第でいくらでも広がり繫がってゆく。いや、愛と今私は一括りの言葉で表現しているが、本当は違う、憎悪や恐れや怯えもあれば、喜びや笑いや涙もある、ありとあらゆるものが互いに絡み合って、愛なんて言葉が陳腐に思えるほど、これっぽっちの隙間も見当たらないほどにあらゆるものが詰まった何か。それが常に、誰かへと繫がっている。
 海に接していない場所ももちろんあるだろう。けれど、この海は目に見える海とはまた違う。心に海を持つこと、或いは、心が海そのものであること、そんな海だったら、多分きっと、誰の中にも育つ。私の中にも。

 さっきまで、街の音は殆ど聞こえなかった。が、光の手が広がるにつれ、通りを行き交う車の音が、開け放した窓から次々滑り込んでくる。
 今日もまた、新しい一日が始まるんだ。あなたの、君の、そして私の、たった一度きりの今日が。

 そう、世界は、動き続けている。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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