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2005年12月08日(木)

 もう太陽は、西の地平線の下に沈んでしまった。私は窓際に立って、空をぐるりと見回してみる。天はからんと音がしそうなほどからっぽに澄み渡り、雲は低く低く、地平線の辺りにぷかぷかと漂っている。残光に照らされて、少し鼠色がかった雲がただじっと佇んでいる。
 疲れていた。自分でも驚くほど、私はとてつもなく疲れていた。普段横になったって殆ど眠ることのできない自分だというのに、昨夜ばかりは、ずしんと沼の底に落とされたように眠った。時折これでもかというほどはっきりと目覚め、そのたび私はうろたえ、部屋の中をぐるぐる歩いた。歩いても歩いても何にもならないことを痛感し、そうだ、今はただ眠るしかないのだと自分を納得させ、再び横になる、そんなことを繰り返していた。
 夢も見ない眠りを私が得たなどというのは、一体どのくらいぶりだろう。思い出すこともできないほど、もうはるか昔のことだったと思う。朝起きて、娘に怒られてしまった。ママ、昨日、嘘ついたでしょ。嘘? 嘘なんてついてないよ。ううん、嘘ついた。ママが何嘘ついたの? だって、みうより先にママ寝ちゃったじゃないっ! あ…。みうより先に寝ないでって約束してるのに! ママ嘘ついた! …嘘、ついたわけじゃないんだけど、だってどうしようもなかったんだもん…。ママ、嘘ついたもん。…ごめん。
 そんな娘を保育園に送り届け、その後再び部屋に戻る。しばらく悩んだ挙句、今日の仕事をキャンセルする。その電話を切った途端、ぐらりと身体が揺れる。私はあっという間に眠りの中に再び落ち込んでゆく。
 ようやっと目を覚ましたのは昼頃だった。思いがけない自分の失態に慌てて、私は部屋の掃除やら何やらとりあえず始めてみる。送らなければならない荷物を梱包し、近くの郵便局まで自転車を走らせる。戻ってきて今度は、回しておいた洗濯機から洗濯物を取り出し、ベランダに次々干してみる。そして最後、もう半年以上放置したままだった、Mちゃんから預かった洋服の染色を始めてみる。

 何色に染めようか。Mちゃんから預かった数枚の服をめくりながら考える。緑がいいか。今度は窓の外、空を見上げて考えてみる。水色がいいか。今度は視線を落としてプランターの中の芽を眺めながら考える。きれいなオレンジ色はどうだろう。いや、それも違う、か。そして最後、もうすっかり冷めた紅茶を一口飲んで考える。そうだ、真っ青がいい。
 私は立ち上がり、大きなバケツにお湯を張る。真っ青、真っ青、そう言いながら染水を作り始めたはずなのに、私は何故か灰色にも手を伸ばしており。青に灰、青に灰、いつの間にか呟きも変わってしまっていた。
 でも、こんな色を作ったことはこれまでない。さて、どのくらいの加減で作ったらいいだろう、ぶつぶつ口の中で独り言を唱えながら、私はお湯の中に手を入れ温度を確かめる。青を5、灰色を1、そのくらいでどうだろう。とりあえず色を混ぜてみる。何処か違う気がする、でも。とりあえずこれでやってみようか。
 私は、お湯で予め濡らしておいた服をバケツの中に沈めてゆく。要らない棒切れがあればそれでかきまぜるのだけれども、今日はあいにくそういった代物が見つからない。私は自分の右手をバケツの中に沈ませる。そして、ゆっくりゆっくり、かき混ぜ始める。
 白い布の服、少しクリーム色がかった布の服、この長い布はスカート…。手に絡まる布の感触を楽しみながら、私はバケツの中、手のひらをひらひらさせる。時々布を引き上げて空気に晒す。すると、色が私の目の前でふわりと変化する。さっきまでくぐもっていた青色が、鮮やかに輝き出す。私はその色にうっとりため息をつき、再び服をぬるま湯に漬ける。
 一〇分、二〇分、私はひたすらバケツの中で手のひらをひらひらさせ続ける。青い湯はバケツの中で、さわさわとさざなみを立て続ける。そろそろいいだろうか。私は試しに、一番長い布であるスカートを引き上げてみる。あ。
 やられた。私は思わず舌打ちをする。ずっと同じようにお湯をかきまぜていたつもりだったのに、それはあまりに斑のある染まり方だった。さて、どうしよう。私はとりあえず水場の樋に軽く腰をおろし、首を傾げて考える。仕方ない、もう一度最初からやり直そう。私はバケツをひっくりかえし、今度はさっきより少し熱めの湯を入れる。青を2に灰を1。今度はそんな分量で色を作る。これじゃ、最初の予定の真っ青からは離れてしまうけれど、それもまた一興。私は開き直って、新しい染水をぐるぐるかき回す。さて、布を入れようか。
 軽く絞った布を、次々新しい染水の中に入れてゆく。今度こそむらが出来ないようにかき回さないと。私は左手で右袖をぐいっと捲くり直し、腕をぐいと奥まで入れる。そしてぐぅるり、ぐうるり、かき回す。
 こんな時。私の頭の中はたいてい空っぽだ。動き回っているのは私の目の玉と片腕だけで、他は何も考えていない。たとえば、さっきまでのあの疲れは何だったんだろうとか、できればもう少しぐてっと休みたいよなあとか、もしも今染色作業をしていなければ、多分私の頭の何処かで巡っていただろう雑念も、すっかり姿を消してしまう。ただ一心に、染水を見つめ、腕を動かす、それのみ、だ。
 どのくらい時間が経っただろう。そろそろいいかもしれない、と、私はゆっくり布を引き上げる。そして。
 思わず、やった、と声を上げてしまう。斑はすっかりなくなり、布はほんのり灰色の混じったやわらかい青色に染まっていた。私の目の前に、青灰色の世界が広がる。嬉しくなって、私は何度も何度も布をひっくり返して眺めてみる。そしてそおっと、布を絞り、物干しに吊り下げてゆく。
 布を吊り下げながらふと私の口に浮かんだのは、懐かしい歌、「今日の日はさようなら」。小学校の卒業式の練習で、何度も何度も歌ったあの歌。もう忘れたと思っていたのに、私の脳細胞も捨てたもんじゃないななんてちょっと思う。すらすらと口から零れる歌詞、今更ながら、その意味を私は省みる。
 “いつまでも絶えることなく/友だちでいよう/明日の日を夢見て/希望の道を 2.空を飛ぶ鳥のように/自由に生きる/今日の日はさようなら/また会う日まで 3.信じあうよろこびを/大切にしよう/今日の日はさようなら/また会う日まで/また会う日まで”…(「今日の日はさようなら」作詞・作曲:金子詔一/唄:森山良子)。
 多分それは、どうってことのない毎日のあちこちに散らばっている、要するに、ありきたりの場面ばかりで。でも、特別なことなんてないそういった毎日が積み重なって、私たちの思い出は出来ていた。明日を信じない今日なんて、多分その頃はあり得なかった。いつだって明日を夢見、今をめいいっぱいの力で駆け抜け、息切れすることさえ忘れてた。如何に生きるのか何故生きるのか一体どうして自分なんて代物が生まれちまったのかなんてことにこれっぽっちの疑問も抱くことなく、ただまっすぐに、ひたすらに、生きていた。だからこそ多分、あの頃は、今日の日はさようなら、と、今日に手を振って軽々と見送ることができたのだ。多分、きっと。
 いつの間にか太陽は地平線に沈んでいた。私は布の影から、太陽が堕ちていった線を見つめる。まだ眩しいほどの橙色を抱いたその線は膨らんでいて、それがやがて、しっとりとした紺色に染まってゆくのだ。
 色を染める、色に染まる、色が染める。なんて不思議な現象なんだろう。今私の目の前で軽く風に揺れるこれらの青灰色の布は、多分明日の朝にはまた、異なる色合いになっているに違いない。空気に晒され、色は変わる。時間に晒され、色は変わる。一時もとどまることなく、人の目には捉えきれないゆっくりとした速度で、それでも、常に常に変化してゆく。

 染色と人間とは多分、似ている。人間も常に、何処かしら変化し続けている。変化しないということがあり得たとして、それもまた、変化の一つのカタチに違いないと私は思う。そして。
 二〇〇五年十二月七日。私は、加害者と会ったのだった。

 娘を迎えにゆくのにまだ少しだけ間がある。時計の針を見つめながら、私は半分だけとミルクティを入れる。すっかり青灰色に染まってしまった右手の人差し指と中指とで煙草をはさみ、火をつける。くゆらりと煙が薄く、天井へと立ち上る。私はゆっくりと、一口、二口、煙草を楽しむ。
 そう、会った。私は加害者と昨日会ったんだった。それは、とんでもなく唐突で、本当なら多分、私の人生にあり得なかった機会であり。でも確かに、間違いなく、あれは現実だった。私は加害者と対面し、しかもそれは偶然の再会ではなく私からの意志でもって会い、そして、私がこれまで抱え続けていたものを相手に投げかけたのだった。
 「おまえほど親不孝な娘は、恐らくこの世にはいないだろうよ」。年老いた父がそう呟いた。その声がありありと、今、私の耳の奥に蘇る。過去の出来事など忘れろと、それが生きるということなのだ、誰もが何かしら荷物を背負い生きている、そういうものだと私に説き続けてくれた父の気持ちを、今更にして裏切り、私に無理矢理、加害者との対面に立ち会わされた父。父がそう言った、そのときのあの、諦念に満ち満ちた眼の色を、私は多分、決して忘れることはないだろう。私はだから、ただ一言、ごめんね、と笑って応えた。それ以外に、どんな術があるだろう。
 私よりもずっと世間に長けた両親が、その人生の中で培ってきた常識というものを全部ひっくり返してまで、裏切ってまで、私はそれでも、加害者と会おうと思った。そして会った。そして。伝えた。いや、実際どれだけのことが私から加害者へ伝わったのか、それは分からない。実は、百分の一、千分の一、一億分の一さえも、何も伝わっていないかもしれない。それでも。会ったのだ。自ら伝えようとしたのだ、訴えたのだ、私は。それは、紛れもない現実だった。
 今はまだ、その時間を総括する言葉を私は持っていない。が、ひとつだけ、これだけは言える。これで私は初めて、ほんのひとかけらかもしれないけれども、あのことを自ら終わりにすることができた、と。

 青灰色に染まった布地がひらひらと揺れる。それはもう、闇色にすっかり溶け込んでおり。私はもう一度時計を見上げ、立ち上がる。もう娘を迎えに行かなければ。私はハンガーに掛けていた上着をひっかけ、鍵をポケットに押し込み、玄関を出る。玄関の向こうに広がるのは、一面の闇。そして、高層ビルの窓から漏れる幾つもの灯りの波。
 そう、今日もこうして終わってゆくのだ。そしてやがて明日がやってくる。だから私はまた、今日となる明日を、ここで生きる。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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