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2009年09月28日(月)

目覚めると四時。外はまだ夜。光は粒ほどもない。風も殆どなく、のったりと夜が横たわっている。ミルクは柵をがじがじと噛み、ココアは回し車をひっきりなしに回している。窓を開けるとその音が、外へ外へと響いていく。煙草に火をつければ、その白い煙もまた、窓の外へ外へと流れてゆく。
顔を洗い、化粧水をはたき、ベランダに出て髪を梳く。ただそれだけの動作なのに、私はその間に徐々に背筋が伸びてゆくのを感じる。毎日している同じ動作。同じ流れ。ただそれだけなのに、それが無事にできるということに私は安堵感を覚える。
少しずつ、ほんの少しずつ緩み始める空。私はその空の下、薔薇の樹を眺める。昨日、支柱に結んだ箇所は大丈夫か、うどんこ病は大丈夫か、蕾は大丈夫か、挿し木したものたちは元気かどうか。それらを順繰り眺めてゆく。付け根がどんどん膨らんできた白薔薇の蕾は、ひとつ、先が綻び始めた。もうじき咲くのだろう。私はその蕾を指でそっとなぞる。無事に花開いてくれたらいい。それでいい。

昨日訪ねた弟の家は、幼い息子がふたりいるだけあって、おもちゃだらけだった。やっぱり男の子と女の子とは違うのだなぁと、当たり前のことながら改めて感じる。うちはぬいぐるみだらけ、漫画だらけ、本だらけ。弟のところは変身ベルトやおもちゃの電話やウルトラマンだらけ。もうそれは、これでもかというほど。
最近あまり顔を合わせていなかったのに、ふたりの息子たちはもう私が何処へ行くんでもついてくる。おばちゃん、おばちゃん、ねぇおばちゃん。彼らの矢継ぎ早な言葉に、私は半ば閉口しながらも、笑ってしまう。
弟が帰ってくる前、少しだけ義妹と話をする。その最中突然、子供が「あのね、あのね、お引越しするかもしれないんだよ!」と言い出す。あぁ、もうそこまで事態は深刻化しているのか、と、私は実感する。まだ行き先の決まらない引越し。それでも引っ越さなければ次が続かない今の弟たちの状況。
弟が帰ってきた。気を使って私に夕飯を分けてくれる。油ものは食べないんだったよな、と言いながら、器用にうどんを分けてくれる。私はパソコンの設定を直しながら、うんうん、と返事をする。
弟とふたりになって。ようやく本音で話を始める。短い時間の中で、これからどうするつもりなのか、どうしていきたいのか、とりあえずどう動くつもりなのか、など話す。

私にできることは何だろう。私にできないことは何だろう。家に戻ってから、私もあれこれ考える。弟が別れ際にぼそりと言った。「今度は姉貴に助けてもらう番かもしれないな」。だから私は彼の頭をぽーんと叩きながら言った。「何弱気なこと言ってるの。大丈夫、何とかなる。できることは手伝うよ」。
今もあの声が耳から離れない。

実家にいる娘に電話をすると、今日は勉強はお休みの日で、一日まったりばばとふたりで過ごしたと言う。彼女にとって実に久しぶりの休日だろう。私は受話器を持ちながら微笑する。だから明日はちゃんと頑張るんだ。うんうん、頑張ってね。ただそれだけで切れた電話なのに、やっぱり、娘の元気な声を聞くと、私はとても安心するんだ。

朝の一仕事をしながら、昔を思う。その要所要所に弟がいる。マンションの10階の部屋に住んでいた頃、容赦なく腕を切り、どうしようもなく大量に薬を飲み、反吐を吐きながら床に倒れこんでいる私を見つけては、布団に運んでくれた。起きるまで待っていて、起きた私に、こんこんと説教をしてくれた。そんなとき、弟がぽつり、死んだからって何か解決するのか? と言った、あの言葉は何故か、今でも覚えている。あの頃は、そんなことどうだってよかった。死ねればそれでよかった。生きていることが苦痛だった。何もかもが苦痛だった。世界は残酷すぎて、私はそれに耐えられなかった。でも。
死んだからって何か解決するのか? そう、何も解決しないんだ。今なら、分かる。自分が死んでも問題はそこに存在し、なくなることはなく。延々とそれは存在し続けて。
あの頃は、遺される者の気持ちなど、考える余裕もなかった。だから私は繰り返し死へのダイブを試みた。何度失敗しても、やめられなかった。
でも。でも。今なら分かるんだ。遺される者の気持ちや、あれは単に逃げでしかなかったことも、あらゆることが明らかになって見えてくるんだ。
だから。
お前のSOSは、決して逃さないよ。そう、おまえが言うとおり、今度は私の番だね。そう思う。

いつもより早めに仕事を切り上げ、玄関を出ると、一輪のアメリカン・ブルーが私を迎えてくれる。まるで、行け、行くんだ、といわれてるような気がして、私は階段を勢いよく駆け下りる。
今日は病院だ。カウンセリングの日。何を話したらいいのだろう。なんだかたくさんありすぎてちっともまとまらない。一度話を切り出したら、きっと今日は怒涛のように言葉が溢れてくる気がする。
途中父から電話があり、もっと悪いニュースを聞く。でももううろたえることはない。ここまできたら、なるようになる、なんとかする。ただもうそれだけだ。
私は娘との生活を守り、守りつつできることは何かを探し、できないことは何かを判断し。ひとつひとつ積み重ねていくしかない。
さぁ、今日も一日が始まる。私はまた一歩、前に進む。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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