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2006年01月06日(金)

 眠れぬまままた朝が来る。みう、おはよう、朝だよ。大きな声で彼女に声をかける。今日はママ早く出掛けなくちゃいけないから協力して。そう言いながら私は彼女に下着や靴下を渡す。作っておいたおにぎりをほおばる彼女の髪の毛を、ぎりぎりまで三つ編にし、くるりと丸めてゴムで止める。それだけの行為なのだけれども、私は毎朝のこの、彼女の髪の毛を結うという行為が好きだ。この短い時間は何も考えていない。何も考えずただ彼女のつややかな髪の毛を見つめ、分け、編む。それが済むと、私は保育園の先生との連絡ノートに二、三行記し、お弁当とタオルとコップと一緒にリュックに詰め込む。
 自転車を飛ばすと風が容赦なく私たちの頬を凍てつかせる。信号で止まった街路樹の足元を見れば、霜が降りていた。あぁ今年はそんな冬なのだな、と、私はそのことが少し嬉しかった。裸の街路樹を見上げれば、空は薄灰色の雲に覆われ、沈黙している。在るのはただ、風の過ぎる音だけ。
 朝一番に病院へ行き手続きをしたものの、結局処置が終わったのは十時をゆうに過ぎていた。再び自転車に乗り薬局と鍼灸院へ。その間、ぼんやりと、看護婦や医者の言葉を私は頭の中、反芻する。
 ひどいねこりゃ。どうしてこんなにしちゃうの、自分傷つけたって何にもならないでしょ、無意味な行為だよ。どうしてこんなにしちゃうの? 加害者が何だって? あぁ、そういうこと、でもね、だからって自分の腕をこんなにする意味が何処にあるの? ないじゃない。
 多少腹を立てているらしい医者が私に畳み掛ける。それを看護婦が何度かとりなそうとするのだけれども先生の腹立ちは収まらないらしい。看護婦と医者の声の下、私はもう何も言うまいと口を結んでいた。
 無意味な行為。自分の腕をこんなにする意味が何処にあるのか。私の頭の中、ぐるぐると医者の言葉が回る。私はだから、回るままに放置する。医者に、いや、他人に、理解してくれという方が無理なのだ。だから私は沈黙を選ぼうと思う。
 昼過ぎ、ようやく家に帰り着く。珍しく一通も郵便受けに書簡は入っておらず、私は鞄を肩にしょいなおし、階段を上る。
 仕事をしながら、気づくとまた、同じ事を考えている。無意味な行為。無意味な。
 今読んでいる本の著者は、堂々と言ってのける。無意味なことなど何もない、と。今この瞬間を生きているただそれだけでさえすでに意味があるのだ、と。
 意味のあること。一方で、無意味であるということ。
 私は、仕事を続けるのを諦めて、窓を開け、座り込む。目の前にはいつもの街路樹と街灯。そしてその背景は、朝よりずっと濃くなった鼠色の空。じきに夜闇の色も混じりだすだろう。そうしたらあっという間に、光はこの世界から消え失せる。明日の朝再び日が昇るその瞬間まで、自然の陽光は姿を消す。
 無意味、なのかもしれない。無意味だと、思う。一体何故私は腕を切り刻んでしまうのか、こんなにもざくざくと切り刻んでしまうのか、正直、もうよく分からなくなってきた。だから、その行為に意味なんてないどころか、何処に意味があるのかと責められて当然の行為なのかもしれない。
 しかし、では、意味のある行為とは何なのだろう。今の私の立場、私がこれまで歩いてきた道々、鑑みた時、今の私にとって意味のある行為とは一体何なのか。生きているだけで充分だと言うのは傲慢なのだろうか。今ここに存在しているだけで自分には精一杯なのだともし私が言ったなら、私はやはり、責められるのだろうか。
 責められるのだろう。少なくとも、私は一人の娘の母親だ。母として私は、生活していかなければならない。彼女を守っていかなければならない。彼女を抱きしめるのは私なのだ。なのに、彼女を抱きしめるはずの両腕を、私はこうもざくざくと傷つけ続けている。それは恐らく、分別ある大人たちから責められるに値する行為だ。
 でもならば、どう生きたらいいのだろう。どうやって自分を存在させたらいいのだろう。私は自分を赦せないのだ。どうやっても。
 分かるだろうか。よく、セカンドレイプといわれる言葉や行為が在る。本当はもっと抵抗できたんじゃないのという露骨な言葉から始まり、あなたの初体験は何歳ですか、性行為の体験はどのくらいですか、というような言葉も耳にしたりする。そういった言葉の暴力を、セカンドレイプと呼ぶのだそうだ。が。
 私は思う。セカンドレイプなんて言葉、私には必要ないかもしれないな、と。何故なら、他の誰に言われるよりも、私は自分自身が一番自分を責めている他者なのだから。「私」を責める他者、その「他者」はしかし「私」自身。そこには、誰によっても何をもってしても埋めがたい溝が在る。乖離が在る。
 誰がどんなやさしい言葉を私にかけてくれ、慰めてくれ、頑張ってるよえらいよなんて言葉を幾つかけてくれたとしても、私はその場では照れ笑いしてへへへと応対しているけれども、同時に、これでもかというほど自分を苛んでいる。苛まずにはいられないのだ、赦すことができないのだ、もしもあの時、もしもあの時もっと私がこうしていれば、もっと私がああしていれば、あんな出来事は起きなくて済んだんじゃなかろうか、と。
 いや、そんなことはない、あれは不可抗力だったんだよ、あなたは何も悪くないんだよ、自分をそんなふうに責めたらだめだよ、自分を抱きしめてあげなよ。そういった言葉を受け取るとき、私は心の中、思い切り唇を噛み、涙を噛んでいる。そんな優しい言葉をかけてもらえることはとてもとても嬉しい。けれど同時に、私は思ってしまうのだ、そんな言葉を受け取れるような人間ではないのだ私は、と。
 冷静に考えれば、確かに不可抗力だった。私は可能な限り抗ったし、その後も穴から這い上がろうと生き延びようと必死に為してきた。これ以上努力しようがないくらい踏ん張ってもきた。けれど。
 それが何だというのだ。あの出来事が起こった、そのことになんら変わりはないのだ。そしてそれを、私が赦すことができないというそのことも。何も、変わりはしない。
 私の腕に消毒を施しながら、ひたすら私に説教をしてくれていた若い医者の、あれらの言葉はそのまま、私の言葉だ。かつて被害を受けた頃に警察や上司からずかずかと向けられた暴力的な言葉もあれもまた、そのまま私が私自身に向けている言葉だ。
 だから。
 だから、私はどうしたらいいのか分からない。これっぽっちでも、針の先ほどでもいい、自分を自分で赦すことができたなら、私はもしかしたら解けるかもしれない。けれど、私は赦すことができない。できるのは、赦すことができない自分とそれをじっと見つめ続けている自分と、その両方を同時に受け容れる、それだけだ。

 ドイツ強制収容所の体験記録を記した心理学者が、別の著書で繰り返す。無意味なことなど何処にもないのだ、と。何一つ無意味なことはないのだ、と。運命というものがなかったら、私たちはどうなっていたことでしょうか。運命にたたかれて鍛えられることがなかったら、運命に苦悩する白熱状態がなかったら、私たちの生は形成されえたでしょうか…運命はまさに、私たちの生の全体にそっくり属しています、と。そしてまたこうも記す、あるひとりの人の自伝を判断する基準は、その自伝を叙述した書物のページ数ではなく、もっぱらその書物が秘めている内容の豊かさだけなのです、と。私たちの死後もこの世にのこるのは、人生のなかで実現されたことです。それは私たちが死んでからもあとあとまで影響を及ぼすのです。私たちの人生は燃え尽き、のこされるのは、実現されたものがもっている効力だけです…私たちが世界の内に「放射している」もの、私たちの存在から放射されるさまざまな「波動」、それは、私たちが死んで私たちの存在そのものがとっくになくなってものこるものなのです、と。
 その心理学者の記す言葉の殆どに、私は見覚えがある。かつて自分が必死になってそう思い、自分を励まし、必死に生き残ろうとここに存在し続けようとするために編み出した事柄たちと殆ど同じだからだ。だからある意味、彼の言葉は私の中にとても親しい。
 しかし。
 私は、同時に全く相反することも思っているのだ。私の中には、同時に、相反するものが存在してしまうのだ。生きれば生きるほどに。
 私の目の中で、街路樹の枝が揺れる。風が吹いているのだ。私の髪も程なく肩の辺りで揺れる。
 季節は冬。全てのものがひっそりと、大地の奥底で眠り、春を待つ季節。命のバトンはこの冬も、あちこちで継がれてゆく。
 私は、同時に相反するものを内包している。今はまだ、いい。でも、このそれぞれの者たちの隔たりが、溝が、乖離が、もうどうにも埋めようがなくなってしまったとき。
 私はどうなるのだろう。
 私のバトンは、誰が継ぐのだろう。できるならば、いつだって私自身でありたい。ありたいけれど。

 気づけば、街路樹の枝は闇に溶け、今、街灯がふっと灯った。そろそろ娘を迎えにいく時間だ。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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