見出し画像

2005年12月21日(水)

 いつも飲まないでいる寝る前の処方箋をすべて飲み込み、私は横になる。これなら少しでも眠れるだろう。いや、眠れないかもしれない。でも。眠れるかもしれないと信じて私は娘の隣に横になる。落ち着かない心の中が、かたことと音を立てている。そのかたことという音はやがてがたごとがたごとと大きくなり、私の鼓膜を震わせる。けれど、眠らなければ。私は自分に言い聞かせ、耳を塞いで目を閉じる。
 目覚まし時計の音が鳴り響く前に、娘も私も目を覚ます。おはようと言葉を交わし、起き上がる。「今日はクッキー作るんだよ、早く迎えに来てね!」。娘が早速言う。よーし、早く迎えにいくよ、と私も返事をする。二週間前から交わしている約束だ。クッキー作り。さて、どんな代物ができあがるのだか。
 いつものように娘を送り、私は人との約束の場所へ。が。いくら待っても相手が来ない。おかしいなと思い連絡してみると、昨真夜中、私が断りの電話を入れてきたでしょと返される。吃驚してしまう。私はそんな電話を、しかも真夜中過ぎにした覚えが全くなかった。受話器に向かって何度も頭を下げる。すみません、申し訳ございませんでした。相手はそんなこと気にしないふうに、じゃぁ今からそちらに向かいますよと言ってくれる。全くもって申し訳ない限りだ。
 時々そうやって記憶が飛ぶ。全く私には身に覚えのない出来事に遭遇する。が、それらは私が記憶していないだけで、私自身がたいてい何かしら為した結果なのだ。そのおかげで一体何度途方に暮れてきたことか。
 相手を待っている間に、病院に電話をかける。そして明日朝一番に予約を無理に入れてもらう。昨日から崩れ始めた自分のバランス。明日まで、明日の診察までは何とか保たせなければ。自分にそう言い聞かせ、深呼吸をひとつ、そして背筋を伸ばしてみる。きっと何とかなる。大丈夫、明日まで何とか踏ん張れる。
 用事を済まし、家に戻ってから、何度かパニックに襲われる。私は部屋の中にいるのに、私に見える風景は街中で、私の周囲を行き交う人たちの顔はみなのっぺらぼう、そして目の前を歩いていた人がいきなり振り返る、その顔は。
 声なき悲鳴を上げて私は飛び上がる。周りを何度も何度も見回し、ここが外ではなくて部屋の中なのだということを自分に言い聞かせる。そんなことの繰り返し。
 それでも太陽は東から西へ傾いてゆくし、日差しも影もゆっくりと動き続けている。思い切り開けた窓から滑り込む風は冷たく、私の足から腕から瞬く間に熱を奪い去ってゆく。そんな中、私は、娘と作る予定のクッキーの手順を、娘に分かるようにひらがなで大きな紙に記してゆく。

 大きなテーブルが、瞬く間に埋まってゆく。娘が粉をふり、私はバターを捏ね。割り溶いた卵を少しずつ混ぜてゆく、娘は真剣な顔で泡だて器を動かしている。粉とそれらを割くようにして混ぜ、冷蔵庫でしばし寝かせる。「ママ、次のだよ!」。最初の材料を寝かせている間に、私たちは次のクッキーを作り始める。今度もまた粉をふるのは娘の役目、私は鍋でバターを溶かす。それらを混ぜ始めて気づいた。「あ!ママ、分量間違っちゃった!」。慌てて私は粉をその分だけ増やし、娘にもう一度ふってくれるように頼む。そうして生地ができあがり、軽く焼いたカシューナッツを真ん中に、小さいおだんごを作っていく。ママ、これ、一体何個できるの? 何個かなぁ、わかんない。これならじいじとばぁばとおにいちゃんだけじゃなくて、サンタクロースにもクッキーあげられるね。そうだね、いっぱいだもんね。私たちは、あれこれお喋りしながら、こねこねこねこね、おだんごを作る。グラシンの紙の上はあっという間にいっぱいになり、私はオーブンを開ける。さぁあとは焼きあがるのを待つのみ。私たちはお互いに顔を見合わせ、にっと笑う。焼きあがったら、この丸いのに粉砂糖をまぶすんだよ。ふぅん、だから雪みたくなるんだね。うん、そうだね。
 焼きあがった小さなお団子クッキーを、娘が粉砂糖の上でころころ転がす。いびつな丸に、少しずつ粉砂糖がついてゆく。
 「次はこっちだ!」。私たちは、冷蔵庫で寝かせていた生地をとりだし、薄く伸ばす。そしてふたりして、両側から次々、型で抜いてゆく。
 オーブンに入れてしばらくすると、いい匂いが漂ってくる。ママ、これがクッキーの匂いなの? うん、そうだよ。ふぅん、いい匂いだねぇ。うん、それでね、こっちのクッキーと今焼いてるクッキーとでは、全然味が違うはずだよ。そうなの? うん、後で食べ比べてごらん。やったー! 娘が狭い部屋の中でスキップをし始める。私はそんな彼女を、少し笑いながら眺めている。
 冷えたクッキーに絵を描き終え、ようやく終了。娘に、丸い粉砂糖をまぶしたクッキーと、薄い花型の、彼女が絵を描いたクッキーとを食べさせる。「ほんとだ、全然味が違う!」。ようやく納得がいった彼女の目は、ぴっかぴかに輝いている。同じクッキーなのに不思議だねぇ。そうだねぇ、同じクッキーでも、作り方次第でみんな味が違ってくるんだよ。ママ、今度また作ろうね。うん、そうだね。

 娘が眠った後、私は一昨日読んだ本のページをもう一度開く。そして、目で活字を辿る。私にはあまりにも見覚えのある感覚が、そこに記されていた。私は何度もそこを目で辿る。私に起きたことは、多分、当然のできごとだったのだな、と。そう思いながら。

 「いよいよ強制収容所の心理学の最後の部分に向き合うことにしよう。収容所を解放された被収容者の心理だ。
 (中略)極度の緊張の数日を過ごしたのち、ある朝、収容所のゲートに白旗がひるがえったあの時点から語り起こしたいと思う。この精神的な緊張のあとを襲ったのは、完全な精神の弛緩だった。わたしたちが大喜びしただろうと考えるのは間違いだ。では当時、実情はいったいどうだったのだろう。
 疲れた足を引きずるように、仲間たちは収容所のゲートに近づいた。もう立っていることもできないほどだったのだ。仲間たちはおどおどとあたりを見回し、もの問いたげなまなざしを交わした。そして、収容所のゲートから外の世界へとおずおずと第一歩を踏み出した。(中略)
 わたしたちは、ゲートから続く道をのろのろと進んでいった。早くもひとりは足が痛んで、歩くのも容易ではなかった。さらにわたしたちは足を引きずって、ゆっくりと歩いていった。収容所のまわりの景色を見てみたい。いや、自由人として初めて見てみたい。わたしたちは自然のなかへと、自由へと踏み出していった。「自由になったのだ」、と何度も自分に言い聞かせ、頭の中で繰り返しなぞる。だが、おいそれとは腑に落ちない。自由という言葉は、何年ものあいだ、憧れの夢の中ですっかり手垢がつき、概念として色あせてしまっていた。そして、現実に目の当たりにしたとき、霧散してしまったのだ。現実が意識の中に押し寄せるには、まだ時間がかかった。わたしたちは、現実をまだそう簡単にはつかめなかった。
 牧草地までやってきた。野原いちめんに花が咲いている。そういうことはよくわかる。だが「感情」には達しない。歓喜の最初の小さな火花が飛び散ったのは、色鮮やかなみごとな尻尾の雄鶏を見たときだった。だが、この歓喜の火花も一瞬で消えた。わたしたちはいまだにこの世界に参入を果たしていなかった。それから、ひともとのマロニエの木陰の、小さなベンチに腰を下ろした。ところがなんとしたことか、わたしたちの表情にはなんの変化もない。やっぱり。わたしたちはまだこの世界からなにも感じない。
 夜、仲間はむき出しの土間の居住棟にもどってきた。ひとりがもうひとりに近づいて、こっそりたずねる。
「なぁ、ちょっと訊くけど、きょうはうれしかったか?」
 すると、訊かれたほうはばつが悪そうに、というのは、みんなが同じように感じているとは知らないからだが、答える。
「はっきり言って、うれしいというのではなかったんだよね」
 わたしたちは、まさにうれしいとはどういうことか、忘れていた。それは、もう一度学びなおさなければならないなにかになってしまっていた。」
(「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル著)

 そう、怒りも喜びも悲しみも嬉しさも、「もう一度学びなおさなければならないなにかになってしまって」いるのだ。私にとっても。いまだに。
 どうして怒らないの? ここは怒る場面だよ。友人がこの間そう言った。言われても私には全くぴんと来なかった。その友人に噛み砕いて説明してもらうまで、全く実感を伴わなかった。
 かつては私の中にだって、当たり前のように嬉しいも悲しいも喜びも怒りも存在していた。この世に生まれ落ちてから、理屈なんてなく、おのずとそれらを身に着けていった。けれど、そうして自然に身に着けたあらゆるものが、崩壊したのだ。崩壊させられたのだ。粉々になって、飛び散ってしまったのだ。その後、私はその残骸の只中で途方に暮れるばかりだった。再構築しようにも、それはあまりにも小さい破片だった。それらを再び繋ぎ合わせるには、私に残された時間では、足りなかった。
 じゃぁどうするか。もう一度、ゼロから歩きなおすしかないのだ。ゼロから自分で築きあげるしかないのだ、新たに。
 今もその作業は続いている。それが一体いつ終わるのか、私には分からない。けど、その作業を放棄してしまったら、私はもう、人間に戻れない。だから、放り出したい衝動を何とか抑え、今日も組み立ててゆく。刻んでゆく。自分の中に。感情や現実のカケラたちを。

ここから先は

0字
クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

よかったらサポートお願いいたします。いただいたサポートは、写真家および言葉紡ぎ屋としての活動費あるいは私の一息つくための珈琲代として使わせていただきます・・・!