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2010年01月14日(木)

いつの間に寝入ったのだろう。電話を握り締めたま眠ってしまったらしい。開いてみれば、不在着信が二件。あぁやっぱり。思いながら電話の主を確かめる。出るつもりで電話を握っていたのだ、それが電話が来るより先に私が眠ってしまったのだ、恐らく。申し訳ないことをした。一握りの後悔に苛まれる。
それにしても寒い。しんしんと冷え込んでいる。私は体を起こし、早速お湯を沸かす。今朝はハーブティではなくレモネードを作ってみる。蜂蜜を少し多めに入れたレモネード。甘いけれど、その分体の芯があたたまる。
カーテンを開け、窓を開ける。こっくりと横たわる漆黒の闇。とろりとした黒蜜のような濃密さ。今朝点いている窓の明かりは四つ。平行四辺形を作るようにして並んでいる。街灯の灯りは濃橙色の輪をアスファルトに落とし、しんしんとそこに立っている。
振り返ればテーブルの真ん中、ホワイトクリスマス。部屋に入れたというのに、まだまだ開いてこようとしないその花の形は、ちょうど滴の形をしており。滑らかなその輪郭は、闇の中、凛として浮かんでいる。指でそっと触れてみる。柔らかな、けれど張り詰めた感触が、ありありと私の指先に伝わってくる。鼻を近づけてみれば、仄かに香るその香り。少し甘く、でも涼やかなその香り。

友人と会う。指に怪我をしている彼女を手伝って、書き物をする。しこしこ黙々と続けられる作業。あっという間に時間は過ぎて、ようやく仕事も仕上がる。あとは投函するのみ。
彼女に、今年の二人展に飾る作品を集めて作った作品集を手渡す。彼女の絵には本当に色が似合う。それはほぼ暖色系の、あたたかでやわらかな色合いで。私の写真とは正反対といってもいいかもしれない。それは、寂しがり屋で甘えん坊な彼女に、ぴったりな色合いでもある。私はちょっとそれが、羨ましかったりする。かわいいなぁと思ったりする。

彼女と話をしていてふと思い出す。去年、受取拒否された年賀状があった。受取拒否というものを私はそれまで知らなかったから、ひどく吃驚した。今でも思い出すと、そこまでするものなのかなぁと思う。それまでしょっちゅううちに泊まりに来ていた友人に、突如そういう態度を取られ、私はかなりあたふたした。けれど。
諦める、手放す、ということも、必要なことなのだなぁと思う。縁を手放すというのはとても悲しいことだけれども、それでも、それが必要な時というのも、やはり、在る。それがたまたま今この時というだけのことであって。
似通ったことが今年もまた一通、在った。だからこんなことを今になって思い出すのだろう。でも大丈夫。もう大丈夫。そういうことも、今ならもう、受け容れられる。

今月が一月であるということもあってか、気持ちがぶれやすくなっている。あれやこれや思い出すことが多い。でも何だろう。十数年経っているということが一番大きいのだろうか。ほんの少し、ほんの少しかもしれないが、「大丈夫」になってはきている。気がする。
無理をしていない人なんて多分いない。多少なりみんな気を張って無理をして、それでも笑ってる。それができないと放って泣くことはできるけれど、それをしたって何も始まらない。
そんなことを思っているうち、一月も半ばを過ぎようとしている。事件に遭った日に刻一刻、近づいている。
もしかしたら後で反動が出るかもしれないが。なんとなく。越えられる。そんな気がしている。それが去年までとは、多分大きく違う。

ねぇママ。なぁに? やっぱりココアってかわいそうだよね。どうして? だって、指が一本足りないんだよ。あぁ、そのことかぁ。うん、かわいそうだよね。うん、でも、ココアにとっては多分、指がないことが当たり前なんだと思うよ。そうなの? だってココアの場合、生まれたときから指が無かったわけでしょう? 無いことは不自由かもしれないけれども、それを受け容れていかなかったら、生きていくのが余計に大変になるよ。ふぅん、そういうもんなんだぁ。いや、わかんないけどさ、もしママがココアだったら、そうかなぁって思っただけ。ふんふん。
娘はココアの左手を撫でながら、それでもまだ何か考えている。
ママ、私、ちゃんと腕とか指とかあってよかったなぁ。本当だねぇ、よかったよねぇ。うん。

当たり前のことなんて、多分、ひとつもないんだと思う。私が或る日突然、強姦というものに出会ったように、生きていれば、思ってもみない出来事にぶつかったり襲われたり、するもんなんだと思う。
腕ひとつとったってそうだ。当たり前にこの腕が死ぬまでここに付いていてくれるかどうか、それさえ疑問なのだ。腕を持って生まれてくることができたのが奇跡なら、腕を持って死ぬまで生きられるかどうか、それもまた奇跡のようなものだ。
だからせめて、気づいた時だけでもいい、感謝する気持ちを持っていたい。ありがとう、ありがとう、と、言える心を持っていたい。

ねぇ娘よ、おまえは多分、奇跡の子なんだよ。妊娠発覚から一週間で切迫流産、入院、父母との確執、夫(父親)の不在、子宮頚管無力症、破水その他様々な事を経て、いやそもそも、PTSDの症状がまだまだ強く出ていてパニックやフラッシュバックに襲われるのが当たり前であった頃におまえは私のお腹に宿った。病院に通っていて、何度待合室で呼び止められたことか。病気であっても子供は産めるのか、薬を飲んでいても健康な子供は生まれるのか、産む自信はあるのか、大丈夫なのか、と。ACであっても子供を育てられると思うか、とも。
そんな中を潜って、こんなにも健康で生まれてくることができたこと、今育つことができていること、奇跡なんだよ。
まだたった十年弱しか生きていないおまえの身の上にも、本当に様々な出来事が降ってきた。もうだめか、と思うこともあった。でも。
それでもおまえはこうして、今、生きている。
そのことにどうか、感謝して欲しい。そしてまた、自分を褒めてやってほしい。その気持ちを、どうか忘れないでいてほしい。
生きているそのことに、感謝する気持ちは、どうか、失わないでいてほしい。

行ってらっしゃい、行ってきます。登校班の子供たちを見送って、私は自転車に跨る。澄み渡る空を映し出す薄氷は、池一面を覆っており。そうして私はまたさらに走る。高架下を潜り埋立地へ。一気に視界が開け、ビルの窓という窓に乱反射する朝の陽光。眩しくて私は思わず手を翳す。娘にどうしてもと言われて買った手袋が、光を受けしゃらしゃらしている。
さぁ、今日もまた一日が始まる。私にできることは一歩また一歩、歩き続ける、ただそれのみ。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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