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2009年11月20日(金)

習慣とは恐ろしいもので、どんなに遅く眠ろうと、やっぱりこの時間には一旦目が覚める。今日は眠気も何も残っている気配が無い。眠ったのは何時だったか。午前0時をゆうに回っていたはず。私はぱっかりと起き上がり、顔を洗う。このところ水がぐんと冷たくなった。祖母の家の井戸は逆だった。夏は冷たく、冬になるとぬくく感じられた。そんなことをふと思い出す。
がりがりという音に振り向くと、ミルクが籠を齧っている。齧ってもそれ穴開かないよ、と声をかけてみる。途端に後ろ足で立って前足をこっちに寄越す。ごめんねぇ、今無理だよぉ、と彼女に詫びる。それでも諦めきれないのか、彼女はがしがしと籠を齧っている。
昨日の雨は止んだ。アスファルトはまだ斑に濡れている。空を見上げ、雲の動きを見つめる。大丈夫、これなら晴れる。私は昨夜洗濯機にかけた洗濯物を、部屋の中から外に出す。そうしてベランダに出、髪を梳かす。
昨夜は仕事を終え眠ろうとしても、身体が冷え切って眠れなかった。ふと思いついて、隣に眠る娘の身体に触れてみる。あたたかい。くっついてみる。あったかい。もっとくっついてみる。もっとあったかい。しばらくそうしてべたーっと彼女の背中にくっついて彼女から熱を奪ってみる。あたたかいことはあたたかいのだが。この体勢ではどうにも眠れそうにない。仕方なく、足だけを彼女の布団の中に潜り込ませ、いつもの体勢で眠ることにする。仰向けの位置。そういえば仰向けになって眠れるようになるまで、どのくらいかかったろう。仰向けで眠るのが怖かった。ずっと怖かった。この部屋に越してきてもずっと丸まって眠っていた。それが一年くらい前から、仰向けで眠れるようになった。今ではしがみつくための枕もいらない。

西の街に住む友人から久しぶりに電話が来る。出た途端に、あぁ彼女は調子が悪いのだなと声の調子で分かった。ん、なんかちょっとピンチな気がする。彼女が応える。最近久しぶりに発作を起こしたよ。ちょっと疲れが溜まっていたのかもしれない。うんうん。でも、何があったわけでもないんだよね、なんかこう、うまく言えないんだけど。
しばらく話していて、ふと思いつき、彼女に問うてみる。もしかして、トラウマの再演、しようとしてる? あ。そうかもしれない。うん、この穏やかな生活は長く続かないっていうか、こんなふうに笑っていたら絶対私死ぬ、みたいな、絶対こんなのおかしい、みたいな。そんな気がする。
その気持ちには、私にも覚えがある。穏やかになり始めた時は、あぁこんな生活もあるのかと嬉しくなる。でもそれがちょっと続くと、だんだん不安になる。どんどん不安になる。自分の生活はこれとは違う、これは間違ってる、こんなんじゃない、そう思えて来るのだ。自分のあの、地獄のような生活が絶対再び舞い戻ってくる、私はそこにいるべき人間のはず、というような。
石橋を叩いて渡るって言うけど、叩きすぎて割ったら意味ないよ。うん。分かってる、私いつも叩きすぎて割るんだ。そうそう、私もそうだよ、自分で散々叩きすぎて、それで割れたら、ほらやっぱり割れたじゃない、ってそう思うんだよね。自分で叩き割ってるのに。うんうん、自分はこうじゃない、これじゃぁいけない、そんな気がするんだよね。
そういえば彼に、おまえは今を生きなきゃだめだ、っていうようなこと言われた。あぁそれ、すごくよく分かるよ。うまく言えないけど、過去の出来事の衝撃が大きすぎて、それに引きずられてしまうんだよね、どこまでもどこまでも。だから、何度でも石橋を叩き割っちゃうんだよね。うんうん。だって私なんて三歳くらいからそうだから、その時間の方が長すぎて。
習慣って怖いよね、変えるの大変だよね。うんうん。私たちまだ、生きてきた大半が、しんどい時間だったから、その習慣の方が大きすぎるんだよ。あぁそうかもしれない。多分、こういう揺り返しはこれからもまだまだ続くんだよね。きっと。でもやっぱり、石橋を叩き割っちゃったら意味ないからさ、せっかく紡いだ穏やかな時間が無駄になっちゃうから。うんうん。無駄になっちゃう。だから、少しずつでも習慣を変えていくしかないのかもしれないね。うんうん。
私さぁ、こういう状態になると、信頼できる人から順に片っ端から電話かけちゃうんだ。そうやって大事な人にばかり迷惑をかける結果になっちゃう。彼に迷惑かけたくないのに、どんどん重くなっていってしまう気がする。じゃぁそういう時は、とりあえず私に電話しなよ。それでひととおり話してから、彼に電話したら? そっかぁ。そういう手があるね。うんうん。じゃぁ今度はそうする。うんうん。
私、今、花を手向けたい気持ちになってるのかもしれない。過去の出来事に。そうして笑い飛ばしたい、みたいな。そっかぁ、その時は付き合うよ。遠いよ? いいじゃん。付き合うよ。
こういう話ってさぁ、多分普通に見たら、しんどいんだろうよ。そうだね。だから引かれちゃうんだよね。私、そうやってたくさんの友達失った。あぁ私もそうだ。私たちにとってはこれが普通でも、そういった種類の体験を経てない人たちにとっては普通じゃない。だから引かれちゃう。うんうん。話す相手をよく選ばないといけないんだろうね。うん、そうかもしれない。あぁ、私まだ、滅多やたらに電話かけて話しちゃうところあるからなぁ。まぁ、だからそういう時は、仲間に掛けるしかないよね。うんうん。
そっかぁ、今のこのしんどさは、また揺り返しが来てるからなんだなぁ。じゃぁまたしばらくすれば、収まるかなぁ。うんうん、時間かかるよ。時間かかるけどさ、永遠に終わらないわけじゃない。そうだよね。そういうの繰り返して、少しずつ穏やかな時間の時期を、長くしていけばいいんだよ。うんうん。
そんなことを彼女と話し続ける。夜はこんこんと更けてゆく。彼女の部屋は今暖かいだろうか。

多分、私には、娘がいたから、だから今、こうしていられるんだ、と、痛いほど私は感じる。娘がいるから、今ここにこんなふうにして在ることができるのだ、と。
娘は今を生きている。間違いなく今を生きている。私が過去を生きようとすれば、彼女は私を引き戻す。私が過去を引きずろうとすれば、彼女はそれを見破る。私がそれでもあのことを思い出して発作を起こせば、そっと背中に手を置いて、私を支えてくれる。そんな彼女がいるから、私はここまで歩いてくることができているんだな、と。強く強く、そう感じる。
「今」の塊がすぐ隣に息づいていることで、私は、否応無く今を見つめることができる。私の習慣をそうやって、少しずつ少しずつ変化させているのは、だから、私ではなくきっと、娘の力だ。

小さな小さなオルゴールを、この間娘にプレゼントした。ナウシカレクイエムという曲のワンフレーズが入っている。彼女はそのねじを思いついては回し、耳にくっつけて聴いている。そうして身体を動かし、メロディに合わせてランランランと歌っている。きっと歌も踊りも彼女は好きなんだろう。本当はそういうことをもっともっとやらせてやりたい。それには私の今の財布の状況では全く足りない。だから心の中で彼女に小さく詫びる。もっと稼げるようになったら。その時は。でもその時って、いつ来るんだろう? 私は机に突っ伏す。あぁ、まったく、頼りなさ過ぎる親だこと。情けない。とほほほほ。

今日は学校の日。気づけばもう出掛ける時間になっている。ほら、ママ、時間だよ、ココアに挨拶して、ミルクにも挨拶して! 娘がそれぞれの手に乗せたココアとミルクを私の前に突き出す。私はミルクとココアに鼻キッスをする。それじゃぁね、またあとでね。
玄関を出れば光の洪水。あぁ久しぶりだ、太陽の光。アメリカン・ブルーが玄関脇、ひっそり佇んでいる。今日帰ってきたら、そこの萎れてる部分、切ってあげるからね。そう声をかけて、私は階段を駆け下りる。
今日学ぶ部分を昨日数度読んでみたが、とにかく量が多い。これを一度に理解しきれるか。かなり心配だが、それでもやるしかない。私はバスに乗り、最寄の駅へ向かう。
駅には人がもうごった返しており。
まだシャッターの下りた花屋の前を通って思いつく。帰りに花を買って帰ろうか。今なら花の写真が撮れそうな気がする。

川を渡る小さな橋の上で立ち止まる。見上げる空は水色。雲がぐいぐいと流れている。今、鴎が数羽、川を渡ってゆく。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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