見出し画像

2009年09月16日(水)

どんよりした雲がまだ空を覆っている。けれど雨は止んだ。見下ろせばまだ濡れているアスファルト。どのくらいの時間まで降っていたのだろう。行き交う人は誰もいない。まだ殆ど動き出していない街をこうして眺めていると、箱庭を見ているような気持ちになる。じっとただ膝を抱えて、目の前に広がる箱庭を見つめている、そんな気持ちに。
思い切ってイフェイオンとムスカリの伸びてきた葉を短く切り詰めてみることにする。今から伸び始めてしまうと、葉がだらしなくびろりんと伸びるだけだからだ。心の中で、ちょっと痛いけど我慢してね、などと呟いてしまってから、苦笑する。植物は痛いのかな、どうなのかな、それとも人が髪の毛を切られるような感覚なのだろうか。いややっぱり、主要な葉を切られるのだもの、少なくとも擦り傷を負ったような感触はあるんじゃないだろうか、なんてあれこれ想像する。
あぁそうだ、口に出すか出さないか、その違いはなんて大きいのだろう。声にするかしないか、その違いはなんて大きいのだろう。今もし植物が一斉に声を持ったなら。街路樹たちは何をささやきだすのだろう。薔薇たちは何を叫びだすのだろう。声を持たないから私は知らないだけで、本当は。
そう思ったら、突然ちょっと怖くなった。申し訳なくなった。だから緑に向かって小さく頭を下げる。もしかしたら知らぬうちに君たちを私は踏みにじっていやしなかったか。ごめんね、いつもいつもありがとう。
人も、同じだ。その人が声にしていないから口に出していないから何も感じていない何も悩んでいないきっと元気でやっている、とつい思ってしまうことがある。けれど本当のところは誰も知らないんだ。本当の心の声を知っているのはその本人だけ。そう、他の誰にも、それはわからないんだ。

友人と話す。その友人は、多分、今私の近くにいる人のうちでとてもとても昔から私を知っている人だ。そう、昔から。だから、私が最も病に苦しんでいた時期をよく知っている。
彼女から、あの頃大変だったのよと笑われる。突然電話してきたかと思えば何を言っているのか分からない、呂律の回らない状態で、もちろん話も何がなんだか分からない状態で。そういうことが一体何度あったか分からない。そう言って彼女が笑う。
そう、それでも彼女はそんな私につきあってくれていたのだった。彼女が言う。もう忘れてるでしょ、こんなことがあったのよ、あんなことがあったのよ。そう話してくれる彼女がからからと笑ってくれる。ごめん、本当に覚えてない、と謝りながら私もそれに耳を傾ける。思い返してみれば確かに、彼女に電話をし、彼女に半ば説得されるような形で病院に駆け込んだことが何度あったことか。血だらけの腕で彼女に助けを求めたことが何度あったことか。もうそれは、数えられるものではない。
彼女と話しながら、あぁそれでも彼女は、今もこうしてそばにいてくれているのだなぁと切実に私は感じていた。それがどれほどにありがたいことか、今なら、分かる。
彼女が言う。今あなたの周りにいる多くの人は、その当時のことを知らないから、多分、あなたはもう大丈夫で、平気で、毎日を何なく過ごしているのだ、と思っているだろう、と。あなたが表に出すものだけを見たなら、そう受け取られるだろう、だから何を言っても平気だろう、何をしても大丈夫だろうと思われるんだろう、と。
私は。もう、そう言ってくれる人が、こうして今ひとり居るというそのことだけで、十分に救われた。私が何かを訴えることがなくても、私の気持ちをそっと黙って汲み取ってくれる人がいるということが、どれほど私の支えになることか。今これを書いていても涙がこみ上げてくるほど、それは嬉しいことなのだ。
本当に本当にありがとう。
眠りについた娘の隣で、私は彼女の顔を思い出す。そして、娘に向かってそっと呟く。ねぇ、友達はたくさんあればいいってものじゃないよ、たった一人でいい、本当に心を打ち明けられる相手がいれば、それで生きていけるんだよ、と。だからね、心の友を、たった一人でいい、一生にたった一人でもいい、作っておいき、娘よ。

電話が突然鳴る。出ると、声も虚ろな遠い西の街に住む友人からだった。彼女が今どれほど混乱しているのかがありありと伝わってくる。だから私はただじっとそれに耳を傾ける。
彼女が話せることを、話したいことを、私はどれだけ汲み取ってゆけるのか。耳を傾けられるのか。そのことを強く思った。今私にできることは何なのだろう。
少しずつ少しずつ、受話器の向こう、実体をともなってくる声に、私はほっとする。大丈夫、ここまで声が出れば、今は大丈夫。ねぇだから、今はゆっくりお休み。しばらくつながっていた電話をそっと戻しながら、私は祈る。

おはようより先に、トイレに言ってくると言って起き出す娘。梅を散らしたおにぎりを用意しながら私は待つ。ねぇママ、私ね、マイケル・ジャクソンおたくって言われた。何で? マイケル・ジャクソンのビデオとか見たことあるからだって。えー、それだけでおたくって言わないよ。そうなの? うん。でもさ、マイケル・ジャクソンが嫌いな人もいるんだね。そりゃいるでしょう、ママも中学生の頃は好きじゃなかった。そうなの?! うん、そう。その頃はピンク・フロイドとかドノバンとかが好きだった。何それ? えーっと。そういう人たちがいたの。ふーん。私はマイケル・ジャクソンにダンス習いたかったなぁ。すごいこと言うねぇ、まぁもし言ったら教えてくれたかもしれないけど。ママ、またビデオ見せて。
娘と二人、朝からコンピューターの前、あれがいい、これがいいと頭をつき合わせる。後ろではミルクが朝から回し車で遊ぶ音が響いている。

そう、書いてしまえば、ただそれだけの毎日。淡々と淡々と毎日を紡いでいる、私たちの記録。私が残そうとしているものは、ただそれだけだ。
荒れ狂う日もある。泣き崩れる日もある。毒を吐かずにはいられない日だってある。私は未熟な人間だから、当然そうした未熟な分だけ、半端な日がたとえようもなくたくさんある。いや、ほぼ毎日そうだ。でもだからといって。
それを嘆きたくはない。それを訴えたいとも思わない。外に向けて叫びたいとは思わない。今は、そういう自分がいる。

自転車にまたがり埋立地を走る頃、空は徐々に徐々に明るくなり始める。これならもう雨は降らないだろう。晴れてくれるかもしれない。海の方を見れば、青空がぱっくり、顔を見せているのに気づく。
今日もまた私は無事に乗り切れるだろうか。一瞬よぎる不安を私は即座に拭う。大丈夫、私は今日もまた越えてゆく。傷つけたり傷ついたりしながらも、それでも私はまた今日を越えてゆく。
腕をこれでもかというほど切りつけ血を流してしか越えられない夜があった。薬に溺れてしか越えられない夜があった。そんな私なのに今こうしてここに在れるのは、そういう私をそのたびそのたび手を差し伸べ支えてくれた多くの手があったからだ。もう今はそばにいない手がどれもど多くあるだろう。今そばになくとも、あの時私を救ってくれた支えてくれたこと、だからこそ私が今ここに在れること、それがどれほど尊いことであるのか、それを私は忘れてはならない。
彼女らがいたからこそ、今私は在る。もう死にたいと何度喚いて飛び込んできたかしれない私をそれでも支えてきてくれた彼女らの手があったからこそ、今私は在る。
だからもう私は言わない。死にたいなどと言うことはない。だって。
そう、今私は生きることが本当は好きなのだ。たとえようもないほど、生きることがそう、好きだから。

ここから先は

0字
クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

よかったらサポートお願いいたします。いただいたサポートは、写真家および言葉紡ぎ屋としての活動費あるいは私の一息つくための珈琲代として使わせていただきます・・・!