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2009年10月29日(木)

真夜中何度か娘に蹴られて目が覚める。子供の頃ってこんなに寝相が悪かったっけか、と娘の寝相を眺めながら思う。私は子供の頃ベッドで一人で寝ていた。ベッドでどう暴れようと、ベッドの柵があったし、そもそも私のベッドの半分はぬいぐるみで埋まっていたから、暴れようがなかったのかもしれない。それに対して、娘はもうこれでもかというほど身体を動かす。よほど何か夢でも見ているのかと思い後になって尋ねると、「女子トイレに男子が入ってきたんだよね」とか「ママがいないときに家が火事になってミルクとココアを連れて逃げたんだ」とか、やっぱり結構な夢を見ている。でもまぁ、笑いながら話せるうちはまだ大丈夫なんだろう、夕方になってもう一度尋ねると、もうすっかり彼女は夢のことなど忘れている。私は今朝も、彼女の足蹴りで起こされ、布団から起き上がる。
外はまだ闇の中。窓を開けベランダに出る。冷気が私の全身を覆う。背筋がぶるりと震える。でも、私にはこの冷気が気持ちいい。鼻水が出そうになる寸前の、この冷気が、たまらなく気持ちよくて、私は深呼吸する。
徐々に緩んでゆく空。張り詰めていた闇が少しずつ少しずつ緩み、やがて夜明けの色になる。私はその空の下、顔を洗い、髪を梳き、口紅を引く。

二つの荷物を抱え、郵便局へ。ひとつは西の街に住む友人とその娘さんへ。もうひとつは引っ越したという友人へ。それぞれ送る。郵便を出すという行為は不思議なもので、その行為の最中ずっと、出す相手の顔がふわりと目の前に浮かび、まるで目の前に彼女らがいるような気持ちになる。私はだから時折彼女らに話しかける。ねぇ元気だった? 今何してるの? これから郵便を送るよ。無事に届いたら返事をしてくれると嬉しい。そんなことを思いながら、荷物を託す。
それが終わったら銀行へ。昨日注文があった品物の代金が振り込まれているかどうかの確認。無事振り込まれている。これで荷物をまた一つ送ることができる。
郵便局と銀行を行き来しながら、途中、私は川と海とが繋がる場所に寄ってみる。川岸に止められた小舟の屋根に身を寄せ合いながら止まる鴎たち。この季節になると鳩より彼らの体の白い色に目がゆく。まさに凛とした白い色。そして彼らの啼き声は、潮騒を思わせる。濃い灰緑色の川面にゆらゆらと揺れる白い影。

まだ搬入の時の疲れが残っているのか、体が何となくだるい。だるいのに、動きたくて仕方がない。動かなくてはいけない気になっている。私は体の中に溜まった力に引きずられるようにして、あちこち部屋を片付け始める。
手始めに洋服ダンス。畳んでしまってある薄手のシャツなどのうち、縁のほつれたものを片っ端からゴミ袋に入れてゆく。あまりに繰り返し着すぎて色褪せたものも併せて、次々放り込む。それから本棚。本棚に入りきらなくなった本たちをどう片付けるか。私は本棚の前で腕組し考える。本は棄てたくない。棄てるくらいなら古本屋に持っていって必要な人に渡したい。さて。最近図録が増えている。あとは文庫本。新刊で買ったものは数えるほどだから、とりあえずそれらを段ボール箱を使って作った即席本棚に片付けてゆく。次、娘が読み散らかして放り出している漫画本を片っ端から片付ける。思いついて、その間に洗濯機を回す。下着と上着は分けて。ついでに色物も分けて。掃除機をかけようと立ち上がって思いつく、折角なら箒で掃除しよう。要らない通販のページを次々水に浸し、適当に絞って千切って床に撒く。そしてそれと一緒にゴミを掃く。そうすると埃が立ちにくいと祖母に教わった。一人暮らしを始めた頃は、掃除機も持っていなくて、この掃除方法で対処していたっけ。思い出せばあの部屋は、いつでも泥棒さんに入られそうな部屋だったけれど、居心地はよかった。バレエ教室が下の階ににあって、時々音楽やトゥシューズの音が聞こえてきたっけ。懐かしい。私は掃除をしながらそんなことを思い出す。どんどんゴミは絡め取られてゴミ袋へ。長い髪の毛も、これなら簡単に取れる。洗濯物も干したところで、最後、私はガス台に向かう。ものはついで、ガス台も磨くことにする。こびりついた汚れは使い終わった割り箸を使ってごしごし。さっき棄てた洋服の布地を破って、さらにごしごし。
本当はもっと片付けたいものはあるのだけれど、エネルギーが切れた。今日はこれで終わり。
開け放した窓から、心地よい風がふわりと吹き込んでくる。

マリリン・モンローの蕾がもうすぐ咲こうとしている。たっぷりと膨らんだ蕾は瑞々しく、天を向いている。挿し木したものたちをひとつひとつ確かめて回る。とりあえず今日のところは大丈夫。新芽の気配もあるし、黒ずんでいるものはひとりもいない。玄関に回ってアメリカン・ブルーを確かめる。こちらも大丈夫。植え替えてから元気を取り戻し始めてくれている大きな二株と、周りの挿し木した子供たち。それぞれ、みんな頑張っている。芽の先が黒ずんであやしいものもあるけれど、気にしない。その間からまた新たな芽を出してくれるかもしれない。

これだけ時間があるのだから、と、私は思いついて、一枚のよれよれのセーターを引っ張り出す。染色液がまだあったはず。紺色のものが二瓶。これなら大丈夫、何とか染められるかもしれない。どうせ棄ててしまうかもしれない代物なのだから、試しにやってしまおう。私は洗濯機に水を張り、その中に染色液を溶かし始める。そろそろとセーターを中に下ろし、漬け置き。
その間、私はりんご煮を作ることにする。必要なのはレモンとシナモン。それだけ。砂糖はいらない。りんごを薄く切って、大き目の鍋へ。一番弱火にして、シナモンと一緒にことこと煮る。煮ているうちに果汁がたっぷり出てくる。さらに煮て、りんごがくたくたになるまで。半透明になってくたくたになったら火を止めてレモンを絞ってできあがり。ヨーグルトにもあうしパンにもあう。いっそのことジャムにしてしまおうかと思い、寸前で止めた。今キウイジャムが手元にある。このりんごは、形がまだ残っているこの状態で保存しておこう。瓶につめ、冷蔵庫へ。明日のおやつはりんご煮をのせたヨーグルトで大丈夫。
再び洗濯機の前へ。そろそろ色が馴染んできているかもしれない。水の色は濃紺だけれど、引っ張り上げたセーターは淡い青色。まぁこのくらいでいいか。でも。残りの染色液をこのまま棄てるのはもったいない。私は洋服ダンスをあちこちかき回す。三枚のシャツを持って洗濯機へぽい。これも一緒に染めてしまおう。
夕方になる頃には、青色のセーターと、紺色のシャツが三枚、出来上がっていた。これを日陰で干して、乾いたら出来上がり。その頃にはまた色が変化するかもしれない。どんな色に仕上がるのだろう。ちょっと楽しみ。

母に電話をする。体調はどう? うん、まぁまぁよ。そっちは? 元気元気。弟のことや孫のことをあれこれ話す。薬のことなども。来月の中頃にまた検査があるそうだ。まだ当分気が抜けそうにない。それでも。毎週注射を打たれていた頃より、格段に母は元気になっている。あとは。半年後の検査の結果を待つだけ。
そういえば、と、私はコガネムシの幼虫にすっかりアメリカン・ブルーの根を食べられてしまったことを話す。そして、潰すときとても嫌だったことなども。すると母は「あら、私なんて、潰すのがいやだから、水を入れた瓶に次々入れておくことにしてるのよ」「えぇっ! 水漬けですかっ」「そうよ。触らなくて済むもの」「それって、潰すより残酷なんじゃないの?」「あらそう? でも、嫌なものは嫌でしょ。潰して足が汚れるのも腹が立つし」「…」。母らしいといえば母らしい仕打ち。潰す私が言えた義理ではないが、水漬けの刑というのもどうなんだか。水でふやけたコガネムシの幼虫の映像が頭に浮かびそうになって、私は慌てて頭を振る。とんでもない。思い描きたくもない。
天気がよくて母の体調がよい時に、食事でもしようかと、久しぶりに母が言う。そうだね、そうしよう、約束を交わす。

ママ、ヨーグルトない? 朝起きてすぐ、娘が言う。今日はヨーグルト作ってないなぁ。なんで? あのね、ハムスターってヨーグルト食べるんだって。えぇっ! そうなの?! うん、本に書いてある。ほら。ほんとだ。でも、下痢しそうじゃない? 大丈夫だよぉ、ちゃんと本に書いてあるんだから。うーん、じゃぁ今日作っておくよ。うん。
ミルクとココアは、娘が近づくと途端に気配を察知し、巣から出てきてお出迎えをする。娘もそれが嬉しくて、ココアとミルクを手に乗せては、遊んでいる。今朝のおにぎりは彼女の好きな明太子だというのに、お構いなしにミルクとココアと興じている娘。あっという間に時間が過ぎてゆく。
ほら、時間だよ! 私たちは慌てて身繕いし、玄関を飛び出す。空全体が雲に覆われ、あたりは灰色の世界。私たちは冷たい風の吹く中、駆け出してゆく。
じゃぁね、またね、あとでね。袖なしのワンピースを着て手を大きく振ってゆく娘の後姿を見送りながら、私は、あの格好がいつまで続くんだろうとちょっと思ったりする。
さぁ、私も動き出さねば。昨日は昨日。今日は今日。やることはいっぱいある。胸のここの辺り、ちょっとしたわだかまりがもやもやしているけれど、それがすぐに解決されることはない。きっと時間がかかる。だから今は保留棚にしまっておこう。そして私は自転車のペダルを漕ぎ始める。
信号は、ちょうど青。私は走り出す。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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