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2005年12月29日(木)

 朝、いつものように窓を開け、ベランダに出る。私が最近一番最初に覗くプランターは、花韮の球根が植えてあるプランター。花韮と一緒に、幾つかアネモネも植えた。でも、植えた時期がかなり遅かったために、彼らはまだ、ほんのこれっぽっちしか芽を出してくれていない。大丈夫だろうか。今年の冬は寒いと、今更になって天気予報が言っていた。朝陽が東からベランダへ細く細く伸びてくる。プランターの土に陽光が降り注ぐ。少しでもあたたまってくれたらいい、そう思いながら、私は次のプランターに視線を移す。
 ラナンキュラスもアネモネも水仙も、みんな元気だ。今元気がないのは、薔薇の樹とミヤマホタルカヅラたちだ。私が球根たちに気持ちを傾けている間に、彼らはすっかり拗ねてしまった。たったひとつの大きな蕾をつけたまま、彼らは沈黙している。ミニ白薔薇は、今年もまたうどん粉病になっており、私は毎日毎日白く粉をふいた新芽を摘む。せっかく顔を出したのに、出したとたんに摘まれるなんて。申し訳なくて、でも他にどうしようもなくて、私はあまり余計なことを考えないようにして淡々と摘む。
 一通りベランダを回り、私は部屋の中に戻る。そして、娘に声をかける。おはよう。娘は、友人が私用にとプレゼントしてくれた抱き枕をすっかり自分のもののように抱きしめて、瞼をしばしばさせている。ほら、今日で保育園最後だよ、今日行ったらもう冬休みになっちゃうよ。私がそう言うと、娘はいきなりがばりと起き出した。保育園。最初まだ六ヶ月ほどの彼女を保育園に預けた頃は、私は罪悪感で一杯だった。具合が悪く、自分でトイレに行くこともままならないような身体のくせに、それでも何とかならないものだろうかと足掻いた。でも。今はもう、彼女は、保育園という場所で、彼女の世界をしっかり作っている。頼もしいものだ、子供というのは。置かれた環境に、自分をぐいぐい馴染ませてゆく。そして、大人がよく言い訳に口にする、生きる意味やらなにやらといったご大層な大義名分なんてそっちのけで、ただ一心に、毎日を毎瞬を生きている。
 出発! そう言って私が自転車のペダルに足をかける。娘も後ろで出発!と声を上げる。それにしても、ずいぶん重くなったものだ。坂道の多いこの街を、いつも彼女を後ろに乗せて自転車で走るけれども、上り坂なんて、すぐに息切れしてしまう。彼女の体の重さが、命の重さが、ずっしりと私の身体にのしかかり、でもそこでギブアップしてしまうことが悔しいから、私は必死にペダルを漕ぐ。途中で降りて自転車を引っ張るなんて、死んでもやるもんか、なんて、心の中、自分で自分に檄を飛ばし、必死にペダルを漕ぐ。でも。これもきっと、あと一年、二年で終わってしまうのだろう。彼女は今年のクリスマスプレゼントに自転車を欲しいと言った。そして私はそれを、サンタクロースからと言ってプレゼントした。今、時間を見つけては、練習している。補助輪のない自転車なんて初めてだから、彼女はぐらりぐらりと揺れ、それを支える私の方が転んで膝をすりむいたりする。でもそうやって、彼女はやがて自分で自転車に乗るようになるのだろう。そうしたら私の後ろは軽くなり、今こうしてじかに感じられる彼女の重さは、遠のいてしまうのだろう。何だかそれは、嬉しい反面、寂しいような気がする。私は青になった信号に沿って交差点を渡り、今度は下り坂、ブレーキをかけながらひゅるひゅると坂を下る。あっという間だ、そうやって彼女はあっという間に、一人の人間として、一人の女として、どんどんと歩いてゆくのだろう。
 娘とキスをして別れ、私は家に戻る。さて。大掃除。今日一日で何処までできるだろう。
 捨てられなかったもの、捨てたくなかったもの、そういったものが部屋のあちこちに山積みになっている。本当はまだ、捨てたくないのかもしれない。でも、今年はもう、捨てることにした。私はゴミ袋を幾つも用意し、次々袋の中に投げ入れる。
 何故捨てようなんて思ったのだろう。分からない。でも、もしこれらの物たちがここからいなくなっても、私の心の中にはずっと残ってる。だったらもういい、捨ててしまおう、そんなふうに思った。
 あっという間にゴミ袋はいっぱいになり、それがひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、玄関に積まれてゆく。気づけばもう、午後三時。いい加減一息つこうかと、私はハーブティを入れる。
 開け放した窓際で、ハーブティを飲みながら煙草を一本吸う。空を見やると、地平線近くに雲が漂っている。そして、刻一刻、日差しは黄味を帯びて、空は薄く橙色に染まり始めるのだった。

 そして今、もう午前五時。じきに夜が明ける。部屋はまだ片付いてはいない。こういうときに限って、読みたい本があったり聴きたい音があったり、作りたい写真があったり。でも、それと同じくらいに、眠りたくもあったりして。私は苦笑する。結局、私は欲張りだから、どっちも欲しくて、多分朝まで部屋を片付けながら煙草を吸い、時々本の頁をめくっては鉛筆で線を引き、そして、娘を起こして出掛ける電車の中で、娘に怒られながらもこっくりこっくり眠るのだろう。
 さぁ、残りのハーブティを飲みきったら、また動き出さなくては。朝はあっという間にやって来る。そして、一日はあっという間に終わってゆくのだ。欠伸をかみ殺しながら、私は伸びをする。窓の外、裸ん坊の街路樹が、街灯にちろちろと揺れている。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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