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2010年01月20日(水)

目を覚ます午前四時半。腰を庇いながら体を起こす。がしがしというミルクの籠を齧る音が薄暗い部屋に響いている。私は灯りをつけずにその籠に近づき、声を掛ける。おはおう、ミルク。なんとなくちょっとおかしい。何がおかしいんだろう。私は彼女の様子をじっと見つめる。いつもよりずっと興奮している。何故こんなに興奮しているんだろう。それが分からない。分からないから、声だけかけ、抱き上げるのはやめておく。
お湯を沸かしながら窓を開ける。闇がのっぺりと広がる空。今朝の闇は乾いていない。ぐんと湿っている。いや、湿度が、ではなく、色が湿っているのだ。どうしたんだろう。こちらでもまた私は首を傾げる。みんなどこか、ちぐはぐな気がする。
顔を洗い、鏡を覗く。自分の顔が好きなわけじゃないが、毎朝必ず一度だけ、鏡をじっと見つめる。おはよう、自分。そうして化粧水を叩き込み、日焼け止めを塗る。最後口紅をすっと塗って、出来上がり。至極簡単。
今朝飲もうと思っているのはコーディアルティ。茶葉にお湯を注ぎ込み、一分半ほど待つ。ゆっくり茶葉を上げて、それからコーディアルのエキスを混ぜる。それだけ。口に含むと、自然な甘さと酸味とが口の中ゆったりと広がる。
テーブルの上、ホワイトクリスマスが、重たそうに咲いている。本当に重いだろう。私の握った拳に近い大きさをしている。ここまで大きく開くとは。しかもぼんぼり型。もう上を向いてはいられないといったふうに、首を傾げている。昨夜一枚、一番外側の花弁がはらりと散り落ちた。花の芯はまだ微妙に隠れているが、もうそろそろおしまいの頃なんだろう。それでも真っ白な花弁は瑞々しく。私はそれをそっと指でなぞる。
ベランダの外、ベビーロマンティカの三つの蕾。ひとつが綻び始めたが、二つはまだもう少しかかりそうだ。ここにきて、花びらの色味がぐんと明るくなった。それは明るい煉瓦色。一時期病気に罹っていたその名残が、花びらにも残っているのが分かる。それでも、いつ咲いてくれるか、それが楽しみでならない。
風が吹いた。イフェイオンの長く伸びた葉がさややと揺れる。ムスカリは土に這い蹲るように葉を広げている。今朝は、朝焼けが思うように見られないかもしれない。私は空を見上げながら、そんなことを思う。

やわらかい写真。
そんなことを言われたことは、これまでなかった。硬派な写真といわれることはあっても。だから吃驚した。
でも、その人からの手紙はとても穏やかで。写真とテキストとで綴ってもらえませんか、というその人の言葉もすんなり、私の中に落ちた。
でも。続けられるんだろうか、という不安があった。週に一回でいいとしても、それを私は続けてゆけるだろうか。
私は基本、写真に言葉を添えない。タイトルさえ、展覧会の折に作品群にひとつ、付すだけだ。
写真に言葉は必要なんだろうか。多分、必要ないんだと私は思っている。写真が語ればいい。写真から伝わればいい。私はそう思っている。写真で伝わり切らないのなら、それはもう、その写真を撮った焼いた私の責任であって。それよりほか、何もない。
そんな私が、彼女の申し出に応えられるんだろうか。
でも、何だろう、やってみたいという気持ちが生じているのも確かだった。そうして何度か彼女との手紙をやりとりするうちに、心が決まった。やってみよう。
それは多分、彼女の佇まいにあったのだと思う。決してこちらに押し付けない、押し付けないけれどもすっとこちらに入ってくる、そんな佇まいが。
せっかくやらせていただくならば、できるだけ長く続けたい。そう思いながら、第一稿を上げた。言葉と写真との共存。侵し合うことなくどこまで存在していられるのか。やってみようと思う。

新型インフルエンザの予防接種費用免除の手続きを終え、早速指定の病院へ娘を連れて出掛ける。もうだいぶ日が傾き始めた頃、私たちは自転車に跨って埋立地を真っ直ぐ走る。辿り着いた病院で、手続きがうまくゆかない。入れ替わり立ち代わり、受付の人がやってきては書類をあたふた書いている。私はこういう時間がとても苦手だ。責められているような気持ちに陥ってしまう。何故そんな気持ちに陥るのか分からないが、こうしてあたふたされるのは自分に原因があるのではないかと思えてきてしまうのだ。そのせいで私は、私と娘しかいない待合室、うろうろしてしまう。娘に声を掛けられても、おとなしく座っていることができなくなる。
結局病院の手違いということが分かり、二回目の接種もちゃんと受けられることが確認される。ただそれだけに三十分もかかった。私はぐったりしてしまう。娘に少し笑われながら、私たちは一休みにと、喫茶店へ場所移動する。
喫茶店で、私は持ってきた本を読み、娘は書きかけの作文を清書している。こっそり盗み見ると、それは「朝食を何時に食べるか」なる調査をした結果の作文らしく。最後、「私もみんなのように、六時半から七時の間には朝ご飯を食べるように早起きしたいと思います」と結ばれている。なるほど、それで彼女は最近、六時やら五時半には起きたがるのか、やっと理由がわかった。
ママ、見ないでよっ。その声ではっと我に返る。娘が左腕で下書きを隠し始める。ごめんごめん、そんなに嫌なら見ないよ。…見てもいいけどさ、でも書いている間は見ないでよ。分かった分かった。
娘も、そういうお年頃らしい。私は見えないように横を向いて、ちょっと笑う。
店を出ると、もうとっぷりと夜が広がっており。私たちは慌てて家路を辿る。今日の夕飯はスープにコロッケ。食後に苺。

痛い! 娘の声で振り向けば、娘は泣きべそをかいている。
どうしたの? ミルクが噛んだ。あぁ、なんかちょっと今日はミルク、様子がおかしいよ。血が出てきたよ。二箇所も噛まれた。あれまぁ。ママ、ママが今度ミルク抱いてみて。分かった。うわ、痛いっ。ママも噛まれた? うん、噛まれた、ほら。ほんとだ。うーん、今日はミルク、そっとしておくのがいいかもしれないよ。…うん。もしかしたら月のものとか? そうなの? うーん、分からない。ハムスターに月のものがあるのかどうか分からないけど、子供を産むんだからあるんじゃない? そうなんだぁ。いや、分からないけどね、何となくそうなのかなぁって思っただけ。だから気が立ってるの? そうかもしれない。
ミルクはそれでも、籠をがしがし噛んで、必死に噛んで、外に出してくれと言っている。でも私たちは籠の前にしゃがみこみ、じっと彼女を見つめている。とても今、外に出してやれそうには、ない。
じゃね、ママ、そろそろ行くよ。うん。娘はまだ涙目だ。大丈夫大丈夫、ほら、もう血、止まってるよ。うん。ママも噛まれたからお揃いだ。うん。じゃ、行ってくるね。行ってらっしゃい。
薄く雲のかかった太陽が、南東の空、のぼり始めている。私はそれをしばし見つめ、そして階段を駆け下りる。駆け下りながら、携帯電話を取り出し、部屋に電話を掛ける。
もしもし。ほいほい、ママだよ。どうしたの? バス行っちゃうかも。ミルクのせいだー。娘が笑う。だから私も笑う。ほんとだよ、ミルクのせいだ、うんうん。もう大丈夫だね? うん。じゃ、頑張ってね。うん、あなたも頑張ってね。
バス停に立って空を見つめる。何となく空気が澱んでいる。そのせいで陽光はあちこちで乱反射し。ぼんやりとした明るさ。街路樹がしんしんと立っている。少しずつ少しずつ、人の行き交う姿増えてゆく。
今鳶が空を渡る。ゆるやかな線を描いて空を今、横切ってゆく。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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