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2007年10月10日(水)

性犯罪によるPTSDで厄介なことの一つに、その後性行為を受け入れることができるようになるのに、莫大な時間がかかることがあげられると思う。
どうにか結婚した、どうにか恋人が出来た、どうにか…そこまで辿り着くことは、人によって早い時期にそれが可能になったりする。しかし、結婚した、恋人が出来たからといって、性行為を完結できるか、受け入れられるかといったら、これは否なのだ。
だから悲しい。

埋まらない穴がある。
どうやっても埋まらないだろう穴。
その穴は、性犯罪という行為によってあけられた不本意な穴。

しかし、その穴は、恋人ができようと結婚する相手ができようと子供ができようと何だろうと、埋まらないのだ。
じゃぁできることは何か。

共存することだ。

この世界と共存して私たちが生きているように、
その穴と共存して私たちは生きていく。

私はよく、言われることがある。
今母子家庭とはいえ、一度は結婚して子供までもうけることができたんだから、もうだいぶ楽になってPTSDの症状も軽くなってるんでしょ、と。
そういう問いにもだいぶなれた。だから私は、豪快に笑って、そのときの気分で適当に応えてはいるが。

大きな勘違いだ。
一度結婚できていようと子供がいようと、PTSDの症状は軽くなるどころか重くなったり楽になったりの繰り返しだ。海の波のようにひいては寄せて、寄せては引いて。それを繰り返している。
今だって、入院しろと医者からは言われている。
経済的負担や子供のことがあるから断っているのが現状だ。
でもだからといって、今私は世界を恨むかと言ったら、もう恨むのはなくなった。
憎むこともなくなった。なんていうと聞こえがいいが、妬むことくらいは、ある。
どうして、と。ひとり、唇を噛むことは、今だってある。

体調不良だと電車に乗ることもバスに乗ることも困難。薬を飲み忘れればとんでもない状況に陥る。それでも。

だから、何だ?
仕方ないじゃないか。
どういう経緯かしらないが、性犯罪被害者となってしまって、PTSDを患ってしまって、こういう状況に今もある。それがどうした。
できるのは、
共存することだ。

ただ、共存するためには、その前に、思い切り妬んだり憎んだり恨んだり怒ったり、そういう感情を吐き出すだけ吐き出さなければだめだ。次にはすすめない。
だからこそあえて、友に言おう。
妬め、憎め、怒れ、恨め。とことん。
そしてそれにももう疲れたら、空っぽになったら、
そうしたら今度は共存することを考えろや。

それまでに一体何年何十年時間がかかるか知れない。
それでもね、
共存できるんだよ。
それだけはいえる。
共存できるんだ、私たちは、PTSDや世界と、共存できる。
そのことを、忘れないで欲しい。

友よ、今、私の言葉はあなたには届かないかもしれないが、それでもね、敢えて私は言うよ、
いつか、共存できる。
その日があなたにも来ることを、私は信じてる。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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