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2009年12月04日(金)

寝苦しくて目が覚める。午前三時。見ると娘の足が私の腹の上にあった。どうりで寝苦しいわけだ。私は娘の足を避ける。しかし娘はもう一方の足をどんと私にぶつけてくる。それも仕方なくどける。すると今度は頭突き。どうしたんだ今日は一体。そう思いながら、私は起き上がる。もう眠るのは諦めた。いっそのことだから起きて本を読んでしまおう。そう思い、机の灯りを点ける。外はまだまだ暗い。
虐待。タイトルどおり、書き手の幼い頃から受けてきた虐待の歴史が書かれている。ただ書かれた手記と違うのは、彼女が心理学に目覚め、それを通して自分を省みている点だ。要所要所に、これが心理学からいうとどういうことだったかということが説かれている。私は、もう何度か読んだ本の、その説明の箇所だけを選んでノートに書き出す。あっという間にノートは埋まってゆき。私の手は痺れるほどに強張る。
一息いれようと、お湯を沸かす。中国茶とハーブティとどちらにしようと一瞬迷ったが、気持ちが爛れているときはハーブティの方が私には合うと思いそれを選ぶ。先日ブレンドしたレモングラスとペパーミント。少し濃い目に入れる。カップから湯気が立ち昇る。それだけでもう、ほっとする。
午前四時半。顔を洗い化粧水をはたく。寝不足が顔に出ないよう、少し多めに叩き込む。そして窓を開け、髪を梳く。今日は雨上がりのせいなんだろうか、なんだか少しあたたかい。薄い寝巻を捲り上げて手を伸ばす。覚悟していたようには鳥肌が立たない。それほどあたたかいということなんだろう。私はそうして薔薇たちを見やる。嬉しいことに、今日はミミエデンに病葉が見当たらない。私はしゃがみこんで、もう一度凝視する。やっぱり見当たらない。大丈夫。あれだけ昨日雨が降っていたのに。私は心底ほっとする。ホワイトクリスマスやベビーロマンティカの蕾も元気だ。ちょうどクリスマスの辺りには、咲いてくれるんじゃないだろうか。そんな気がする。

雨の隙間、撮ってきたフィルムを取り出す。さっさと現像してしまおう、そう思い立ち、風呂場に暗幕を垂らす。東向きの小さな窓を丹念に閉じ込め、そうしてできた暗闇の中、私は作業する。
フィルムが乾くまでの間と思って始めた部屋の片づけ。しかし。娘の枕元を片付け始めて私は激怒する。私の大切な本が、ぬいぐるみの下、隠れるようにして散乱している。ページの折れも何もあったもんじゃない。何なんだこれは。私は一冊一冊それ以上壊れないように拾い上げる。拾い上げ、本棚にしまい。それを繰り返す。しかし。一冊足りない。どこをひっくり返しても見当たらない。私の怒りはさらに膨れ上がる。結局最後まで、一冊が見当たらない。
私は何とか怒りを収めようと、手持ちのフィルムを引っ張り出して次々焼いてみる。その作業をすれば少しは収まるかと思ったが、無駄だった。怒りは一向に収まらない。
私はどすんと椅子に腰を下ろし考えた。どうしよう。このまま怒りを娘にぶつけることになったらとんでもないことになる。そのくらい私の怒りは大きい。じゃぁどういう手立てがあるか。
手紙を書くことにした。一文字一文字、ゆっくり、言葉を噛み締めながら書く。どういうことがあったか。その結果私はどう思っているか。それを一枚の紙にしたためる。そして、娘の机の上に置く。
置き終えた途端、疲れがどっと私を襲う。もうこれ以上私にはできない。観念して、紅茶を入れる。ピーチジンジャーティ。甘いものは神経を和らげるという話を思い出し、せめてと私は蜂蜜を入れてみる。
元気よくいつものように帰宅する娘。さて、いつ机の上の手紙に気づくか、と私は黙って待っている。しばらくして。娘がじっとこちらを見ているのに気づく。何。これ。読んだの? うん。じゃぁ探してちょうだい。うん。
しかし。何処を探してもやっぱり見当たらない。そりゃそうだ、娘がひっくりかえす場所は殆ど私がすでに探している。部屋から持ち出したことはないと言う娘。それなら必ず部屋の中にあるのだから探しなさいと言う私。一時間経過。
結局。最後まで見つからなかった。一体この狭い部屋の何処に本は行ってしまったというのか。探すという作業を打ち切らせ、勉強の続きをやるように娘に伝えてから、私は本屋に電話をかけてみる。目的の本のタイトルを告げると、品切れ、ついでに重版予定はない、とのこと。それならと手持ちの古本屋リストから、めぼしい古本屋に次から次に電話をしてみる。そこでもやはりないと言われる。
もう電話をすることにも探すことにも疲れ、私は、写真の整理を始める。娘は後ろで黙って勉強をしている。しかし。娘からまだごめんなさいの一言を私は聞いていない。だから私は黙っている。黙って、ひたすら娘から言い出すのを待つ。
しばらくして。娘が私の隣に立ち。ごめんなさい。と言った。もういいよ。私は返事をする。ごめんなさい。ほんとにそうだよ、ママは本をなくされたりするのはとっても嫌いなの。前から言ってるよね? うん。ごめんなさい。わかった、もういい。
それまで我慢していたのだろう、娘がわーんと泣き出す。泣いて私に抱きついてくる。私はそれを、彼女がするがままにさせておく。
泣き止んだ彼女に尋ねる。さぁ、勉強何処まで終わったの。はい、これ。じゃぁ丸つけるから。うん。

ひっぱりうどんは父が好きなメニューだった。寒い時はこれに限ると、よく食べていた。至極簡単なものだ。太目のうどんをやわらかめに茹で、それを味を濃い目につけた納豆と葱に絡めて食べる。ただそれだけ。最後の残った納豆にはお湯を入れ、全部きれいに平らげる。
父が背中を丸め、椀を啜る様を思い出しながら、私はひっぱりうどんの用意をする。さすがにそれだけじゃ寂しいと思い、娘の好きな若布と卵のスープを添えて。うどんは極太、娘の腹具合を考えて四人分用意。納豆は粘り気が強くなるよう少し酢を入れてしつこくかき回す。
もうさっきのことは忘れたのか、わーいわーと喜びながらうどんに手を出す娘。娘は赤ん坊の頃からうどんが好きだった。うどんをてろんてろんになるほど茹で、半分潰してやると、生えかけの小さな歯でくちゃくちゃと噛みながらよく食べた。そういえば、食事で困ったことは私にはない。この食欲旺盛な娘のおかげだ。改めて娘の様子を私は見やる。気づいた時には、鍋にはもう殆どうどんが残っていない具合。私は慌てて自分の分をよそって食べる。
父が仕事の前線から退いて、母の為に料理するようになって。ひっぱりうどんはそのメニューに入っていないようだ。多分母がそういった料理をあまり好まないからかもしれない。いや、それ以上に、健康を気にし始めた父にとって、それだけの料理は料理とはいえなくなったのだろう。そういえば、ひっぱりうどんはないけれども、納豆スパゲティなるものを父は海外赴任の間に覚えてきた。納豆と鰹節と卵の黄身一個。もし冷蔵庫にあればちりめんじゃこも。そして全体の味付けは、お茶漬けの素で。というような具合。以前実家で食べさせられたことがあった。私は決しておいしいとは思わなかったが、父はおいしいおいしいと言って食べていた。海外にいる間、この味は父の、大切な味だったらしい。考えてみればどれもこれも日本を思い出す素材だ。毎月一度、母がその場所に飛んでいたとはいえ、海の向こうで五年十年、一人で戦い続けた父。その間に病を患い、それでもやり遂げるまではと働き続けた父。やっぱり父には、私は生涯かないそうにない。

写真をプリントしながら、そういえば、最近こういう画を撮っていなかったなと思い至る。人を撮ることができるようになってから今日まで、人の気配が欲しくて、どうしても画の中に人の気配が欲しくて、気づいたら人ばかりを撮っていた。
もう何十年も使い続けられた浮きやロープが散乱する港町。掘っ立て小屋のような家屋。新聞で目張りされた割れた窓。踏みしだかれた貝殻の山。私がこの町を訪れた時、人影は何処にも無かった。何処にも無く、そうして私は海に辿り着いた。そこに。
大勢の人がいた。日没を待っている人たちが。みな、砂浜のあちこちに座り、待っていた。こんなにもここに人がいたのかと私は唖然としながら、動けなくて、私もそこに立った。そうして向かえた日没。
黄金色の道がまっすぐにこちらに向かって伸びていた。海と空とが繋がる場所に太陽が堕ちて来たその時、黄金色の道は燃え上がった。一瞬の、そう一瞬の出来事だった。
今私の手元に、その一瞬の画は、ない。でも私の脳裏に、はっきりと、残っている。

じゃぁね、それじゃぁね。娘がココアを私の掌に乗せる。私はむぎゅむぎゅと軽く手を動かしココアを抱いてから娘にココアを返す。じゃ、またあとでね。うん。
私は川を渡る。東から伸びる陽光にきらめく川面。さぁ、また今日が始まる。私はそうして歩き出す。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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