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2009年11月27日(金)

朝七時に起きる。起きてしばらくしてどちらともなく言う。やっぱり朝五時に起きるのがいいみたい。二人して肯く。
朝の仕事がないから寝坊できるよ、と言ったのが昨日。わーいと喜んだのも昨日。しかし。いざ寝坊してみると、身体がだるい。思うように思考が回らない。よくないことだらけである。私たちはぐったりしながら朝ごはんを食べる。よくないね、うん、よくない。やっぱり早起きしよう。それが私たちの結論。
急いで顔を洗い、急いで髪を梳かし、お湯を沸かしている間に薔薇を見つめる。やはりミミエデンの蕾は切り落とした方がいいのかもしれない。蕾自体がうどんこ病にやられている。今日帰宅したらその時点で切ってやろう。そう決める。残念だけれども。きっとまた蕾はつく。そう信じて。
お湯を沸かしてお茶を入れたものの、ゆっくり飲んでいる時間も無い。私は椅子に座ってみても落ち着かない自分に痺れを切らして、結局立ち上がる。じゃぁママもう行くね。うん。窓、閉めてから出掛けるんだよ。電気も消してね。うん、分かってる。じゃぁね、それじゃぁね。

晴れ上がった空の下、自転車を走らせる。黄金色の銀杏はまっすぐに天に向かって手を伸ばしている。美術館そばのモミジフウも、もうその独特な乾いた実をぶらさげてしんしんと立っている。一年ぶりに見るそうした風景が、私の心をくすぐる。また巡ってきた季節に、再び会えたことに私は深く感謝する。
いつもの喫茶店で友人を待つ。待ちながら、私は映画館の方を見やる。今日は混んでいる。迷った挙句友人の分も昼からの回の席を取ろうと映画館に向かってみる。すごい人。私は気圧される。なんでこんなに人がいるんだろう、平日の昼間だというのに。私は呆気にとられる。並んでみて分かった。みな、私たちが観ようとしているものを観たくて並んでいるのだということ。結局初回と最後の回は早々に売り切れ。私がカウンターに辿り着いた頃には二回目の回も殆ど席が残っていない始末。並んでよかった。でなければ私も友人もこの映画を観れずじまいになっていた。
再び喫茶店で友人を待つ。私は鞄の中に入れた、彼女に今日渡すつもりの一冊の本を眺める。喜んでくれるだろうか。受け取ってくれるだろうか。それは、私がかつて撮った彼女の写真を一冊にまとめたものだった。彼女を撮影したのは二回。一回目はもう十年くらい前になる。事件に巻き込まれた際、写真を撮られていたという彼女は、カメラが怖くて小刻みに震えていた。まるで凍えた小鳥のようだった。そうして二回目は確か今年の二月だ。ふと思いついて、彼女に私のワンピースを渡し、川辺で撮ろうと誘った。少し距離を持って私は彼女を撮った。できるだけ彼女にカメラを意識させないような距離をもとう、そう思っていた。でも、撮り始めると彼女はゆったりとカメラの前で動き始めた。ちょうど私の呼吸とそれは合っていた。最後の一枚は、まるで空と溶け合うような彼女を収めることができた。その時撮影したものたちに、私は、川縁の睡という名をつけた。
彼女にしても私にしても、PTSDを背負ってからの時間はとても長い。どうしようもなく堕ちた時期があった。何度もあった。揺り返しにもう絶望しかけたこともあった。このまま堕ちていくしか術はないんじゃないかと思えた時期もあった。でも。
そうやって何度も堕ちて何度も堕ちて、そうしながらも、私たちは確実に一歩一歩、登ってもきていたんだと思う。そうでなければ私たちは、とうの昔に、この世の向こう側に行っていたはずだ。私たちは自分を何度も傷つけながらも、それでも生きるということに必死にしがみついてここまできた。だから今ここに生きて在る。
彼女との時間のあれこれを思い浮かべているところに、彼女がやって来た。そうして私は彼女にその一冊を手渡す。

その映画は。何だろう、私にはとてつもなく切なかった。このライブを実現して欲しかった、それをこの目で見たかった、という気持ちがまず生まれた。でもその次には。
哀しかった。切なかった。この人はどこまで純粋に音楽に生きていたのだろうと思ったら、たまらなくなった。音楽に対して誠実であるように、彼は人に対してもとてつもなく誠実だった。映像からは私にそう伝わってきた。もちろん映像は作られたものだ。誰かの手によって作られたものだ。でも。それでも。
こんなに誠実で繊細な心をもっていたら、もし音楽がこの人になかったら、この人は間違いなく。そう思ったら、たまらなくなった。
友人と映画館を出てしばらく、二人とも言葉がなかった。彼女はこの映画を見ることができた幸福感に酔っていた。私はというと。あまりの切なさに心がちぎれそうだった。

思い出したことがある。最後のピアノの発表会だ。
私はそれを棄権せざるをえなくなった。それは、発表会の直前、手が動かなくなったからだ。オクターヴ軽々と開いていた指が、全く開かなくなってしまった。動かなくなってしまった。何をどうやっても、指は開かなかった。どうして。どうして今になって。私は泣きながら何度もピアノに向かった。指をこじあけようと、動く右手で左手を叩いたりひっぱったりした。でも。
開かなかった。硬直したまま、手は動かなかった。そうしているうちに、右手も動かなくなった。大学の授業もだから、その時のノートはさんざんな、蚯蚓が這うような字で記していたことを思い出す。手が動かないことがこんなにも辛いことだなんて、両手が動かないことがこんなにもたまらないことだなんて、思ってもみなかった。ピアノの発表会を棄権し、それから数ヶ月、手はそのままだった。箸も握れない、そういう状態がずっと続いた。そうしてある日突然、それは動くようになった。
動いて気づいた。あぁ私は、プレッシャーに負けたんだ、ということに。
自分にとって多分最後の発表会になるだろうと私は思っていた。だからこそあの曲を選んだ。自分で選んだ。練習した。発表会が近づいてくる。でも、納得のいくようにはまだ弾きこなせない。どうしよう、どうしよう。そんな思いが、多分、私の手を止めたんだ。そう気づいた。無意識の中で、この手が動かなければ、動かなくなれば、発表会に出なくて済む、私はそう考えていたのかもしれない。発表会に出て晴れ晴れとこの曲を弾きたいという思いと、もう逃げ出したいという思いとの間で、私は潰れたんだ、と、その時知った。
私はようやく泣いた。ようやくそこで、自分の情けなさに泣いた。ひとりで部屋にこもって、声を上げずに泣いた。自分の弱さに、これでもかというほど泣いた。
映画を観終わった後、そんなことを私は、思い出していた。

ゼロにすることなど、できないんだなと思った。帳消しにすることなど、誰にもできないことなんだなと改めて思った。起きてしまったことを帳消しにすることなど、できない。ならどうするか。背負って受け容れて、共に歩いていくしかない。
できるならゼロにしたかった。なかったことにしたかった。それが起きる前に戻りたかった。でも。戻ることなどできない。なかったことにすることもできない。ゼロにすることも勿論できない。
生き延びるには、背負って受け容れて、共に歩いていくしか術はないんだ。

今日はもう金曜日。学校の日だ。今目の前に広がる窓から見える風景は、足早に行き交う人たちの影と、犇めき合って立つ高層ビル、そしてその間から見える僅かな空。常緑樹は何処か寂しく感じられる。葉が散り落ちないということが寂しい。色づかないことも寂しい。いつでも緑がそこにある、それは確かにそうなのだが、四季というものから外れている気がしてならない。まるで自然の巡りを無視してそこに在るような気がしてしまう。
空をゆく薄い雲は速く速く流れゆく。私はいつもの煙草を家に忘れ、仕方なく適当に買った煙草を吸う。正直おいしくない。やっぱりいつもの煙草がいい。自分のどじさ加減がいやになる。やっぱり早起きがいい。時間はたっぷり余裕を持って、の方が私には合っている。
今日からもう授業は実践に入る。まだ私の気持ちはそこまでついていっていない。小さく溜息が出る。自分で選んで自分から学びたいと言って始めたことなのに、何なんだこの状況は。自分が心底嫌になる。でも、嫌になったからって時間は待ってはくれない。この数時間後、授業は始まる。それが現実。
やるしかないのだ、やるしか。やっていくしかない。

まだ私の中にはあの切なさが残っている。たまらなさが残っている。だからどうしても、世界がそう見えてきてしまう。でもそれは錯覚。単に私の心の色をもって世界を見ているだけの話。ありのままを見なければ。
橋の上に立ち、私は水面をじっと見つめる。決してとどまることなく、流れ続ける川。動き続ける川。まるで時間のようだと思う。私はその時間という流れをじっと見つめる。私はこの川の、今どの辺にいるんだろう。どこを泳いでいるんだろう。
雲間からさぁっと降り落ちてきた陽光が川面を照らす。きらきら、きらきらと輝く川。まるで飛び跳ねているかのように喜び勇んで流れる川。とどまることは、決して、ない。

さぁ私も行こう。とどまっていることは、できない。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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