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2005年12月15日(木)

 慌しく毎日が過ぎてゆく。あまりにも慌しすぎて、いとも簡単に曜日を間違えたり日にちを間違える。そのせいで潰してしまった用事幾つか。これはまずいと思い、娘に頼む。ねぇ、明日これとこれがあるらしいから、朝、ママに言ってくれる? いいよ! もちろん娘は五歳だ、こう頼んだからとて確実に為してくれるわけじゃない。でも、こういうふうに言っておくと、不思議と自分が覚えているもので、彼女が言ってくれなくても、そういえば昨日娘に頼み事した覚えが…と、思い出す。
 途中ふらついてみたり、吐いてみたり、いろいろあるけれども、その間にも銀杏は散り落ち、街路樹は裸ん坊になり、玄関側の廊下には毎朝、からからに乾いた枯葉が必ず何枚か吹き込んでいる。そんな季節の中を私たちは今、歩いている。
 先日、親しい友人の家を訪れる機会があった。
 初めての駅に降り立ち、待ち合わせ場所へ向かう。彼女の姿を見つけ、その彼女に案内されながらバスに乗る。しばらくバスに揺られ、私たちは町の奥へ奥へ奥へ。
 降り立ったバス停から彼女に連れられて歩き出すと、一番最初に出会ったのは小さな銀杏並木。銀杏はどの樹ももうすっかり枝から葉を落とし、その葉が今、絨毯のように樹の足元を包み込んでいる。そのすぐ脇には、穂をいっぱいに広げた芒が、さややさややと風に揺れる。
 右に曲がったり左に曲がったり。くねくねとうねる道筋。のぼったり降りたりする道面。横浜人の私には、その坂道の在り様はとても馴染み深いもの。少々息を切らしながらも、これが坂道なのよねぇなんて言いながら歩いてみる。
 しばらく歩くと、何ともいえない匂いが私の鼻をくすぐり始める。あぁこの匂いは。そう思っているところに、彼女が、ここにいっぱい豚さんがいるのよね、と教えてくれる。そうそう、豚さん、動物の匂い。畜舎のすぐ脇を通り、私たちはさらに奥へ奥へ。この辺りで小さい頃さんざん遊んだんだと彼女が指す指の先は、今も残る草の原、その隣には竹林に埋まる斜面。季節は師走。今彼らの姿はみな、枯れ果てているけれども、これがもし春だったなら、ここはどんな風景に染まるのだろう。私はちょっと立ち止まり想像してみる。青々とした草いきれの只中を走り回る子供らの姿を。今もまだそんな光景が、この辺りには残っているのかもしれない、そう思うと、なんだかとても嬉しくなった。まだまだ街だって捨てたもんじゃない、なんて。
 そうやって、幾つもの坂をのぼっておりて、彼女の実家に辿り着く。両親は留守だからというお宅にお邪魔する。彼女について玄関を入り居間へ。そこで私は思わず、息を呑む。
 あぁ、なんていい匂いがするんだろう。
 いや、正確には、匂いなんて何もしなかった。でも。
 何と表現すればいいのだろう、人が生きている匂い、人が生活を営んでいる匂い、人がここで寛いだりじゃれついたりするのだろう匂いが、部屋いっぱいに漂っている、そんな感じがしたのだ。
 ここには時間が降り積もっている。そう思った。
 いやぁ物が多くてすごいでしょ、適当に座って。彼女がそう言って笑う。いや、いいねぇこの部屋。天井もものすごく高くて。私はそう返事をしながら、背筋を伸ばす。そう、居間の天井は高く、中でも奥の天井には天窓があって、そこから午後のあたたかい日差しが今、さんさんと部屋に降り注いでいるところだった。
 あ、チビだ。彼女の声に振り向くと、庭へ続く窓の足元に小さな猫の顔が。ご飯食べに来たんだと言って彼女が当たり前のように窓を開ける。ご飯食べる? にゃん。そしてその猫は、彼女が用意してくれたひとかたまりのドライフードを、はぐはぐと食べる。そして食べ終えるとやがて、すぅっといなくなる。
 彼女がちょっと遅めの昼食を用意していてくれる間、私は部屋をゆっくりと呼吸して回った。部屋中あちこちに置かれた写真はみな、家族のもので、何処を向いても必ず幾つもの家族の顔にぶつかる。少し色あせた写真、最近の写真、みな混ぜこぜに、でもそれが何の違和感も無く空間に馴染んでいる。私はそうして部屋のあちこちを眺め呼吸している間に、なんとなく眠たくなってきてしまった。この部屋なら、安心して昼寝ができるのかもしれないなぁ、そんなことが頭に浮かび、ちょっと笑えた。初めてお邪魔した友人の実家で昼寝したくなったなんて、全くなんて奴なんだろう、あたしは。普段昼寝なんて殆どしたことがないというのに。でも、ここで昼寝をしたら、そう、入れたての蜂蜜ゆず茶みたいに甘酸っぱいあったかい味がするんだろうな。そう思わせる、そんな匂いが、この部屋中に満ち満ちていた。
 本棚も壁も柱もみな、何年も何十年もここで時を重ねたような、そんな色合いを帯びている。物と人と時間が調和し、やわらかな静寂となって今ここに降り積もっている。確かに彼女が言う通り、物がいっぱい溢れかえっているけれども、そのどれもに、家族それぞれの愛着が感じられ、それらが山積みになるこの部屋には、その愛着から発せられる小さなシャボン玉のような懐かしさが、絶え間なく漂っている。だから、こんなにも心地いい。
 私は台所で忙しく立ち働く彼女の背中を振り向きながら、思う。そう、もちろん、いいことばかりじゃぁなかただろう。この部屋で諍いだってあっただろう、彼女にとっては辛い思い出もきっと、いっぱいあっただろう。でも。でも、何故だろう、そのすべてがいとおしくなるような、そんな匂いがここにはある、そんな気にさせられるのだ。それは私がここに他人としてお邪魔したせいかもしれない。それでも。
 その時、心にほんの少し、寂しさというか切なさのような味が浮かぶ。そうだった、私は、こんな部屋が欲しかったのだった。ずっとずっと、こんな部屋が家族の間にあったらと夢見ていた。私が知っている父母と過ごした居間は、いつでも整然と整頓され、何の匂いもそこに存在することは許されなかった。居間でごろりと横になって休むなんていう行為はもちろん、そこでおしゃべりし長いこと時間を過ごすなどということもあり得なかった。いつだって部屋はしんとし、冷たく、ただそこに空っぽになって在った。年を重ねるごとに、その冷たさや空っぽさを強く感じるようになり、私も弟も、居間に近寄らなくなった。家族が居間のテーブルに集まって食事をするなんてこともあっという間になくなり、私たち家族は、同じ屋根の下にいても、同じ空間で共に時を過ごすなどということは、これっぽっちもありえなかった。でも、この部屋には。この部屋には、家族の匂いがする。時間の匂いがする。乾いた干草の匂いがする。それはやっぱり、羨ましいくらいの匂い、なのだった。
 彼女が作ってくれたスパゲティを食べながらあれこれおしゃべりをする。喉が渇けばお茶を飲み、そのお茶はまたあっという間になくなって次を注ぐ。時計の針も盤の上をスキップして進み、気づけば天窓から日差しは遠のき、部屋が少しずつ黄昏れ始めていた。
 友人に最寄のバス停まで送ってもらい帰る道々、心の中何度もあの部屋の匂いを思い出す。あんな空間を、娘と暮らす屋根の下にも作ることができたら。彼女も私も、そこにいつまでもいたくなるような空間を、作り出すことができたら。その為には、私はどんなふうに空間を、時間を愛したらいいんだろう。正直、よく分からない。今まで、そんな空間が欲しいなと常々思っていたけれども、それを間近でこんなふうに味わったのは、私にとって殆ど初めてに等しかった。ただ望んだからとてそれは手に入るものじゃないんだろう。長い時間をかけておのずと生まれ来るものに違いない。

 娘が眠るその規則正しい寝息を右の耳で感じながら、私は小さな灯りの下、キーボードを打ち続ける。幾つもの言葉を打ち込み、時にマウスで画像を操作し、一個一個仕事を仕上げていく。そうして気づけば真夜中になり、満月は天辺を通り過ぎる。
 それにしても。なんて慌しいばかりの毎日なんだろう。加害者に再会し、父とのわだかまりが露わになり、娘が父に叫び父が私に声をかけ、私は途方にくれる。ぐるぐる、ぐるぐると時間が状況が変化し、私は半ば、もうそれについていけなくなっている。少し何処かで休みたい。心底そう思う。
 辛い思い出も、楽しい思い出で覆えるよ。
 ついさっき、友達から届いた言葉を舌の上で転がしてみる。覆える? 覆えるんだろうか? どうなんだろう? でも。
 覆えたらいいな、と思う。たとえもしそれが、すぐには叶わなかったとしても、怖いからといってその場所を避け続けているよりも、こわごわ足を踏み出して、とりあえず落とし穴に落ちてみるのもいい。幾つもの落とし穴に落ちていくうちに、多分、落とし穴の場所だって覚えるだろう。そしたら、その場所を埋める術だって、いつか、いつの日か、見つかるかもしれない。
 信じないでいるよりも思い切って信じてしまえ。昔何処かでそんな言葉を聞いた。そう、信じないでいるより信じて騙される方がずっとましだ。転んでちぇっと舌打ちすることになっても、諦めないぞと起き上がってまたスキップして進む方が、旅の道程はずっと楽しい。
 まん丸の月が西に傾き出す。地平線に近づくほど膨らんでゆくその円。そろそろ娘の隣に横になろう。多分少しくらい、眠れる。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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