見出し画像

2005年04月07日(木)

 娘を保育園に送り届け、私はその足で仕事場へ出掛ける。二つ目の信号を渡ろうと思ったとき、ふと左を見たら、通りの向こうに桜が見えた。だから方向転換。交番とは思えないようなひしゃげた交番を左に見ながら、私は自転車を漕ぐ。そして。目の前に現れたのは怒涛の花。
 川沿いに立つ全ての桜が今、開き出していた。開き出したばかりだというのに、この強い強い風に煽られ、もう花びらを散らしている。辺りは薄桃色にぼんやり染まっている。さざなみだつ川面に次々舞い落ちる花びらと、宙に漂う花びらと、そして枝でゆれる花びらと。視界の全てが花だった。私は自転車をおり、橋の真中に立つ。右を向いても左を向いても、前を向いても後ろを向いても、どこもかしこも花だった。そして見上げれば、澄み渡る青空。束ねた私の髪を揺するほどの強い風。
 世界中が生きていた。とくっとくっと呼吸していた。これだけの花だ、もっと人が集まっているだろうと思い周囲を見まわしたけれども、不思議に殆ど人影がなかった。ぽつりぽつり、下を向いて橋を渡る人、もう見慣れた風景だというようにちらりとも視線を動かさず前に進んでゆく人、ぼんやりと椅子に座り煙草をくゆらす老人。世界はこんなにも生きているのに、私の目の前の光景はまるで、時が止まってしまったかのようだった。そう思ったとき、私の心臓がどくんと脈打った。
 慌てて鞄に手を突っ込み、カメラを出した。カラーフィルムじゃない、私のカメラに入っているのはいつだってモノクロフィルム。それでもこの光景を撮りたいと思った。この光景がネガに刻まれたなら、今私の目に見えている姿ではなく今私の心に描かれた世界をどうにかして浮かび上がらせたい、そう思った。でも。
 カメラを構えた私は、シャッターを押すことは、できなかった。
 どうしてだろう。
 気づいたら、私はカメラを胸の辺りに位置させていた。今カメラを覗いても、多分私のピントは合わない。だったら合わせなくていい。そう思ったら、自然にカメラに添えていた指がシャッターを押した。二回。それだけ。
 カメラを鞄に戻し、私は橋に寄りかかった。少しずつ回りながら、辺りを眺めた。世界はこんなにも今私の目の中で美しい色合いを帯びているのに、何故なんだろう、私の心の中はモノクロなのだ。もし私が筆を持っていたら、色を塗れるのだろうか? もし私がプリズムを持っていたなら、太陽にかざしてでもこのモノクロの画面に虹色を映し出せるんだろうか? いや、多分、できないんだろう。まだ、多分、できないんだろう。まだ、多分。
 私は自然、瞼を閉じた。瞼を閉じても見えるのだ、世界は。私の肌が感じる風の感触、鼻からすい込まれる大気の匂い、時々頬や額を掠めて落ちてゆく花びら、私の指が今触れる橋の手すりの温度。そうやって私を今包むもの全てが、それぞれに教えてくれる。私を取り囲む世界の姿を。そして瞼を閉じたまま手を伸ばせば、空にすぐ手が届くような錯覚。そして私の足元を、しんしんと流れゆく川。
 あぁそうだ、幾つもの目に見える特徴を挙げることは結構容易だ。けれど、いくらそれらを挙げてみたって、世界の全てにはならない。世界のほんの一部にすぎない。でも、こうして目を閉じて身体を一本の琴線にすると、世界は一瞬にして、一部ではなく全体になる。ならどうして人は、目を持つのだろう。どうして目は視力なるものを与えられて、ここに在るのだろう。私は立ち止まり、ゆっくりと瞼を開ける。
 開けてゆく間のほんの一瞬、私の内のモノクロと私の外のカラーとがリンクする。ほんの一瞬。これっぽっちの一瞬。
 そして思う。私はこれから先もずっと、この道を歩いてゆくのだろうか。私の心はこの先も、色を持たないままでいるのだろうか。そして時々世界を羨んで、こんなふうに途方に暮れるのだろうか。私の目ではない誰かの目を羨んで、こんなふうに時々うつむくのだろうか。一度失われてしまったものを取り戻すことは、もう不可能なのだろうか。いくら継ぎ接ぎしても、元には戻れないのだろうか。
 いや、違う。元に戻れないのではなく、元に戻らないのだ。もしかしたら生涯私の中は白黒かもしれないけれども、それでも私は信じて、この色が満ち溢れる世界の住人の一人として歩いてゆくのだ。私の中にもきっと、色は在るのだ、と。ただそれが、目に見える色ではない、それだけのことなのだ、と。
 私はゆっくりと呼吸する。そして再び、世界を見つめる。私の目の中で桜が揺れる。花びらが舞う。あぁ、今目の前のこの光景はまるで音楽のようだ。楽譜のようだ。今もし手元にピアノがあったなら、とてつもなく透き通った音階を、奏でることができるかもしれない。なんて美しいんだろう。世界はどうしてこんなにも、美しいのだろう。だから時折こんなにも、切なくなるのだ。涙が零れるのだ。もしかしたら私の目は、見る為にあるのではなく、涙を零す為にこそあるのかもしれない。そう思ったら、少し笑えた。なるほど、それなら納得できる。どうりで小学生の頃、泣き虫毛虫とからかわれたわけだ。自分でそのことを思い出して、ぷっと吹き出す。卒業する際、友人たちに言われたのだ。おい、中学に行ったら絶対泣くなよ、泣いたら許さないからな。友達が何人も私の周りを取り囲んで、そう言って、私の頭を小突いてくれた。みんな半分泣きべそで、それでも悪態をつくのだった。おまえ一人、違う中学行くんだから、もう守ってくれるヤツはいないんだから、絶対泣くなよ、泣いたら負けだからな。みんな、そんなことを私に言っていた。だから私は中学以降、かなり歳を重ねるまで、人前で泣くことだけは絶対にしなかった。泣くときは必ず、独りきりを選んで泣いた。再び内でも外でも泣き虫になったのは、十年くらい前からだ。懐かしい思い出。私はそんな思い出をころころと心の中で転がしながら、自転車にまたがる。
 ゆっくりと走る川沿いの道。帰りもこの道を通ろう。今日はあたたかいから、帰りはもっと桜が膨らんでいるかもしれない。夕方にはきっと、花見客でこの川沿いが賑わうだろう。その間をぬって、自転車をゆっくり走らせよう。多分その頃には、今この心の中にある切なさが、薄らいでいるに違いない。いや、それどころか、嬉しいに変わっているかもしれない。世界はこんなにも美しいのだと、そのことに切なくなるのではなく、ただ嬉しいと、そう思って、今度はこの光景を見つめることができるかもしれない。
 次の角を曲がれば仕事場だ。スイッチを切り替えて。私は振り返ることはせず、自転車のハンドルを切る。

ここから先は

0字
クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

よかったらサポートお願いいたします。いただいたサポートは、写真家および言葉紡ぎ屋としての活動費あるいは私の一息つくための珈琲代として使わせていただきます・・・!