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2009年10月12日(月)

目を覚ますと五時。寝過ごした。慌てて顔を洗い髪を梳かす。髪を梳かしながら薔薇を見やる。台風の爪痕はまだまだ植木に残っている。干からびた葉が今日もまた幾つか。摘み取りながら、哀しい気持ちになる。薔薇だけではない、アメリカン・ブルーもまだまだ元気がない。無事だったのは、球根類だけだ。イフェイオンやムスカリ、水仙の葉を撫でつつ、やはり薔薇やアメリカン・ブルーを振り返ってしまう。早くもとのように元気になってくれないものだろうか。
娘を急いで叩き起こす。そして今日はもう海に行く時間がないことを告げ、去年撮影した公園でまた撮影することを話す。少しぶぅたれながらも着替えてくれる娘。始発のバスにはあと少し。おにぎりを鞄に入れ、玄関を飛び出す。

娘と待ち合わせた駅前の喫茶店、街は休日、しかもあちこちの店でセールが催されていて目が回りそうな人ごみ。それでも娘は一直線に私を見つける。シュークリーム食べる? 太るからいらない! えー、あ、そうなの? うん。私は娘のその言葉に笑い出しそうになりながら我慢する。太るから、か。私もそう言っていろんなものを我慢したっけ。我慢したけれども、生まれ持った体質は変わらず、いつでも健康優良児のような体格、これもまた、変わらなかった。多分あなたも私と同じように体型で悩むんだろう。そして折れそうな細い身体を持つ友人を、羨ましく見つめるんだろう。
二人で歩きながら、ふと思いついて店に立ち寄る。一番端っこの、人の少ない店。思いついたのは、娘にスカートを選んでもらおうということだった。これがいい、あれがいい、娘は次々スカートを持ってくる。これは短すぎるよ、これ、レースがついてて恥ずかしいよ、これ、太って見えるよ、私も彼女に負けず言い返す。やってみて分かった。もうすでに彼女の好みはかなりの部分出来上がっていて、ついでにいえば、私と多分に好みが違うということ。まだ10歳を数えぬ娘なのに、もうこんなにもはっきり好みを持っているのかと、私は改めて心の中驚く。
結局一枚も買わずに出てきたのだけれど、一度やってみたかったのだ、母とできなかったこと。一緒に買い物をしてあれこれ選んでみるというただそれだけのこと。ただそれだけのことなのだけれど、私は母とそれを為すことがなかった。母はいつも決まった店にしか入らなかったし、小学生の頃私はいつでも母に洋服を作ってもらっていた。私の好みに関係なく、だからいつでも洋服は母の好みだった。何度かそれでいじめられた。やーい、ひらひらの変な服! みっともねぇなぁ、それ、どこの服だよ。今考えればそれは、他愛のない冷やかしだったのだろう。でも当時私はその言葉に傷ついて、傷ついて、毎日俯いて過ごしていた。早く母の服から逃れたかった。でも何処にもそれを言い出せず、俯くしか術がなかった。中学になり制服になった時はだから、ほっとしたものだった。今思えばなんて贅沢な、と思う。実際私は、娘に洋服を作ってやったことなど一度もない。カーディガンを編んでやったことだって一度もない。それに比べて母は。レースさえ自分で編んで私の服を作っていた。刺繍もアップリケも何もかも手作りだった。あの服は今何処にあるのだろう。もう何処にもないのだろうか。世界で唯一の、たった一着の服だった。

始発のバスは私たちふたりだけを乗せて走る。坂を上りくねくねの商店街を通り、そうしてようやく公園へ。坂の一番上の公園は見晴らしがよく、芝生が広がっている。娘に裸足になるよう促し、私はカメラを構える。あそこまで走って。娘が走る。私はカメラのシャッターを切りながら追いかける。
夜明けの公園。もうすでに多くの人が犬を連れて散歩に出ている。その人影を避けながら私たちはあちこち走り回る。途中、あまりに大きな犬に出会い、私たちは立ち止まる。ねぇ、あの犬、すごく大きい。ママも初めて見た、あんなに大きい犬。すごいねぇ。すごいねぇ。私たちはしゃがみこみ、しばらくその犬が遊ぶ光景を見やる。
去年歩いたのと同じ道筋を、私たちは駆け、また、歩く。でも、娘の集中力は短い。あっという間にタイムリミット。もう限界といったふうに彼女はどんぐりを拾い集め、池に投げ始める。かと思えば、近寄ってきた犬に抱きつき、頬擦りする。私も写真を撮ることを諦め、煙草を吸う。
ねぇママ、ママはなんで写真を撮るの? 撮りたいから。なんで撮りたいの、なんで写真なの? うーん、たまたま自分がこれが欲しいと思った画面が写真だった、だから写真を撮ってる。学校で習ったの? ううん、ママは独学。独学って何? 自分で勉強したってこと。そうまでして写真やりたかったの? そうみたいだね。変なのー。
そして彼女はまた走り出す。鳩を追いかけ、緑を追い越し、芝生の上を転がって回る。ママ、変な顔シリーズ撮って。何それ。いろんな顔するからそれ撮って。それ、ママの趣味じゃないよ。いいじゃん、たまには。しょうがないなぁ。
フレームを固定して、彼女が表情を変えるたび私はシャッターを切る。白目をむいた顔、唇を突き出した顔、寄り目の顔、ぶしゃむくれの顔。やっぱり彼女は私と異なる人間らしい。私はカメラの前でこんな表情は一度たりともできなかった。これからだって間違いなくできないだろう。私の腹を破って出てきたというのに、まるで異星人だ。つくづく思い知らされる、生まれ出たその瞬間から、別個の人間なのだ、ということを。いや、腹に宿ったその瞬間から、私たちはもうそれぞれの道を、歩んでいるのかもしれない。

そういえば、父が昨日、珍しく、おまえも仕事で疲れているだろう、などと言っていた。私が実家に電話をし、娘をいつ迎えに行くと告げた時のことだ。送ってやってもいいぞ、と言う。びっくりしながら、私は、お父さん、目が今大変なんだからいいよ、と断る。父の目は今、緑内障に脅かされている。今度の検査の結果次第で手術をすることになっている。日常生活の中でも、まるでカーテンが降りてきたような視界の状況になるのだと母から聞いた。
「父さんもね、同級生が死んだりして、どんどん気が弱くなってきているのよ」。母が言っていた。私はまだ、年齢によって友人が死ぬ、という体験は経ていない。突然自ら命を断ってしまう友人はごまんといても、寿命が来てという友人の死にはまだ出会っていない。だから、父の気持ちはなんとなくしか分からない。
「だからね、気が弱くなってきて、よけいにあなたや弟のことが心配になるわけよ」。母が言う。年を重ねてますます口うるさくなる父に閉口していた私も、この言葉にはっとした。あぁ、と思った。でも。
できるなら、父よ、気の強いままでいてほしい。誰を踏みつけてもわが道を行くという顔を貫いて欲しい。その厳つい歩き方を変えずに、何処までも歩き抜いて欲しい。できることなら。
それが私にとっての、あなただから。あなたは私にとって、どうしようもなく厳格で強い、越えられない岩なのだから。

そろそろ終わりにしようか。そう娘に声をかけ時計を見れば、二時間が経とうとしていた。あっという間の時間。気づけば日は東の空にしっかり昇っている。まっすぐに伸びてくる光を体いっぱいに浴び、私たちは深呼吸をする。
さぁ、これから何しようか。私ブーツが見たい! え? ブーツ? うん、だってね、みんなブーツ持ってるんだよ、私も欲しい。見るのはいいけど、買えないよ。えー、じゃぁ私の1000円使っていいから! 1000円じゃブーツは買えないよ、そんなんで買えるならママが欲しい。えー…
あれやこれや喋りながら、私たちはバスに乗る。明るい陽射しの中、バスは走る。とりあえず娘のおなかの虫をおとなしくさせなければ。私はお財布を覗く。
坂を下り、川を渡り。そうしてバスは走り続ける。私たちを乗せて。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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