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2009年12月05日(土)

テーブルの上、ほのかに橙色に染まったマリリン・モンローの花一輪。今まさにちょうどいい具合に花開いている。鼻を近づけ香りを嗅ぐ。少し強めの甘い匂い。何故だろう、薔薇の香水の匂いは一切駄目なのに、生の薔薇の香りは好きだ。それが多少強い香りであっても。見事なその咲きぶりに見惚れ、思いつく。今日ばばの家に行く娘に持たせよう。きっとばばが喜ぶに違いない。
昨日の夢はまるで劇場のような夢だった。風と共に去りぬをもっと悲惨にしたような、そんな映像。今もありありと思い出せる。ストーリーの半ばで私は激しく泣いた。眠りながら泣いた。私は観客の一人で、そのストーリーに参加しているわけではない。わけではないけれども、涙が出た。辛かった。哀しいとか切ないのとも違う、辛かったのだ。それ以上その映像を見たくない、でも見ていたい、そんな心持ちだった。結局夢は途切れることなく続き。私は最後まで見通した。まだその余韻が残っている。
友人からもらった中国茶は、あと一杯分の茶葉を残している。なかなか飲めない。最後の一杯はどうしてもいつも残る。覚えておきたい、いつかどうしてもという時に飲みたい、そう思うと、手が出せない。今朝も結局何度も迷いながら、プアール茶を入れる。
朝の仕事に取り掛かりながら、今日は友人の誕生日であることを思う。三日も一友人の誕生日だった。年上の、私がまだ学生の頃アルバイトしていた画廊で知り合った友人。彼女が結婚してからなかなか会うタイミングがなく今日に至る。今日誕生日を迎える友人にはメッセージを送った。彼女は今日という一日を、どんなふうに過ごすのだろう。素敵な時間だといい。

寝る前、あまりに私に絡み付いてくる娘を何とか放そうと、鼻くそつけちゃうぞ、と脅かす。それが高じて鼻くそ付け合いっこに発展。もうどうにでもなれという具合に布団の中暴れまくる二人。図体もでかい二人が取っ組み合いをすれば、布団なんてあっという間にぐちゃぐちゃになる。それでも止まらない。きゃー、いやー、やだー、やめてー、やめないよー。まさに何でもありといった具合。全く、夜もいい具合に更けてゆく頃に、二人して何をしてるんだか、と思う。でも、娘とこんなふうに取っ組み合いができるのは、この時間のみ。しばし付き合う。鼻くそはまぁ置いといて。
騒ぎに騒いで、気が済んだのか、娘はすとんと寝入る。私はなかなか寝入れず、冷たい足を娘の太腿につけてみたりする。それでもあたたまらない。そりゃそうだ、ぐしゃぐしゃになった布団のあっちこっちの隙間から風が入ってくるのだから。でも娘の身体はこれでもかというほど熱い。だから彼女はいつも、下着だけで寝入る。今日も同じ。

学校の日。実践授業だった。これから数回実践授業が続く。できるならどの役も回ってきませんようにと祈りながら教室に向かう。が、じゃんけんで決めた役割は、カウンセラー役で。しかも講師の直後にやらなければならず。
全身汗びっしょりになった。傾聴というのはこんなにも気持ちを張るものかと改めて思い知るほど、それはしんどかった。友人の話に耳を傾けるのとは訳が違う。緊張しているから口も思うように回らない。たった十分という時間がこれほど長いとは思わなかった。
そうして三組、それぞれにミニカウンセリングを終える。
確かに疲れた。これでもかというほど疲れた。しかし。やってみて、これまで自分が勉強してきたことがどういうことなのかを改めて知る。自分に何が欠けているかがありありと分かる。来談者中心療法というのがどういうものなのかがよく分かる。疲れたけれどもそれは、爽快な疲労で。
次回の実践授業は、今なら結構、楽しみだったりする。

帰りがけ、何となくクラスメイトとお茶をすることになる。すると彼女は、お茶できることがたまらなく嬉しいと言う。理由を訊ねると、初回の、他己紹介の折私は彼女と組んだのだが、その時私が、彼女を、芯の在る方と紹介したこと、それが、彼女はとてもとても嬉しくて、いつか一緒に話がしたいと思っていたのだと言う。私は吃驚して、しばらく何も言えずにいる。
今日の授業のこと、今日の授業を担当した講師のこと、自分がこの勉強を始めようと思ったきっかけ、などを、彼女が訥々と話してくれる。私はそれに耳を傾ける。そういえばあなたはノートを二冊作ってるんですね、と言われ、そうだと応える。学生の頃から、勉強をし終えるまでにノートが何冊にも増えていくことを話す。彼女は相槌を打ちながら、私の話を聴いている。
かかわり行動、かかわり技法についても話す。また、授業においてのフィードバックの重要性についても話が及ぶ。気づけば三時間近く。私たちは一杯のお茶をちょこちょこと舐めながら、話し続けている。
川を渡りながら、また時間を見つけてお茶しましょうと約束を交わし手を振り合って別れる。川はきらきらと輝き。ゆったりと流れ。私たちを見守っているようだった。

家に帰り、本棚を漁る。今読める本は何だろう、と探す。ふと手を伸ばした、もう何度も繰り返し読んでいる本の、帯を見て、私は愕然とする。まず自分自身を理解することからはじまる、そう書いてある。今日授業でやったことそのままじゃぁないか。私はその本を早速手に取る。これを今日は読もう。そう決める。クリシュナムルティの「あなたは世界だ」。もう何度も読んだはずだけれども、もしかしたら今だからこそ、気づけることが、あるんじゃないだろうか。そんな気がする。

バスに乗り遅れた私と娘は、仕方なく空を見上げる。おお、なんて美しい雲だろう。私は思わず声を上げる。ほら、見てご覧。空全体にうろこ雲が広がってる。すごいねぇ。きれいだねぇ。娘の右手には、私が用意したマリリン・モンローが一輪、握られている。寒風に晒され、でも薔薇は、気持ちよさそうだ。
ねぇママ、日曜日は何時ぐらいにお迎え来れるの? 早いと思うよ、今週は。分かった。じじばばに、テストの結果、いっぱい褒めてもらいなね。うん。ご褒美貰ってくる!
休日のバスはゆったりと駅へと走る。私たちは揺られながら、おしくらまんじゅうをこっそりやっている。
ママ、メール送るから! 分かった、それじゃぁね! うん、明日ね! 私たちは手を振って別れる。直後送られてきた彼女のメールには。車内で撮ったらしいアイドルの写真が添えてあり。かっこいいよねぇ!たまんない!と、メッセージが添えてある。ど、どこがかっこいいんだ。私には理解できない。まさか娘から、こういうアイドルの写真が送られてくるとは想像していなかった。油断した。私は笑ってしまう。
だから返事をする。ママは、この人より寺尾聡の方が好きです。即座に返事が返ってくる。げー、おじん好み! …そうですよ、すみませんね、ママはおじさんが好きなのです。私は笑いながらそう呟いて、メールを閉じる。
車窓から見る空にはもううろこ雲はなく。空全体が薄い雲に覆われており。あの、朝の光は何処へ行ったのか。私はちょっとがっかりする。でも。
今日私の身体にはエネルギーが漲っている。多少のことは越えられるだろう。そんな気がする。だから大丈夫。今日もきっと、いい日だ。

今空を渡る鳥が。二羽。交差するように飛んでゆく。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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