2010年01月18日(月)
テーブルの上、ホワイトクリスマスがこんもりと咲いている。週末留守にしている間にこんなにも綻んだ。私の拳よりひとまわり小さいくらいのその大きさ。真っ白に輝いて、仄暗い、明かりを殆どつけていない部屋の中でもそこだけが明るい。花びらは開くほどに柔らかくなってゆく。鼻を近づければ涼やかな香りが鼻腔の奥をくすぐる。
午前四時、ふと目を覚ます。まだずいぶん早い時刻だということは分かっていたが、せっかく目が覚めたのだからと体を起こす。娘の足が大きく布団からはみだしている。私は布団を彼女の体に寄せて、その足を包む。
窓を開け、空を見上げる。しっとりと濃い闇の中、雲がずっしりと浮かんでいる。いつの間にこんな雲が現れたのだろう。昨日の夕までこんな雲は片鱗もなかった。私はどんよりとした雲をじっと見つめる。今朝は朝焼けを望めないかもしれない。風の殆ど無い、けれど底冷えのする朝。
ベビーロマンティカの蕾のひとつが、ほんの少し、綻び始めた。一番外側の花弁は濃煉瓦色をしているのに、開き始めたその内側はずっと明るい煉瓦色だ。それは大輪のホワイトクリスマスの花と比べたらもう、何分の一、という小さな小さな花で。それでも真っ直ぐ天を向いている。まるでそこに何か、信じるものが待つとでもいうように。
ニュースが震災から十五年、というニュースを繰り返し流している。被災地で捧げられる黙祷の様子が映像で流される。私はそれをじっと、じっと見つめる。
あの朝、私は地震が起きる十分ほど前に目を覚ましたのだった。いや、当時一緒に暮らしていた猫に起こされたといった方が正確だろう。彼はひどく興奮して、窓の辺りをうろうろし、前足で窓を叩き、襖を叩き、うろうろと動き回っていた。私はそんな彼の様子に少しの不安と疑問を覚えながらテレビをつけた。まだ暗い部屋の中、テレビの灯りは煌々と部屋を照らし。そのテレビから、地震のニュースが流れ始める。時間が経つほどに酷くなってゆく被害。その只中に、恐らくは、私の友人が在た。
そしてその日から十日後、私は事件に遭った。
私はじっと見つめている。十五年、十五年と繰り返される言葉がそのたび、私の胸を小さく抉る。十五年だから何だというのか。
不謹慎なことを承知の上で告白すれば、少し羨ましい。少なくとも一緒に、「あの時」「あのこと」を悼む人がいるのだ。それが本当は少し、ほんの少し、羨ましい。
私の事件は至極個人的なもので、だから体験も酷く個人的で。たとえば十年を迎えようと十五年を迎えようと、それは私の中でのことでしかなく。
何処までもそれは、たった一人の体験であって。
共有されるものは、ない。
友人の誕生日だ。私は朝一番に友人に手紙を送る。おめでとう、おめでとう。また一年、生き延びようね、と。
生き延びる。私たちには本当にそんな言葉が似合う。
生きていることは決して、当たり前のことなんかじゃなく。むしろ生きているということがとてつもなく奇跡で。
あの頃、毎日のように電話をしていたね。海の向こうとこちら。電話を通して泣いたことが何度もあった。泣いて泣いて、それでも生きなければならないことを見つめ、一瞬一瞬はまさに針の筵で。それでも私たちは、その時間を越えてここまで生きてきた。
友よ、本当にお誕生日おめでとう。あなたと会える機会は一年に一回あるかないかだけれども、それでも、今何処かであなたが生きているということが、私を支えている。あなたの体験を私は聴くことしかできないけれど、耳を傾けることしかできないけれど、そんな体験を経てもなお生きていてくれるあなたを、私は誇りに思う。
おめでとう。お誕生日おめでとう。また一年、踏ん張って生き延びてくれ。
北海道の友人から留守電が入っている。血が止まらないよ、救急車呼んだ方がいいのかな。ただその一言で留守電は終わっていた。私は電話の前、しばし佇む。そして、一回だけ彼女の電話を鳴らす。
今は親元で暮らす彼女は私より年上だ。誕生日が同じで、同種の被害に遭った。離婚という経験もお互いにしてきた。
東京から北海道に戻り、少しでも状態が落ち着いてくれればという気持ちがあったけれど。折々に届く彼女からの手紙やこうした留守電は、まだまだそれが遠い道程であることを私に知らせる。
悲しいかな、今は、飛んでゆくこともできない。こうした留守電を聴いても、飛んでゆくことはもうできない。ただ祈ることしかもう、私にはできない。
昔聴いたことがある。ありとあらゆる色を混ぜ合わせるといつか白になる、と。本当かどうか知らない。試したことはない。でもそれが本当なら、どんなに素敵だろうと思う。
だから私は白が好きだ。白い花が好きだ。ありとあらゆる色の果てに生まれたというその色が好きだ。
血反吐を吐いてしか越えられない時間があった。血に塗れて塗れて、それでも腕を切るしか術のない時間があった。これでもかというほど喰らいそしてそれを嘔吐してしか過ごせない時間があった。鏡の中映る自分が恐ろしく粉々に割って砕いてそれでもたまらなくて膝を抱えて過ごすしかなかった時間があった。耳を塞いでも目を閉じても世界のありとあらゆるものが突き刺さって突き刺さって、もうどうしようもない時間があった。
そうした時間を過ごしても、その時何色に染まってしまったとしても、その果てに白があるなら、そうであるのなら、救われる、そんな気がした。
だから白が好きだ。ありとあらゆるものを受け容れた果てに在るという、その白い色が好きだ。
ねぇ、この日授業参観なんだけど、ごめんね、ママ、搬入があるからどうしても行けないんだ。うん、分かってる、いいよ、ママいつも来てくれてるから、大丈夫。いっぱいいっぱい来てくれてるじゃん。ごめんね。それとさ、この日はこの日で搬出だから、あなたにひとりでお留守番していてもらわないといけなくなっちゃうんだけど。大丈夫、心配なのはじじばばだよ、ばれないようにしないと。うん、そうだよね。じじばばに知られると、ママ、また何か言われるよ。うん、分かってる。私は大丈夫だから、ミルクもココアもいるし。一緒に遊んで待ってるよ。うん、ごめんね、ありがとう。
私は祈る。どうか私の周りにいる人々が幸せでありますよう。
私は祈る。どうか私の周りにいる人々がこれ以上傷つきませんよう。
私が祈ったって何をしたって、どうにもならないことがあることも、十分に分かっている。
分かっているから、分かっているからこそ、だからこそなお、祈らずにはいられないのだ。
どうか、どうか、と。
それでも、と。
だから祈る。私は祈る。
一瞬一瞬、空へ向けて。
じゃね、ママ今日病院だから早く出るよ。うん、あ、ちょっと待って。そう言って今朝娘が連れてきたのはミルク。恐らくさっきまで眠っていたのだろう、それを娘に連れてこられたのだろう、寝ぼけ眼のミルクは、娘の手のひらの上、きょとんとしている。私はその鼻先を撫でてやる。じゃぁね、行ってくるよ。うん、行ってらっしゃい。
運悪くバスはちょうど行った後で。私は仕方なくバス停で次のバスを待つ。ちょうど南東の空を雲が大きく覆っており。陽光はその空の向こう、溜まりに溜まっているのが分かる。
バスに乗り、電車に乗り。渡る川は朗々と流れ。重暗い色合いはそれでも朗々と堂々と流れ続け。
そうして一日がまた、始まってゆく。
よかったらサポートお願いいたします。いただいたサポートは、写真家および言葉紡ぎ屋としての活動費あるいは私の一息つくための珈琲代として使わせていただきます・・・!