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2005年08月29日(月)

 全て放棄してしまいたいと思うとき、人は何を為すのだろう。もう全て終わりにしてしまいたいと願ってしまうとき、人は何を為すのだろう。

 日曜日、娘を実家に送り届けた後の記憶を、私はぷっつりと失っている。帰る道筋、実家の最寄り駅のホームで煙草を一本吸ったところまでは残っているのだが、その後がばらばらの破片となって散らばって、まるでとてつもなく小さなピースを操るジグソーパズルのようだ。私はそれを今も、組み立てることができないでいる。
 今朝、友人からの電話で目を覚ます。日曜日だと思い込んでいた今日が、実は日曜日じゃなく月曜日であることは、その友人に告げられるまでまったく気づかなかった。電話を切り、慌てて外出の支度をする。病院に行かなければ。診察してもらえないまでも、せめて薬だけは手にしなければ。私は病院までの道筋、がんがんと痛感を鳴らす頭痛を抱えながら小走りになる。無事に病院に着いても動悸が治まることはなく、私の身体を軋ませる。
 病院から事務所へ、そして事務所から自宅への帰り道、とぼとぼと自転車を引きずって私は坂道をのぼる。容赦なく降り注ぐ日差しはそれでも、少しずつ秋の気配をまとっている。目には見えない温度が、私の肌を撫でてはそれを私に教える。
 家に戻り、もう夕刻間近ではあったけれど洗濯をし布団を干す。そして掃除機をかける。それだけのことに、全身汗だらけになる。いっぱいに開けた窓からは、風が絶え間なく吹き込み、部屋を通り抜け細く開けた玄関から再び外へと流れ出してゆく。私はしばし目を閉じて、じっと風に耳を澄ます。汗を拭い取ってゆく風が、らららと歌っているように感じられる。これが多分、季節の移り変わり。
 畳の上にしゃがみこみ、揺れるカーテンを眺めていたはずの自分の腕から、血粒が零れ落ちている。腕は一体いつ、血粒を噴出させたのだろう。思い出すことのできない空白を、私は抱え込みながら、ごしごしと腕を洗う。血粒がしたたるたびに洗い、洗うたびに血粒がまたこぼれる。その繰り返し。私は幾度も幾度もそれを為す。
 その血粒が零れ落ちてできた血溜まりを、私は右手に握った雑巾でごしごしと拭き取る。一体自分は何をやってるんだろう、そう思い、私はため息をつく。毎度のこととはいうものの、大きな血溜まりを目の前にするたび、私はうんざりする。もういい加減、私から離れていってほしいのに。腕を傷つけて一体何になるのだろう。何にもならない。そのことを、もう十二分に私は痛感しているはずなのに。
 いつの間にか部屋は薄暗くなり、外の闇と同色に染まる。私は明かりのスイッチに手を伸ばし、その途端、部屋はまぶしさを取り戻す。人工的な光線が、しょぼくれた私の目を射る。
 全て放棄してしまいたいと思うとき、人は何を為すのだろう。もう全て終わりにしてしまいたいと願ってしまうとき、人は何を為すのだろう。
 それが自殺というものに繋がる糸先なのかもしれない。そう呟きそうになる自分の唇を、ぐいっと拭う。死んでたまるもんか。私は最後もう一度血だらけの腕を洗い、せめて今夜はもう切らなくても済みますようにと願いをこめながら包帯を巻く。そして仕上げに、友人から贈られたブレスレットを腕に結びつける。切りたくなっても、そういう衝動に襲われても、ブレスレットや包帯を解こうとする間に正気に戻れるかもしれない、そんな期待を込めて。そして今朝方、主治医から言われた言葉を反芻する。
「正気に戻る術を自分で何とか掴み取らないとね」
「正気に戻る術、ですか?」
「そう」
 何種類もの頓服を試した結果、結局自力で何とかするしかないというところに至るこの情けなさ。でも、それが遠回りであったとしても、自分でやるしかないという覚悟を覚えるためにはよかったのかもしれない。そうでもしなけりゃ、私はまだ薬に頼るしかなかったのだろうから。
 わびしいニュースを流し続けるテレビを消し、歌を流し続けていたコンポのスイッチも消し。私はひとり、ぼんやりとしゃがみこむ。畳は私の体重を受け、一声きゅうと音を立てる。
 死んでたまるか。このままで死んでなるものか。その思いが今、私を支える。明日もきっと生き延びる。生き延びてみせる。這いずってでも。
 とことんまで追い詰められたことを思えば、今なんて、どうってことない時間だ。そして今私には、命がけで守りたい人たちがいる。そのためにも私は、生き延びる。

 萎んだ朝顔の花びらが、夜風にひょろひょろと揺れている。私はただ、明日も生きる自分を思う。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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