見出し画像

2005年05月14日(土)

 誰の助けも借りずに、ひとりで行きたい場所というものも、在る。それは、行きたいというよりも、帰りたい、という言葉の方がしっくりする場所。そしてまた、別の言い方をするならば、私の原点に、とても近い場所。
 雲で覆われながらも、空はぐんぐんと動いている。いや、正確に言い表すならば、空が動いているのではなく、空を覆う雲が動いているのだが。どちらにしろ、私はそのぐいぐいと流れゆく雲と空とを、砂の上に寝転がってただじっと見つめる。手を放り、足も投げ出して、私の胸の上にカメラはあるけれども、他には何を持つこともなく。寝転がった場所のすぐ横で砂が風に舞い上がる。私はしばし視界を砂に遮られ思わず目を閉じてしまうけれども、閉じながらも砂が風が、私を砂の一粒として巻き込みたがっているような気配を感じる。でもまさか、これだけの重さを彼らが持ち上げられるわけもなく。やがて砂嵐は去ってゆく。そこに残されたのは私一人。
 ゆっくりと体を起こし、ぐるりと自分の周囲を見まわす。ただそれだけに何分もの時間をかけて、私はぐるりと見まわしてみる。地平線、水平線、空と海の境、海と砂の境、置き忘れられたように砂の窪みに溜まった水、その間中私の頬を嬲る風、そしてこの、潮の匂い。
 かつての誰かの姿がふと、幻影のように蘇る。波打ち際、切り刻んだ手首から血を滴らせながら、ゆったりと踊り舞う人がかつてあの辺りに在た。滴る血は瞬く間に海に溶け出し、その存在はあっけなく失われてゆく。そんなことお構いなしに、彼女は踊っていた。美しいという言葉では表現しきれないその姿は、誰一人彼女に近寄ることを赦さない、そんな気配を持っていた。一歩でも近づくことは、赦されなかったのだ、本当に。彼女が支配するその空間は、やがて少しずつ海や風や砂に侵蝕され、そしてふわりと、波の上に倒れ込んだ人。彼女の目は閉じ、でも口元がやわらかく、そしてやさしく笑んでいた。その微笑みは、私の背筋を凍らせるほど彼女に似合っており、口紅をひいていないその口を、私は思わず指でそっと触れたのだった。あれは本当は誰だったのだろう。彼女だったのか、それとも私だったのか。それとも彼女でも私でもない誰かだったのか。今はもう、知る由もない。しかし、私であり彼女であり、同時に他の誰かでもある、ひとりの人間の魂の破片が、あの日あの時、私の網膜にくっきりと刻まれたのだった。他の誰が忘れ去っても、私は恐らく、生涯あの、魂の破片の形を、覚えているに違いない。
 靴を脱ぎ、カメラを突っ込んだ鞄を適当な場所に置いて、私はゆっくりと海に近づいてゆく。波は引いたり寄せたりしながら、私を誘う。私は誘われるまま、海に沈んでゆく。気づいたら私の体は海にすっぽりと抱かれ、全身から触手のように伸びる私の緒と海の緒とが、絡み合ってゆくのを私はただじっと感じていた。
 海はどうしてこんなにもあたたかいのだろう。海に抱かれながら私は思う。それは私の肌をなぞる温度ではなく、私の内奥から湧き出すあたたかさ。そしてその温みは、私の内奥に押し込められた異物を、普段必死に隠して歩いているしこりを、溶かし出してゆくのだった。だから私はただじっと、その脈にこの身を任せていればよかった。
 いつのまにか海に浮かんでいる自分に気づく。そして目を開けると、そこには空がまっすぐに起立し、蠢き続ける雲は風を呼び、そして私の名を呼ぶのだった。
 もう大丈夫、帰ろう。私はだいぶ浜から離れてしまった場所からゆっくりと泳ぎ出す。砂浜は遠く近く、私の目の中で揺れる。濡れた髪の毛が私の頬に首に絡みつき、同時に波とじゃれあう。私は殆ど人影のない浜へ、ただゆっくりと、泳ぐ。
 浜に辿り着くまでにどのくらいの時が流れたのだろう。覚えていない。浜に辿り着いた私が最初にしたことは、日記帳をびりびりと破り、火をおこすというそのこと。適当な流木を探し、火を絶やさぬよう気を配り続ける。海から一歩でも出たら、それまで海の温みで守られていた体は一気に寒風に晒される。だから私は、火を絶やさぬようにノートを、そして木をくべる。
 そして私は見つめるのだ。世界を。世界の一断面を。世界の一層を。そして、世界から見たら米粒にも満たないだろう私の存在が、それでもここに在るということ、ここに在り君を見つめているというそのことに、私は喜びを感じる。

 ずぶ濡れだった洋服もやがて適当に乾き、私は火にお礼を言って足でもみ消す。あっけなく消えてゆく火に、私は、またね、と声をかける。
 さぁ、もう行こう。私は荷物をほいっと肩に担ぐ。そしてもう一度、ぐるりと辺りを見まわす。忘れ物は? 大丈夫、何もない。
 歩き出す前に、私はもう一度海を振り返る。またしばしの別れだね、その日までさよなら。私のすぐ脇を、部活動なのだろうか、体操着を着た生徒たちが走り過ぎてゆく。砂の上に刻まれる彼らの足跡は、瞬く間に風によって崩されてゆく。そして後に残るのは。ただ気配のみ。

 あれからどのくらいの日が経つのだろう。まだたった一日? それとも三年? それとも十年?
 帰りたいと思える場所、帰ろうと思える場所が心に在る、そのことが、どれほど毎日を過ごしてゆく私を支えていることだろう。おかえり。ただいま。その言葉が本当は、どれほど恋しい言葉であるのか、私はここに来るたびに思い知る。そして、もうひとつ。行ってきます。その言葉。
 最後の一歩を踏み出す前に、私はもう一度だけ振り返る。もう海は見えない。水平線も見えない。在るのはただ、砂の原。そして私は言ってみる。
 行ってきます。

 そして私は、日常へと、戻ってゆく。

ここから先は

0字
クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

よかったらサポートお願いいたします。いただいたサポートは、写真家および言葉紡ぎ屋としての活動費あるいは私の一息つくための珈琲代として使わせていただきます・・・!