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2005年05月24日(火)

 大切な人を見送るとき、私の心はいっぱいになる。幸せであれ、幸せであれ。どうかあなたが幸せでありますよう、お願いだから。そんな気持ちでいっぱいになる。君が幸せになるために、もしも私との緒が邪魔であるのなら、いつだってそんな緒、切っていいから。そのために切られるなら本望だ。そして私は多分、一生その切れた緒を握り締めて歩いてゆくだろう。
 またひとつ、またひとつ、そうやって切れてゆく緒の先は、風に揺れてひらひらと舞う。あまりに美しく舞うので、私は見惚れてしまう。見惚れながら、涙が零れるままに零すのだ。心臓が鷲掴みにされるような息苦しさを憶えながらも、私はじっとその揺れ舞う緒の先を見つめ、祈るのだ。
 幸せであれ、と。

 友が電話の向こうで涙を零している。頼むから今は耐えてくれ、耐えるんだ、と彼女が言う。耐えたくて耐えたくて耐えたくて、なのに同時に、猛烈な破壊衝動が私の中心で噴火しようとしている光景がまざまざと見える。どちらからも手を引っ張られ、どちらにもゆくことができない私は、悲鳴さえ上げられず、途方に暮れる。
 それでも友の声だけは聞こえる。だから私はそれを信じる。私を二つに切り裂こうとするそれぞれの力にねじ伏せられてしまわないように、必死に友の声を友の言葉を信じる。今私にできるのは、ただそれだけ。

 もう夕方と思える時刻に、少しだけ外に出た。そして見上げた空には、雲が幾列にも並んでぷわぷわと浮かんでいるのだった。心の中でシャッターを切った。そしてつけたタイトルは「みんな仲良し」。
 でも、モノクロームの写真しか作ることのできない私には、多分、こうした風景が写真となって形となって外に出ることは、ないのだろう。
 私の世界は白黒写真。それでも時々、ちらりと見える色の鮮やかさに、私は、それがただ一瞬だったとしても心踊ることがある。たった一瞬ではあっても。

 マーマ、マーマ、声がする。娘の声だ。マーマ、マーマ。甘えるときの彼女の声だ。マーマ、マーマ。あぁ、眩暈がする。

 今ここで踏ん張らないでどうする。今ここで頑張らないでどうする。何があったって耐えなきゃ次はない。

 次は、ないんだ。

 まだ、終わらせたくはないのだから。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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