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2005年05月17日(火)

 仕事が急にキャンセルになる。ついでにもうひとつの仕事も延期になる。いきなりニ件もの仕事に影がさすと、さすがの私も不安になる。大丈夫なんだろうか、来月生活していけるだろうか。まったく、だらしのない大黒柱だ。おっかなびっくり頭を出して周囲の様子を見上げる亀のよう。
 そんな私の不安などにはお構いなしに、陽光はさんさんと街をあたためる。強くもなく弱くもない、そんな心地よい風が辺りを舞い踊るのを、私は目を閉じて肌で感じる。
 部屋の奥から布団を担いでベランダへ。両親が布団乾燥機を貸してくれているのだけれども、やっぱりこんな天気の時は乾燥機じゃなく太陽の光が一番いい。布団や毛布を干しながらふと下を見ると、植木屋おじさんがひとつの鉢ずつ丁寧に水をやっているところ。そこは公共の場所でしょう? あなたの私有地じゃぁないでしょうに、なんて無粋なことは、この辺りの人は誰も言わない。見て見ぬふり。それどころか、色とりどりの植木屋おじさんによって育てられている季節の花や野菜の様に目を細めたりしながら通り過ぎる。そういう風景を眺めることは、私は嫌いじゃぁない。
 ふと思いついて、いきなり料理を始める。煮こごりが作りたい。こういう衝動はいつだって突然にやってくるのだ。私は棚の奥にしまってあるはずの粉寒天に手を伸ばす。よしよし、まだちゃんとあるし賞味期限内だ。あとはもう、適当に有り合わせで。
 一通り作り終えたところで、私は外に出る。ちょうど裏の小学校は昼休みのようで、子供らが校庭でめいめいに遊んでいる。ドッチボールをする子、鉄棒をする子、花壇の脇で内緒話をしている子、こうやってただ眺め下ろしている私の中で、いろんなものが交差する。私だったら今頃どの輪の中にいるのだろう。それともどこの輪にも所属せず、ひとりで教室で本を読んでいたろうか。どの子供の中にも自分の欠片がほんのりと見え隠れする。私は始業の鐘が鳴るまで、彼らのその姿を、ぼんやりと眺める。

 正直、夜のことはあまり覚えていない。缶ビール半分で酔っ払ってしまった。酔っ払って、でもプリント作業がしたくて、廊下を這いずっていたような記憶が多少残っている。が、結局プリント作業はできなかったらしく、お風呂場の入り口に用具だけが並んでおり、顔を洗いながらそれらを見下ろし、全く自分は何やってんだか、と私は自分に苦笑する。

 今朝の風はやけに強くて、細く開けた窓から乱暴に部屋の中に入ってくる。入ってくるというより殴り込んで来ると言った方が似合っているかのような風だ。本当に、この辺り、この時期、やけに風が強い。去年もこんなふうだったっけ?と思い出そうと思うのだけれども思い出せない。あまりに風が強過ぎて、薔薇の樹たちは自分の棘で葉を傷つける始末。かわいそうに。
 その薔薇が、今朝、一斉に蕾を綻ばせ始めた。この瞬間が、何よりも何よりも私は好きだ。あぁ、綻んでゆく。その場面に立ち会う。これが嬉しい以外の何だというのだろう。黄色の薔薇、白の薔薇、赤い薔薇。うどんこ病の病葉をこんなにたくさん抱え込みながらも、花はこうやって咲くのだ。あぁ、花に負けてなんていられない。私も動き出さなくては。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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