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2006年01月13日(金)

 十二月二十六日から一月十日までという時間は、やはり長すぎた。長すぎたおかげで、その道中、私はばったばったと転倒した。もうそれは見事なほどに。一体何度救急車のお世話になっただろう。救急隊員の人に呆れられてからは何度深夜にタクシーを飛ばしただろう。その回数など、覚えていない。果ては、真昼間に右手首まで切り刻んで、私は自分で為したことながら、呆然としたのだった。
 新年一回目の診察、診察を終えて出てきた頃には、長い針がゆうに一周以上回っていた。そんなに時間が経った感覚は私には全くなかったけれど、それだけ時間がかかったのだろう。私は、受付の壁にかかった丸い平凡なその時計を、しばらくぼんやりと眺めていた。
 私は主治医が言うほどそんなにも疲れているのだろうか。私は主治医に言われるほどそんなにもぼろぼろに破けているのだろうか。
 分からない。分からないが、正直、もう、立っているのもやっとだった。処方箋を受け取りに薬局に立ち寄ったものの、一度ソファに座ったら立ち上がれなくなって、仕方なく、薬剤師に身体をどっこらしょと持ち上げてもらった。
 そこから急いで整形外科へ。ぐるぐる酔っ払ったような頭ながらも事前に何とか電話で遅刻する旨を伝えておいたおかげなのか、受付の方がスムーズに事を運んでくれる。左腕は感染症にもかからず何とか傷もくっつきそうだ。ただ、右手が、あれからさらに切り刻んだ傷のおかげで、ぱんぱんに腫れ上がっている。でも、これもまた傷と傷がくっつきすぎていて縫うことはならず、テープでぎしぎしと傷をくっつける。鈍い痛みが常に右腕につきまとう。処置を終えて頭を下げたと同時に身体がぐらりと揺らぎ、驚いた看護婦が私を支えてくれる。あなた、大丈夫なの? 尋ねられても答えられない。タクシーで帰りますからともう一度頭を下げて、手すりにつかまりながら病院を出る。
 そして。
 一度掛けかけた電話番号、私は直前に切る。切って、途方にくれ、切った自分の親指を見つめ、どうしようもなくなって、柱に寄りかかる。そして、最初に掛けたかった電話番号を避けて、私は別の電話番号を押した。
 久しぶりに泣いた。泣けた。泣き止もうと思ったけれど涙が止まらなかった。友人相手に、もういやだ、もうこんなのいやだ、全部放棄したいと吐露してしまった。全部、本音だった。嘘なんてもう、ついてる暇なんかなかった。もういやだ、もういやなんだこんなの、どこかにいってしまいたい、いなくなりたい、娘さえいなければと思ってしまうの、そういう自分がさらにいやなの、どうすればいいの、もういやだ。私は、まるでわがまま丸出しの餓鬼のように、自分の内奥を吐露し、泣いた。相手はただ、聴いてくれた。そして、私が最初に掛けられなかった電話番号の相手にも伝えておいた方がいいから、自分が伝えておくよと友が言う。私は何も返事ができなかった。
 タクシーに乗って、部屋に戻って、私は、改めて、一体何をしたらいいのか分からなくなった。とりあえず、薬を飲んだ。もう昔のように薬を大量に飲んでしまうことはもうない。そんなことをしたら娘を迎えに行けなくなるだろうし、私は仕事もできなくなるだろう。そうしたらこの生活は、あっけなく崩壊する。だから、もうしないし、もう、できない。
 床にへたり込むこともできず、私は椅子にとてんと座った。目は何処かを何かを映しているけれども、私にはもうそのとき何も見えていなかった。時計の音さえ、何処かに消えてしまっていた。
 それでも生きなければならない。私は生きなければならない。娘がいるから、だけじゃない。私はまだ、本当は死にたくなんてない。多分きっと、とことんのところで私は、本当は自分が生きていたいと思うから。そう、信じて。

 あれから何日経っただろう。よく覚えていない。私はひたすら今、モノを作っている。いずれ仕事に使う道具たちを、思いつくままにひたすら作っている。その作業に没頭していれば、何とかなる気がする。だから私は作る。作り続ける。

 今夜、娘がべったりと甘えてきた。久しぶりのことだ。あまりの甘えぶりに少々困ったが、彼女の一言で私の困惑など吹っ飛んだ。
 「ママが死んじゃったら、みう一人になっちゃうんだよ。だからね、お仕事いっぱいしていっぱいお金もらって、そうしたら楽になるかもしれないけど、でもね、お仕事しすぎてママが死んじゃったら、みうは一人になっちゃうんだよ」。
 彼女が言っているのは多分、仕事のことだけじゃぁない。何処かできっと、私の危機を感じ取っているに違いない。だからこそ彼女は、こうして、自分に出来得る限りの言葉でもって私に訴えているに違いない。
 「みう、大丈夫、ママはね、そんなにやわにはできてないから」「やわって何?」「やわっていうのはねぇ、うーん、そう、そんなに弱っちくできてないからってこと」「強いってこと?」「そう、ママは強い」「うん、ママは強いし、怒るとちょっと怖いよね」「ははははは」「でもね、怖くても、みうはママが好き、ママがいなくちゃいや」「そうだね、ママも、みうがいなくちゃいや。みうがいなくちゃママは生きていけない」「みうも」。
 そう言い交わして、私たちはこれでもかというほどハグをする。キスをする。笑い合ってじゃれあって、じゃぁしょうがないからママの背中におんぶする形で寝てていいよ、ということにする。
 二時間、彼女は私の背中にずっと張り付いていた。そして、ようやく規則正しい寝息。私の背中も肩も腕も、正直もうぱんぱんだったけれど、これも普段の私の行いのツケなんだろうなと思う。両腕の傷口が開いたりしないよう、何とかバランスをとって彼女を布団に運ぶ。そして、額にキスをする。おやすみ、みう。
 まだ、どうしていいのか分からないけれど、少なくとも、今放棄してはだめだ。どんなにみっともなくてもどんな醜態をさらしても、生き延びていかなきゃだめだ。そして、生き延びてゆく道々、彼女と私は笑い合い、じゃれあって、年を重ねていくんだ。
 あと一仕事終えたら、今夜はもう眠ろう。明日は朝一番からまた病院だ。

 みう。大丈夫だよ。ママはここにいる。いつ振り返っても、必ずあなたの見えるところにいる。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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