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2006年01月03日(火)

 2006年は、私にとって八方塞がりの年だそうで。そんな言葉を占い本でちらりと見て以来、「八方塞がり」という言葉が時々、私の頭の中をぐるぐる回る。
 でも、よく考えたら、八方塞がりはこれまでも四六時中そうだったわけで、だとしたら、たいしたことないのかもな、なんて、無責任に笑ってみたりしている。世の占い師の方々がせっかく出してくれた代物でも、私にかかりゃまぁどうでもいいや、といったところか。
 年末年始、体調が崩れた。体調、といより心調というべきかもしれない。

 ベランダのラナンキュラスが、ぐいぐいぐいぐい元気になってゆく。この方たちは、寒さというものを知らないのだろうか。それとも、私と同じく寒さが大好きなのだろうか。寒い朝になればなるほど、びょんと葉の背を伸ばし、一番に朝陽を浴びるのだという勢いでプランターの中はわさわさしている。それに比べてアネモネはマイペースだ。もともと茎が細く、水をやればくにゃりと茎を曲げてしまうくらいに軽い代物だから、私は水をやり終えると必ず、彼らを一本一本立たせてやる。はいはい、頑張って立ってくださいよ、お日様いっぱい浴びてくださいよ、そんなことを言って一本一本立たせている。その脇のプランターの中の水仙は、全く我関せず。私は自分で育ちますので、水さえ適当にやっといてくれれば充分なんですよ、なんて顔をしている。だから私も、はいはい、お水ね、と、彼らの真っ直ぐに伸びる葉たちの上から、しゃらしゃらと水をやる。
 もしかしたら、薔薇の樹の一つが、枯れるかもしれない。そんな気配がする。水をまめにやっても、新芽の手入れをやってみても、一度弱ってしまった樹は、哀しげに項垂れる。大丈夫、まだ大丈夫よ、春はもうすぐ、それまでずっと私がここにいるから。そんなふうに話しかけながら、一生懸命樹を撫でる。もし枯れてしまったとしても、彼と同じ時期に挿し木して増やした樹は他にも何本もある。けれど。一本一本が唯一のものなのだ。私にとって。神のみぞ知る、とはこういうことか。私は神様がいるなんてことは殆ど信じていないけれども、こういうときは、自然の神よ、もうしばしこの子の命を守っていくださいと、祈らずにはいられない。

 意識半分は冷静に、もう半分は混乱の極みに、それぞれ真っ二つに割れた私の意識は、半分が意図しないことを、もう半分が平然とやってのける。そうしているうちに、まっぷたつに分かれた狭間で、私はどんどん途方にくれる。足掻こうにも全身楔で打ち付けられたように身動き一つならず、私は、右と左の勝手気ままな行動に振り回されるばかり。一体私をどうしようというのか。だんだんと抗うのにも疲れた私は、傍観者のように彼らを見つめる。刃を振るう右手と、お茶を入れようとする左手と、そして刃も湯飲みもいっぺんに床に落ち、音を立てて飛散するのだ。そして私の左手はどんどんと疵に覆われ、あれほど主治医と約束した右手だけは、左手以外は決して傷つけないと約束したその約束をあっけなく破り、右手首から肘へと血が滴るのだった。
 救急病院にとあちこちに連絡をとっても、診察を断られれるところばかり。どうにか診察をしてもらえたと思ったら、紹介状を差し出され、これ以降は他のところで診てもらってください、こちらでは責任負えません、と淡々と言い渡される。帰り道、とぼとぼとタクシーを捜しながら歩く私は、この先に何が待っているのだろうとぼんやりと思う。
 それでも。
 それでも朝は来るのだ。どんなにはちゃめちゃな夜がやってきても、必ず朝は来る。私は朝を頼りに、冷気忍び寄る窓際に張り付いて空の色が変わるのを待つ。その間に、そういえば包丁を研ぐと精神統一になるんだよと昔私に話してくれた友人の声を思い出し、試みてみる。が、逆効果で、私はその包丁でもって思い切り腕を斜めに切ってしまう。あらまぁ思ったよりも血が出ないのね、と思った途端、ぶわっと血が噴出してきて、私は慌てて雑巾やらタオルやら、そこらへんにあるものを畳みの上に山積みにする。あらまぁこんなに血がでるなら、最初から言ってよね、なんて、変に冷静になった私は、まぁ放っておけば血も固まるし、どうにかなるわと、もう一度窓の外に視線を戻し、空が変わってゆくのをじっと見つめる。
 縫える箇所は二箇所のみ。他は、疵と疵がくっつきすぎていてとてもじゃないが縫うことができない、この包帯は外さないで下さい、絶対に外さないで、そして、近くの病院を探してみてもらってください、そこで抜糸もしてもらってください。医者が次々に喋っている。私の頭の半分はそれを聴いているのだが、もう半分は、へらへら笑って全く聴く耳を持とうとしない。その狭間で、私は、だんだん日本語が分からなくなってゆく。

 私はぼんやり考える。いや、考えようとしなくても、脳裏に浮かんでくる。もうじきだ、もうじきあの日がやってくる。1月27日。忘れるわけがない。他の誰が忘れても、私は忘れることはできない。
 でも、今年だってきっと、その日を乗り越えるのだ。乗り越えてしまえばどうってことないのだ。きっと。乗り越えるまでがしんどいだけで、乗り越えればまた次の道が生まれる。私はその道を、自ら作りながら、歩いてゆけばいい。

 大丈夫。私には友達がいる。私がとちくるっている間、必死に遠距離電話で私をひきとめてくれた友達、自分が具合が悪いにも関わらずタイミングを見計らって電話をかけてくれる友人、そして、仕事が佳境だというのに時間を何とか作って私の部屋にやってきて「寝ろ!寝ろ!」と言い、私が意識をぶっとばして刃を片手にとって振り下ろそうとした途端、ほっぺたを思い切りつねってくれた友人。他にもいっぱい。
 生きてりゃ何とかなる。生きてればこんなに嬉しいことだってある。私は一人じゃなくて、確かに一人なのだけれども独りじゃぁなくて、こうしてここに生きている。
 ねぇ娘よ、ダメ母があなた教えて上げられることがもしひとつあるとしたら、それは、心から繋がれる友達を、それがたった一人出会っても、人生の中で見つけることだという、そのことに尽きる。

 明日はやることが山積みだ。まず保険証の再発行の手続き、それから世話になった病院に行って清算、それからそれから…。仕事だ。仕事仕事。
 その間にもラナンキュラスはベランダで歌を歌うだろうし、アネモネはひょろひょろとダンスを踊るだろうし、水仙は知らん顔でぴんと立っているだろうし。私は私で、ふらふらしながらも生きてゆく。
 八方塞がり。今年は八方塞がりの一年だそうだ。じゃぁ笑い飛ばしてやろうじゃないか。もうこれまでだってさんざん八方塞がりの日々を過ごしてきた。その私が八方塞がりの日々を乗り越えるってことは、どんな具合になるのか。観客をお笑いさせてやるくらいにどたばたと喜劇を催してやろう。

 そして今日も朝はやってきた。私は今日もこうして、一日を越えてゆく。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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