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2009年09月27日(日)

窓を開ける。昨日とはうってかわって空一面灰色の雲だ。今日は一日こんな天気なのかもしれない。髪を梳いていると、薔薇の葉の一枚が目に飛び込む。うどんこ病だ。私は慌てて部屋から鋏を持って再びベランダへ。見つけた葉を急いで切る。他にうどんこ病になっているものはいないか。じっと見つめる。一枚、二枚、他にもなりそうな気配の歪んだ新芽が三、四枚。全て切り込む。このところ土が乾くのが早くて、こまめに水を与えていた。でも与えすぎだったのかもしれない。これが広がったらとんでもないことになる。これからちょっと気をつけて見ておかないと。
ぷっくらと膨らんだ白薔薇の蕾が風に揺れる。ついでだからと思い、余計な枝を切り込むことにする。そして最後、挿し木したものたちを見やる。三本は何とかつきそうだ。でもこの一本は。もう茎が黒く変色している。仕方なく引き抜けば、土の中の茎もすっかり変色していた。あぁだめだったか、私は心の中で呟きながらそれを手のひらに乗せる。短い間だったけれどありがとうね、ごめんね、また何処かでね、そんなことを話しかける。
金魚に餌をやれば、またたくまにその口が餌を呑み込んでゆく。よくまぁそんな器用に餌を食べてゆけるものだなぁと、当たり前の仕草なのだろうけれども感心してしまう。
それからミルクとココアの水替えへ。今日は娘がいない。じじばばの家へ行っている。だから私の当番。小さい声で呼びかけながら水を替える。ふたりともぐっすり寝入っているのか、ぴくりとも気配がしない。今頃どんな夢を見ているのだろう、いやそもそもハムスターは夢を見るのだろうか? ひょんなことに気がついて、私はしばし首を傾げる。

二つの弁当箱をハンカチで包み、お茶も鞄に入れて出掛けた校庭は、もうすっかり人で埋まっていた。娘と待ち合わせたジャングルジムの前は紐で封鎖されていて、私は仕方なくその横で待つ。しばらくすると、顔を上気させた娘が走ってくる。どうしたの? 放送の器具がね、壊れたんだよ! あらら、で、どうするの? うーん、わかんない。それだけ言って、娘は入場門へと走っていく。私もとりあえず隙間にシートを敷き、カメラを用意する。
BGMなしで始まった運動会。子供たちの手拍子や掛け声が響き渡る。応援団長の声は、練習で使い果たしたのかもしれない、半ば嗄れており、でもそれは頑張りの結晶で、他の子供らもそれに応える。徒競走、障害物競走、ダンス、騎馬戦、いろいろな競技が披露されていく。娘はといえば、客席と放送席とを行ったり来たり。その間に出場種目に参加し、また行ったり来たり。私は、自分の幼い頃を思い出し、つい吹き出してしまう。そういえば。私もそうだった。同じだった。放送委員の手伝いをしたかと思えば保健委員の手伝いにもかり出され、はっと気づいて出場種目に参加するため入場門へ。そんな運動会だった。こういうところは親子似ているんだな、と、妙な感慨を覚える。しかし、カメラを向けると一転、彼女は私と違うところを見せる。私のカメラに気づくとすぐさま、それが聖火リレーの最中であっても、ポーズを作るのだ。参った。笑ってしまった。こういうところが私とは全然違うのだ、と、改めて思う。私はカメラから逃げ回る子だった。カメラが大嫌いだった。ぶすっとした顔しかカメラの前でできなかった。だから残っている写真といえば、みんな、むっつりした顔ばかりだ。娘のこんな、ひょうきんな笑顔など、一度たりともしたことがなかった。
彼女が放送担当の際、放送席の真後ろに立って私は見守っていた。あれだけ練習した台詞が思うように言えない。でも隣に座った先生が、一生懸命彼女にマイクを向け、台本を指差す。それに従い、彼女も懸命に台詞を棒読みする。六年生くらいになると、「あ、今赤組がリードしています」「いい勝負です、接戦です、赤組も白組も頑張ってください!」などと、アドリブの台詞を言えるようになるらしい。中でも一人の男の子が、必死に徒競走やリレーを中継するのを見ていて、思わず私は拍手を送ってしまう。
量が多いかもしれないと思っていたお弁当は、あっという間に彼女が平らげた。私はおにぎり半分も食べないで済んでしまった。それでも足りないというので、仕方なく近くのスーパーに彼女の注文品を買いにゆく。同じようなお母さんお父さんの姿がちらほら。私は走って帰る。彼女はジャングルジムにゆったりよりかかって、おかえりぃなどと言って私を迎えてくれる。唐揚げとアイスクリームも瞬く間になくなった。さぁそろそろ午後のプログラム開始だ。
親子競技も何とか済んだ。陣取りゲームで、じゃんけんをしてどんどん走っていけばいい、というもの。負けたらスタートに戻らなければならなかったのだが、娘が全勝してくれたおかげで、私たちは一番乗りで陣地に入ることができた。もう娘は得意気だ。
でも何よりも嬉しかったのは。彼女の障害物競走だった。フラフープで縄跳びをし、網をくぐり、ボールを使って前に進み、最後跳び箱を飛ぶ。その間、彼女は怯むことなく走ってくれた。今までのあの、ちょこちょことした遠慮深げな走りではなかった。一位でゴールした彼女は、高々と手を挙げていた。私はその姿をカメラに収めることも忘れ、大きな声援と拍手を送った。すぐ前に座っていた男の子に「おばちゃん、声でかすぎー!」と言われてしまうほどだった。でもそのくらい、私は嬉しかったのだ。久しぶりに思い切り走る彼女の姿を見ることができた。それが、何より何より、嬉しかったのだ。もう大丈夫、これなら大丈夫、そう思った。
運動会中、三度ほど、眩暈を起こした。でも幸い、すぐそばにもたれかかれるものがあり、助かった。二度ほど、そばにいた年配の方に、大丈夫? と言われたものの、何とかなった。やろうと思えばできるじゃない、と、私は自分で自分に言いたくなった。眩暈くらいどうってことない、でっかい発作がおきなければ、どうってことないのだ。
帰宅した娘はそのまま、迎えに来たじじの車で実家へ。今日は水泳がある日だった。夜電話をかけると「足が痛い…」と、さすがに泣きそうな声で言っていた。でも、それでもあなたは乗り切った。えらいよ、うん、えらい。頑張ったね。そう言うと、照れたように彼女は笑った。

久しぶりに会った弟は、だいぶ痩せていた。ふたりで最近の生活のことなどを話す。彼の思っていること、最近考えていること、ふとしたときに陥ってしまう闇が、痛いほど伝わってきた。彼が冗談めかして言う。「姉貴が死にたくなってたのとは種類は違うだろうけどさ、でも、その気持ち、なんか分かるなぁって思うことが時々あって困るよ」。だから言う。「そんなもん、分からなくていいからさ、冗談でも言うなよ、そんなこと」。弟が苦笑する。そりゃぁそうだろう、あの頃の私を十二分に知っている弟からすれば、あの姉貴からこんな台詞が出てこようとは、というところだろう。私も分かっている。分かっているけれど、彼と一緒に弱気になっていたら、どん底に落ちてしまう。できることはどんなことだって手伝うから、踏ん張れよ、ここぞと思って踏ん張ってくれ、弟よ。私は心の中、何度も何度もそう叫ぶ。

朝の一仕事をしながらも、弟のことを考える。今私にできることは何だろう。私にできることとできないこと、それは何だろう。
彼は、私にとって大切な大切な弟だ。戦友だ。失うわけにはいかない。失ってはならない。でも今の私にはできないこととできることとがある、それも分かっている。だったらそれを、私はしっかりまず見極めなければならない。それは何だろう。何だろう。
自転車を漕ぎ出した私に風が吹きつけてくる。逆風の中、それでも私はペダルを漕ぐ。大丈夫、きっと何とかなる。何とかする。今までだって何とかやってきたんだ、ここだって何とか乗り越えてみせる。私は誰にともなく、呟く。そうきっと、大丈夫、何とかしてみせる。
忘れてないよ、覚えてるよ、私が一番最初SOSを出したとき、お前だけが信じてくれて、そして始発で飛んできてくれた。付き添ってもくれた。あのときのこと、私は忘れてない。今私は娘がいるから、一番に、というわけにはいかないかもしれないけれど、それでも何かあったら、止め石くらいにはなれる。きっと。
今日の海は暗い。黒い波が飛沫を上げて堤防で割れてゆく様を見ながら、私は思わず手を伸ばす。伸ばした右腕が瞬く間に、飛沫で濡れてゆく。
こんな飛沫、あっという間に乾くもの。私は再び自転車にまたがる。そして私は私の場所へ。まずは自分のことをちゃんとしなければ。でなければ助けたい人に手を伸ばすこともできない。
今日はもう始まっている。さぁ急げ。私はまず私の為すべきことをこなしてゆこう。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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