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2005年05月27日(金)

 大きく変更になった薬のせいなのか、それとも単に私自身の体調のせいなのか、どちらなのかは分からないけれども、まっすぐ歩くことがなかなかできない。でも、そんな私に、ここ近所の細道はとてもやさしい。車が通れる幅まであるところもあるけれども、基本的にすべての道が歩行者天国。私が多少ふらついていたって、危険なことが少なくて済む。車社会になるまではきっと、これらの道たちは、私たち歩く者の道だったんだろうなと思う。
 細道を歩くと、知らない人が近しい人になる。たとえば、こんにちは。たとえば、どうもという会釈。たとえば、ありがとう。人の、一番基本になる言葉がいっぱいあちこちで響きあう。すれ違うとき、それぞれに軽く会釈をして軽く微笑して。追い抜かすときは追い抜かすときで、ちょっとごめんなさいよ、や、通らせてくださーい、というかわいい声。石垣の隙間からは幾つもの雑草が芽吹き、小さな花を咲かせている。誰もそれを不思議とは思わない。蒲公英の綿毛を見つけた子は、お母さんのもとへ駆け寄って、見つけたよ、まだあった!というはずんだ声。みんながみんな、何処かやさしい。そんな輪郭が陽光に照らされてふわふわと揺れる。その様子を見て目を細め、向こうから歩いて来る杖のおばあちゃん。
 細道。近道。隠れ道。人の匂いがまだまだこれでもかというほど溢れかえる場所。私はこういう道が大好きだ。
 そんな細道を辿ってゆくその先にあるのは小さな小さなスーパー。斜め向かいにコンビニエンスストアができてからその店はずいぶんちびた店になってしまった。が、まだなくなってしまうような気配はないので私は一安心。コンビニよりもこっちのスーパーの方がおもしろいのだ。
 何が面白いって、それは店の作りだ。棚と棚との間がとてもせまくて、それは人と人が交差することができないほど。そのかわり、棚と棚の間にいると、こっそり棚を覗き込んであれこれ想像する子供のような気持ちになれる。置いてある品物も置いてある場所も半ばごちゃごちゃだったりする。だから、ここで珈琲を見つけ手にとったけれども、次の角でもっと安い珈琲を見つけ、慌てて最初に手に取ったものを売り場に戻しにゆくことが多々ある。でもそれがまた楽しい。知らない人が珈琲を元に戻そうとする私に向かって「あら、あなたも?」と後ろから笑いかけてくれたり、「あのね、あっちの方だと何々が安いのよ」なんて言葉がかかったりする。コンビニでは、そんな会話は、もちろん一つとして無い。それはそれで別に、在れば便利な場所なのだけれども、できるなら私は、こっちのスーパーのような雰囲気の方が好きなのだ。
 プチトマトと牛乳をレジで清算し、私は店の外に出る。歩き出す道は陽光にぱちぱちと照らされ、思わず額に手を翳す。今はまだ五月、もう五月。どちらにしても陽光はここぞとばかりに弾けあう。
 ゆっくりゆっくり坂を上りながら、マンションへ。エレベーターで同じ階のおばちゃんと一緒になり、両方で「今日は暑いわねぇ」「ほんとに。もう夏みたいですね」と会釈しながら言い交わす。すると、私の顔を見たおばちゃんが、あら、と声を出す。あなたどうしたの、そんなに痩せちゃって、体具合悪いの? じっと私の顔を見つめて来るので、その視線からどう逃れていいのか分からず、はい、まぁちょっと、なんてお茶を濁す。と、エレベーターを降りてから「ちょっとこっちにいらっしゃいよ」とおばちゃんが言う。何だろうと思って待っていると、「はい、これ、あなた、お魚好き? これは西京漬けなんだけど」と仰る。私は慌てて、そんな、いいですよ、と言うのだが、四切れをおばちゃんが私の手の上にほいと乗せてくれる。私は苦笑しつつ、ありがとうございます、お魚大好きなんです、娘も喜びます、と受け取る。笑顔を交し合い、それぞれの部屋へ。
 そして一時間後、またおばちゃんが呼び鈴を鳴らす。どうしたのかしらと慌てて扉を開けると、「はい、これ、ちょうどお昼だから食べて」と、あたたかい包みを渡してくれる。何だろうと思っていると「この間は私が煮こごりを頂いたから、今日は私から。これカツなのよ、ちゃんと食べて元気つけて!」と肩をぽーんと叩くおばちゃん。私は申し訳無いやら有り難いやらで、何度も頭を下げる。「あったかいうちに食べてねー!」と、おばちゃんはそう言って去ってゆく。この部屋に住み始めてからというもの、右隣、左隣、両方のおばちゃんがそうやっていつもこっちを気にかけてくれる。それが迷惑だという人もいるのだろうけれども、私はこうした小さなやりとりがとても好きだったりする。
 病気だろうと病気じゃなかろうと、元気だろうと元気じゃなかろうと、そうした小さな人と人とのやりとり。これがなかったら、さぞや味気ないだろう。私はそう思う。この部屋に引っ越してきて良かったな、と思うのは、特にこんなやりとりがあったとき。今日も思う、あぁよかったな、と。
 その日午前中は打ち合わせだったが、午後になって親しい友人がやってきた。用事と用事の合間に来てくれたのだが、もう帰らなければならないくらいの時間になっても彼女はいっこうに腰を上げない。大丈夫なの? もうこんな時間よ? そう問うと、「いいのよん、今日は特別、夜まであんたのところに一緒にいるわ」と答えが返ってくる。
 私が薬を飲んで、少し眠そうな顔をすると「ほら、寝てな」と言ってくれる。そしてしばらくして起き上がると「あ、起きた?」とにっと笑って言ってくれる。とても忙しい最中なのに、彼女は寝たり起きたりふらふらしたりする私のそばで、にこにこ笑っていてくれる。それがとても嬉しい。贅沢者だなと思う、自分のことを。
 傷はひどいけど、でも、ここ以外は絶対に切らないって約束だもんね、と彼女が言う。先生と私と彼女との約束。生き残るために必要ならば切ったっていい、でも、それはこの腕の部分だけよ、と。そうやって私に、私がとるべき責任をちゃんと渡してくれる。それがありがたい。だから、破壊衝動自傷行為が始まっても私の頭の中心の中で警笛が鳴るのだ。約束だよ、約束だよ、約束したんだからね!と。この警笛のおかげで一体何度私が救われたことか。数えきれない。そういった彼らの行為が、それは彼らにとって無意識なものなのかもしれないけれども、そういった彼らの行為にこそ私は救われるし教えられるのだ。自分を傷つけることは自分の愛している人たちを傷つける行為でもあるのだよ、だから、いつか必ず止めるんだよ、自分で止めるんだよ、と、至極当然のことなのだけれども、そういったことを彼らが私にいつも教えてくれる。だから私は踏ん張れる。
 遠い街に住む友人はメールや電話で、近くで暮らす友人はこうやって直接、私に常に語り掛けて来る。そのありがたさは、どんな言葉をもってしても語り尽くすことなどできない。しかも、中には、沈黙しながらもじっと私を見守ってくれる友人だっているのだ。
 だから思う。
 私は生きるんだ、生き残るんだ、と。
 今はこんなでも、それでも私は生き延びる。生き残る。

 いつのまにか夜があけ朝が辺りをまあるく包み込む。玄関を少し開けると、東からのぼり出した太陽が思いきりビルとビルとの谷間で輝いている。
 今日もそうやって一日が始まるのだ。私の一日。大切な、一日、一日が。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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