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2007年11月03日(土)

 友よ、具合が悪いんだって? 大丈夫?
 あなたは言っていたね、人から大事にされると逆になんで自分なんかが大事にされるんだろうと思ってしまう、と。逆に引いてしまう自分がいる、と。
 でもそれは、本当なら当たり前のことなんだよ。たとえばうちにあなたが遊びに来る。娘はあなたにつきまとって離れないよね。遊んで遊んでと。それはあなたのことが好きだから。ただそれだけ。それに尽きる。あなたはそれさえ不思議だと言った。どうしてそんなに大事にしてくれるのか分からないと言った。でもね、それは当たり前のことなんだよ。
 もっと言えば、娘があなたを好きになるだけのものをあなたは持っているということ。あなたには、愛される価値があるということ。そしてそれは、ごくごく当たり前のことだということ。
 愛される価値のない人間なんて、基本的にはいないと私は思う。愛し愛され、そうやって世界は回ってゆく。愛は巡ってゆく、流れてゆくのです。
 娘は何も特別にあなたを大事にしなくちゃと思ってやっているわけではない。そうするのが当たり前だから当たり前のことをしているだけ。
 自分は愛される価値のない人間なんじゃないかなんて思うのは、もうやめようよ。

 私の友人に、強姦された時に妊娠した子供を産んだ女性がいる。はたから見れば、それは、決して愛のある行為から生まれた命ではないだろう。でも、彼女は産んだんだ。どんな事情であれ、私のおなかの中に宿ってくれた命だからと、愛しぬいて産んだんだよ。そして今も、愛し合って時に喧嘩しながらいがみ合いながらも、立派に生きてる。
 例外ももちろんあるかもしれないけれども、愛されずに産まれて来る命などない。誰もが愛して愛しぬいて命をかけて命を産むんだ。それはあなたの場合もそう。
 もちろん、産まれてから、さんざんな目に遭うこともあるよね。実際私も、親から虐待を受けて育った。でも同時に、彼らは、私を虐待しながら愛してもいた。そういう矛盾が、私達を悩ませる。自分は愛される価値などない人間なんだと思わせることもある。
 でもね。
 そんなことはないんだ。
 愛される価値の無い人間なんて、この世にひとりだっていやしないんだ。
 だから。
 自分を大事にして欲しい。大事にすることを学んで欲しい。
 自分を慈しみ、あるがままを受け入れ、愛してほしい。
 でなければ、あなたの周囲であなたを愛している人達は、どんなに悲しむか知れないんだよ。あなたがあなた自身をないがしろにしていたら、あなたを愛している人達は悲しむんだよ。
 じゃぁどうやって大事にするのか。自分を大事にする方法なんて知らないよ、分からないよ、と言うかもしれない。
 その術はね、自分でつかむしかないんだ。残念ながら、教科書やそこいらに売っている本に容易に書いてあるわけじゃない。自分なりの方法を、自分なりの術を、自分でつかんでゆくしかないんだ、学んでゆくしかないんだ。だから、私もあなたにそれを教えることはできない。ごめん。
 でもね。
 これだけはやっぱり言いたい。
 自分が、愛される価値のない人間だと思うことはもうやめてほしい。あなたを愛している人間は、実はあなたの身近にこんなにいるじゃないか。私もそう、娘もそう。ここで言えば、二人もまずあなたを愛している人間がいる。
 愛は数じゃない。量でもない。質だよ。

 もっと世界に耳を澄まして。

 もう一度言う。
 あなたは愛される価値のある人間だ。それを決して、忘れないで欲しい。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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