2010年01月12日(火)
起き上がり、窓を開ける。いつもの闇色よりも暗灰色がかった闇色が垂れ込めている。じっと空を見つめていると、それがどんよりと浮かんだ雲のせいだということに気づく。空一面を覆いつくす雲。これっぽっちの隙間もない。気になって天気予報を見る。曇りのち雨。あぁ、雨雲なのかこれは。私は納得する。どうりで、重たげで、そしてどこかめいいっぱいという感じがする。
横に伸びた枝の先に咲くホワイトクリスマス。そろそろ切花にしてやった方がいいかもしれない。ここまで長い間花芽をつけ続けているのは樹にとって相当な負担だったろう。私は花びらを撫でながら思う。今日帰宅したら早速切って生けてやろう。そう決める。隣のベビーロマンティカはその色をますます濃くしてゆく。明るい煉瓦色から暗い煉瓦色へ、そして濃い紅色へ。咲く頃にはどんな色味になっているのだろう。
部屋に戻りお湯を沸かす。今朝は何を、と思っているとおのずと手がコーディアルの瓶に伸びていた。私は紅茶葉を入れたカップにお湯を注ぎ、薄めに紅茶を入れる。そしてそこにコーディアルのエキスをぽとり。
昨日の夜、娘が載せたのだろう、私の椅子の上には何通かの学校からの手紙が載っている。その日のうちに出せばいいのに、彼女はしょっちゅうこういう手紙を出すことを忘れる。私は苦笑しながらそれを広げて見やる。
後方ではココアの軽い回し車の音が響いている。
大家族の生活ぶりを追ったテレビ番組を、夢中になって娘が見ている。ねぇママ、切迫流産って何? ん? 切迫流産だよ、それって何? 子供がおなかから堕ちてきそうになっちゃうんだよ。まだまだ生まれる時期じゃないのに、滑り堕ちて流れて死んでしまいそうになるの。じゃぁ流産って何? 流産は、子供がまさに滑り堕ちてしまって命がなくなってしまうことを言う。ふぅぅん。そういうあなたは、最初切迫流産だったんだよ。え? そうなの? そうだよ、妊娠が分かって一週間目で、切迫流産になった。だからママは即入院になった。へぇぇぇぇ。その後どうなったの? 大丈夫だったの? うん、大丈夫だから今あなたがいるんでしょ? あ、そうか。入院して、どうしたの? 入院して、その後一応退院したんだけれども、すぐに、子宮頚管無力症だということになって、絶対安静だった。それって何? うーん、子宮口っていうところが開いてそこから子供が出てくるんだけれども、その子宮口が普通は閉じてるんだよね、だから子供が滑り堕ちないでおなかのなかにいられるの。うんうん。だのに、その子宮口が緩んできちゃうことがあるんだよ。緩んできちゃうの? うん。開いてきちゃうの。それで、子供がちゃんと育つ前に子供が堕ちてきちゃうの。また堕ちてくるの? そう。ママは何度も陣痛に襲われて、そのたんび、怖い思いしたよ。どうしよう、今生まれたら子供はまだ自分で生きていけないかもしれない、どうしよう、って。ふぅぅん。子供の頭が、子宮口より大きくなれば大丈夫なんだけれども、それまでは本当に、下手に動けない生活だったなぁ。へぇぇ。
思い出せば、異常続きの妊娠だった。母に何度、もう堕ろしなさい、と言われたか知れなかった。これで健康な子供が産めるわけがない、と母は繰り返した。それを私は頑として受け容れなかった。何が何でも産んでやる、と思っていた。と同時に。
怖かった。死なせてしまったらどうしよう、というのももちろんだが、それ以上に、私は連鎖させてしまうのではないか、ということが。父や母から私が受けた仕打ちを、私も同じように産まれてくる子供に為してしまうのではないか、ということが。怖くて怖くて、どうしようもなかった。今では或る意味懐かしい、しんどくて仕方なかった時期のひとつだ。
父親からも見捨てられ、じじばばからも見捨てられたこの命、私が守らなくてどうする、と、ただそれだけを必死に思った。他の誰から祝福されなくとも、私だけはこの命を受け容れて抱きとめてゆくのだと、そのことをひたすらに思った。恐怖と戦いながら、そのことを必死に思った。
ねぇママ、子供を産むってどういう気分? へ? 突然の娘の質問に、私ははてと首を傾げる。どういう気分。それはどういう気分なんだろう。とてつもないものをこの世に生み出す、そんな気分、か? うまく返答ができない。嬉しいとも違う、喜びとも違う、ただただ私はその偉大なモノに恐れ慄き、圧倒された。そのことがありありと思い出される。そう、圧倒されたのだ。その命の大きさに。命という代物の大きさに。
幸せではない、死合わせだった、と、改めて思う。
私が原稿を書いている横で、娘が折り紙をしている。何を作っているのかと思ったら、家を作っているのだった。一枚の折り紙は寝室、一枚の折り紙は玄関と風呂場と居間。ベッドや椅子、テーブルも彼女は作っている。そしておもむろに、彼女は劇を始めた。奴さんの大きいのが父と母、小さいのが子供、という具合。これは折り紙遊びというんだろうか、それともお人形さん遊びというんだろうか。私はくだらないことを考えながら、それをちらちら横見する。
いつの間にか居間は美容室に代わり。何故か母親ではなく父親が、母親の髪の毛を洗って染めてやっているところらしく。水がじゃぁじゃぁ流れる音を彼女が口ずさむ。その脇を子供役の奴さんがちょこちょこ遊び回っている。
大家族に憧れながら、同時に、大家族は大変だということも思っている娘。それでいながら、手の皺を数えて、私は子供を三人産むらしいよ、と言う娘。その前に結婚しないと子供育てるの大変だよ、と突っ込みたくなるのだが、結婚にはあまり関心がないらしい。それは当たり前にするものとでも思っているのだろうか。
そんなことをあれこれ思い巡らしていると、娘が突如話しかけてくる。
ママ、私が子供産んだら、ママ、何処に住むの? はい? 子供の世話してくれるなら、一緒に住んでもいいよ。・・・。
前夜作ったサンドウィッチは、卵よりツナの方がおいしかったらしく。娘が私の分にまで手を伸ばしてくる。まだ卵もツナも一枚分残ってるよ。私が言うと、それはまた別の時に食べるからと主張する。小さなツナ缶二つ、胡瓜一本、玉葱一個の割合。そこにマヨネーズと、塩胡椒を少々。また今度作ってやろうと思う。胡瓜も玉葱も、細かく細かくみじん切りにするのがコツらしい。ついでにスライスチーズを挟んだことも忘れずに。頭の中にメモしておく。
私がゆったりとお茶を飲んでいると、おはようございますともそもそ起きてきた娘がいきなり、がばりと体を構え、スリラーを踊り出す。朝から一体何をしようというのか。私は唖然とする。ひとしきり踊り終えると、彼女はすっきりしたらしく、あぁご飯食べよう、とお握りを取りにゆく。今朝のお握りは、薄い味付けご飯に鮭をまぶしたお握り。
ねぇママ。ママはひとりで私を産んだの? ん? 誰もそばにいなかったの? うーん、その時はパパがいたけど。パパ、役に立たなかったの? うーん、役に立つというか立たないというか、まぁそこには居たよ。私がそう言って笑うと、彼女は納得したようにお握りをはぐはぐ食べ始める。そして言う。ママ、私が産むときはママがそばにいてね。
天気は曇天。もしかしたら予報どおり雨が降り出すのかもしれない。窓際に寄って私は空を見上げる。いつ降りだしてもおかしくない雲の重さ。
それでも私は自転車で出掛ける。それじゃぁね、じゃぁまた後でね! 手を振り合って娘と別れる。
池にはやはり薄氷が張っており。私はそれを壊す代わりに指で触れてみる。指に伝うちりちりするような冷たさ。空と枝とをくっきり映し出す鏡のよう。
高架下を潜り埋立地の方へ。通勤してくる人がこの辺りにもずいぶん増えた。ビルが新しく建つたび、人が増えてゆく。誰もが寒さに首を竦め、足早に去ってゆく。
私は信号が青に変わったのを合図に、足に力を込める。くいっと進み出す自転車。そうしてスピードを上げ、一気に海まで。
青さを何処に失ったのかと思うほど重鈍い色が広がっている。漣も今朝はどこかどんよりとした飛沫を上げている。一羽の鴎の姿も見えない。みなきっと、海と川とが繋がるあの場所で休んでいるのだろう。
その時ぱっと目の前に飛び跳ねる魚。銀色の腹を翻し、再び海へ飛び込んでゆく。
さぁ今日もまた、新しい一日が、始まってゆく。
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