見出し画像

2009年11月10日(火)

薔薇の樹を見て愕然とする。この時期にうどんこ病になるとは。ようやく赤色から緑色に変わり始めた葉がすべて、白い斑点を負っている。参った。私は思わずしゃがみこんで頭を抱える。こんなはずじゃなかった。ちょっと前まではこんな様子、微塵もなかった。私は何を何処で油断していたんだろう。思わず目の縁に涙が浮かぶ。薬を散布してみようか。それとも切り落とそうか。激しく頭の中、火花が散る。薬はないわけじゃない。ないわけじゃないが。気づけば私は台所から鋏を持ってきており、ぱつん、と枝を切っていた。一度切り始めるともう止まらない。ぱつん、ばつん、ばつん。次々枝を切り落としてゆく。どうせこれから冬だ。枝を詰めたからといって悪いわけじゃない。薬を撒くくらいなら、枝を切ってしまおう。ぱつん。
そうしてまた、ひとまわり、株が小さくなる。それでも、何もしないよりはいい。いい、はず。
朝一番から私は何をやっているんだろう。再びしゃがみこみ、空を見上げる。昨日の夕焼けはまさに燃えるようだった。濃い黄身色に、ぐわんぐわんと燃え上がりながら、西の地平線、堕ちていった。あの夕焼けなら今日は再び晴れるはず。そう思いながら空を見上げる。晴れてくれ、そうして少しでも風を吹かせてくれ。私の気持ちが晴れるように。

病院へ行く。いつもと変わらず何より先に娘の具合を訊いてくる医者。先生は私を診ているんですか、それとも他のものを診ているんですか、思わず訊きたくなるが、訊くのも馬鹿らしくて何も言わず黙り込む。そういえばこの間痴漢に遭われたんでしたね。医者が言う。私は言われて愕然とする。思い出させないでほしい。そう思うのは私だけなんだろうか。記憶からかき消していたはずの厭な感触が瞬く間に蘇る。そして私は吐き気を催す。お母さんの具合はどうですか。お父さんの具合はどうですか。弟さんは? 次々そうやって私の周辺のことを訊いてくる医者。肝心の私のことは何も訊かない。そんなもんか。そんなもんなのか。私はぼんやりしながら先生の肩あたりを見ている。来週はカウンセリングですね、じゃぁその次の週に予約とってくださいね。はい。
診察は終わる。

ママ、明日ね、クラブで図書館行って、図書委員の仕事やるんだよ。へぇ、図書委員かぁ。いいでしょう。うん、ママも中学の頃図書委員だったよ。え? そうなの? うん。ママの中学は図書館が校舎と別のところにあってね、いつでも図書館はこう、しんとしていた。ふぅーん。
そう、校舎と離れた場所にあった図書館。最初に足を踏み入れた時、空気がいきなり何度か下がったような気がした。まだ着慣れない制服に身を包み、本を一冊一冊眺めてゆく。大学の校舎をそのまま受け継いだ中学だったから、本棚はそれなりに豊富にあった。少し陰りのある図書館を、そうして順繰り回り、私は深呼吸をしたのを覚えている。先に来ていた先輩のことを、「先輩」と呼ぶということもまだ私は知らなかった。何と呼べばいいのか分からず、頭を下げた。掃除を手伝ってくれる?と言われるまま、箒を持って、本棚の間々を掃いてゆく。細かい塵が少しずつ集まって、山になる。それを先輩がきれいにちりとりに拾い上げてゆく。
図書館は別名、二号館と言われていた。いや、その別名の方がよく呼ばれる名前だった。だから、図書館へ行こう、ではなく、二号館へ行こう、だった。今だから告白するが、私はよく、貸し出しカードに記入もせず、本をこっそり借りて帰った。新刊が入ってくれば貪るようにして読んだ。それでも足りなければ古本屋に走った。本の中には、知らない世界がこれでもかというほど詰まっており。その頃の私には、必要不可欠な存在だった。入学して間もない頃から、生意気な顔だとかでいじめられ始めた私にとって、本はだから、大切な友人だった。二号館は私にとって、唯一学校でほっとできる場所でもあった。
いつでも夕暮れのような場所だった。陽射しが何処かゆるやかに差し込んできて、淡くぼやけているような空間だった。そこで私は大半の時間を過ごした。一年の終わり、突然、掌を返したようにみなが話しかけてくれるようになるまで、私は淡々と、時間をそこで過ごした。春も夏も秋も、そこに在った。
二号館までわざわざやってきて、本を借りてゆく人は、あまりいなかった。結構裕福な家庭の子供たちが集まる学校であったことも影響していたのだろう。本は借りるものではなく、さっさと買うものだった。だから二号館はいつでも、しんとしていた。
午後、二号館で過ごしていると、周囲の音が薄いフィルターをかけて届いてくる。校庭の、クラブ活動の声。テニスコートの、同好会の声。一階では卓球部や柔道部が活動している。というのに、二階の図書館はやっぱり、しんとしているのだった。
私はそこで本を読むより、あれこれ夢想するのが好きだった。本をぱらぱらと読みながら、そこから発して、いつの間にか私はすっかり夢の中にいた。頬杖をつきながら、ぼんやり、何処を見るでもなく眺めながら、夢の中を私は走り回っていた。
ママ、図書委員って偉いんだよ。へ? 偉いの? なんで? だってね、本を借りにくる人にちゃんと借りられるように手続きしてあげるからだよ。いや、それが図書委員の仕事なんじゃないの? でも偉いんだよ。ふぅぅん、そういうものかぁ。
娘は誇らしげに、胸を張る。しんしんと一人で過ごしていた私と、胸を張って図書委員をしようとしている娘と。それは多分正反対で。私はちょっと目を細める。娘が誇らしげに、本を渡す姿が浮かぶようだった。遠慮がちに本を差し出していた私とは、これまた正反対に。

友人が、今自傷の本を読み始めたのだという。これもあれも、あれもこれも、自傷に入るのかと、改めて知らされ、呆然としたという。私のしていたことも自傷になるのかと改めて知ってびっくりした、と友人は言っていた。私はちょうど昨日、読み終えた本のことを思い出す。それは、とても読みづらい本だったけれども、後半からぐんと変化し、私は貪るように読んだのだった。アダルトチルドレンという言葉がキーになっていた。その病に逃げ込むか、それとも向き合うか、それによって全くその後が異なってくる。その姿が、描かれていた。その病気に逃げ込んで何処までも逃げ込んで、その病気を正当化してゆくのか。それとも、向き合い、受け入れ、消化して、そのことを自ら乗越えてゆくのか。
私は自分のことを思い返す。私もその病名に逃げ込んだ時期があった。私はアダルトチルドレンだから、PTSDだから、と、そこに逃げ込んだ時期が長くあった。読みながら、頷ける箇所がだから、多々あった。でも。
強姦されたから何? アダルトチルドレンだから何? PTSDだから何?
それはそれ、私の一部。全部じゃない。
そこに逃げ込んだからってそれは一時の逃避にしかなり得ず。何も解決しない。それを解決させるには外に出て改めてその全容を自らの目で確かめなければ、次には進めない。逃げ込んで、見ないように見ないように自分の目を閉じたって、何も変わらない。
私の過食嘔吐も拒食も、一種の自傷だったろう。リストカットや薬の馬鹿飲みもひとつの自傷だ。そして、それら全部ひっくるめて、私が作られている。
腕を切り裂きながらも、その同じ腕で娘を抱きしめたくなる。それもまた、私だ。

切り落とした薔薇の枝をかきあつめ、ゴミ袋に入れる。今日はゴミの日。振り返れば、うどんこ病からは逃れたマリリン・モンローの蕾が、ゆらゆらと揺れている。
ママ、もう出る時間だよ。娘がミルクとココアを手に乗せながらやってくる。ねぇ見てて、ほら! あ! ミルクとココアがちゅーしている。いや、本当は、動物の間でこれはちゅーではなく、単なる警戒なのかもしれないが。それでも私たちは笑いあう。
じゃね、ちゃんと鍵閉めてね。うん、じゃぁまた後でねー! 娘と別れ、私は階段を下りる。そうして自転車に跨り街へ。
自転車が風を切って走り出す。私は漕いで漕いで漕いで。

もう銀杏並木も、うっすら黄緑の混ざった黄金色。

ここから先は

0字
クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

よかったらサポートお願いいたします。いただいたサポートは、写真家および言葉紡ぎ屋としての活動費あるいは私の一息つくための珈琲代として使わせていただきます・・・!