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散文詩集

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#月

「真夜中のサイレン」

ふきこぼれる寸前で火を止める 真夜中のミルクは 妙に甘くなる 口中に拡がるその甘さにじっと 聞き耳を立てていると、やがて ソプラノ・リコーダーの音が 遠くからやって来る 笛吹の名前を尋ねるわけでもなく、いや、 果たしてそいつが名を 持つものなのかどうかも知らないが、知りはしないが、 わたしは 近づいてくるその音に、耳を澄ます 徐々に近づいてくるその音はいつか 二重、三重に厚みを帯びて それが四重奏に変わるその時 旋律の直中を サイレン音が横切る 月も星もない、ただ掌でくるめ

「十三夜」

月が嗤う たらり たらり 青い血が たらり   夜が 深まる 白い血が だらり   夜が 浮き立つ たらり たらり 嗤うごとに 気を遠くさせる ―――詩集「十三夜」より

「月」

それ以上欠けることも 満ちることも知らぬ月が 夜の闇に ぽっかり 浮かぶ。 男が 思う。重なり合いながらもひどく 冷たい女の唇によく似ている、 と。 女が 呻く。抱き合いながら見下ろして来る 冷めた男の眼にそっくりだ、 と。 それ以上欠けることも 満ちることも知らぬ月が 夜の闇に 浮かぶ。 ぽっかり、 ぽっかり ―――詩集「十三夜」より

「時効」

時効とは  ある事実状態が一定期間継続した場合に権利の  取得・喪失という法律効果を認める制度。一般  にあることの効力が一定期間経過したために無  効となること。 世間に明日 「時効」が訪れる 法に支配された世間が それは「時効だ」と正々堂々と宣うことのできる 「時」が 空っぽの法廷では今 明日への準備のため 時計が刻一刻 時を計っている 被告人はおろか 裁判官のたった一人の姿もそこに 無いまま、 刻一刻 時計だけが時を 計っている 次の朝、 あの日から世間に 置

「月夜」

雨粒を滴らせる窓よりも 冷えた体温では 指文字は残らない 透明なガラス窓の上 なぞってもなぞっても 描いているはずの 残痕はその欠片さえ浮かべず 諦めの意味をその時 誰が知っていただろう 月の仔さえも凍え死んだ 井戸の底で ―――詩集「胎動」より

「満潮」

あなたはわたしの鎖骨を折って これが愛の証といふ わたしはあなたの肋骨を折って これが愛の証といふ 幾つもの幾つもの愛の証 幾つあったら満ち足りるのだろう あなたの両手の十本の指を わたしの療法の乳房の乳首を ぽきぽき折って かりかり齧って ぼろくずのようになって あなたはわたしの首を絞め これが愛の証といふ わたしはあなたの喉を裂いて これが愛の証といふ そうして満潮の浜辺 波に攫われて ふたり 海の藻屑に なる ―――詩集「三弦の月」より

「呼子鳥のように」

あなたが死んだら あたしは泣くでしょう 六月の雨のように しとしとと泣くでしょう 葬列の面々が目を覆うくらい さめざめと泣くでしょう あなたのその躰の分だけ空いた 空白を今度は誰で埋めようかと まるで迷子になった猫のように 夜毎泣くでしょう そしてちょうどいい具合の 男を探し出したら 今度は男の上で啼くでしょう 呼子鳥(カッコウ)のように ―――詩集「三弦の月」より

「天井」

わたしの ゆうれいは ぴちゃぴちゃ と 音を立て あなたの ゆうれいは ぴちゃぴちゃ と 音を立て 互いに貪り合うふたつの躰を見下ろしながら 天井で無花果を喰っている ふたりして わたしの ゆうれいは もう喰い飽きた と言い あなたの ゆうれいは もう喰い飽きた と言い 汗みずくになって寝床に伸びる身体に頬杖ついて 喰い残した無花果の身を放った ふたりして ―――詩集「三弦の月」より

「骨壺の唄」

カタカタ カタカタ と 揺れて揺られて笑ってる 猫の足元 骨壺の中 下弦月夜にぶら下がり 老いた三毛猫が欠伸をすれば カタ カタカタ カタタカタ 骨が笑う 骨壺の中 カタ カタタ 他にひとつの物音もしない 静まり返ったこの夜更け あまりに骨が笑うので あまりにあなたが笑うので あたしは喰ってやることにした 一口喰んで しゃれこうべ 二口喰んで 足の甲 三口喰んで 割れた上顎 はぐはぐ はぐはぐあなたを喰って 空っぽになったら ようやく眠れる いとしい いとしい骨壺抱