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散文詩集

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#生活

「深い深い森の奥で」

深い深い森の奥で 一本の樹が 倒れる 見ている者は誰もなく 聞いている者も誰もなく ただ一本の、森を貫く道は 呆気なく裂傷し、 その時君は 眠っていた その時僕は 俯いていた 深い深い森の奥で今、 一本の樹が 倒れた 横たわる樹の下に 裂傷した一本の道 誰もいない 誰も見ていない 森の奥で ただ一羽 今空へ垂直に 飛び立った、雲雀 のみ、 そのことを 知る 深い深い森の奥で今、 一本の樹が 倒れた ―――詩集「生活Ⅰ.」より

「地滑り ブレてゆく日常」

定規などでは計れない 日々生じる誤差を辿っては 何重にも描き直されるその 輪郭線 やがて互いに 重なり合い、打ち消し合い、 君が今 溜息をついた 君が今 嘲笑を口の端に浮かべた 君が今  ―――地軸がズレてゆく 君が 君がそこにいることで 私の地軸が ―――詩集「生活Ⅰ.」より

「夢の話」

穴を掘る 夢を 見た 見覚えはある けれど 名前を忘れた何処かの街の片隅 破れた金網をくぐって 忍び込んだわたしは 穴を掘る 穴を掘る 爪が剝げ、傷む指先にもかまわずに 穴を掘る 穴を掘る 掘る掘る掘る掘る掘る掘る 穴を 掘る その時、 手応えを感じて 覗き込んでみたら、そこに 君がいたよ にぃっと歯を剝き出しにして 笑ったまま固まっている 汚れた顔の君が そんな、 夢を見た 君の隣 で ―――詩集「生活Ⅰ.」より

「骨の髄まで」

適当に嘘をつき合いましょうか おたがいに 軋んだ歯車も 油を垂らせばまた 滑らかに廻ってくれる かも 適当に逸らし合いましょうか 矛先を 射てしまったなら今空を 飛んでいた筈の鳥がこのテーブルに ぽとり 堕ちて来るかも そんなわたしもあなたも 最期は ただの白く乾いた骨になるんだし あなたが先に死んだなら 骨は隣家の犬にしゃぶらせよう そうして骨に沁み込んだあなたの 嘘をすっかり喋らせよう わたしが先に死んだなら その時は仕方ない 三途の川を渡る手前でつらつらと あな

「果実の味」

記憶は 忘れてゆくものではないのだと とある詩人が書いていました 忘れられないものが記憶なのだと そうして降り積もって降り積もって 噛み砕いて味わって それが 人生になるのだ と 忘れてゆくということに 微かな罪悪感を覚えては 一度捨てた筈の荷物を握り直していた頃合いが いつの間にか いびつながらも 薄橙色の果実になって 白い皿の上 頬張ったら どんな味がするのだろう 目の前のこの 果実は ―――詩集「生活Ⅰ」より