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散文詩集

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2020年6月の記事一覧

「 街角」

癲癇発作で突如路上に倒れ込んだ少女の周囲に 群がり始めた人の輪が どんどん膨れてゆく 膨れ上がってゆく 助けを呼べない彼女の意識の向こう側が 切ない悲鳴を上げ キリキリと 空気を震わす あぁ 見上げた天井も 雨雲に覆われ 目覚めても 逃げ場はない 彼女の叫びは 宙に浮いたまま 担架で運ばれたその後には 小さな水溜り ひとつ

「 楔 」

打ち込んだ楔の何処に 約束があったのだろう 楔が喰い込んだのは確かに 赤茶けた土中だった けれど 楔が打ち込まれたその場所は ひとつの胸元 だったのだ それでも一瞬にして止まることのできない 呼吸が ぜぇぜぇと 音を洩らしながら 赤茶けた その土の中に 吸い込まれてゆく 紅色の血脈を 明日は誰かが 何も知らずに 踏みつけてゆく

「 流 」

何処から来て 何処へ流れてゆくのか 川下へ 川下へ 時折傾きながらも行き過ぎてゆく 流木の もうずいぶん前に 途絶えたのだろう 息遣いがそれでも 聴こえてくる 決して抗うことなく 川下へ 川下へと 流れ続ける 沈んでしまうにもまだ遠い 彼方の時間が 横たわる 川縁で はしゃぐ子らの声が その息遣いに乗り 風になる

「行く手の花火」

飛び散った火薬の匂いが 風に流され ここまで届く 一瞬前の 大輪の花火は もうその影もなく 夜空はしんしんと ただ そこに在る 風に乗り、やがて 街を つつむ

「 木霊 」

誰かが呼んでいる 道草も終わりに近づいた頃 誰かを呼んでいる 微かな風にも 開きかけた尾花を揺らす 薄の 遥か向こうから それが 呼び合う声か ただ呼びかけただけの声なのか 知らない私は 薄が揺れる その 足元に うずくまり じっと 聞き耳を立てている

「夕暮れ」

あのね あのね 誰にも言わないって約束してくれる? そう言って広げた少女の掌には 汗ばんだ御影石 ひとつ これ ね あと三つ見つけたら お墓を作ってあげるの 友達だったの 一緒にいつも一緒にいたの 私より小さかったのに 先に死んじゃったの 仔猫の お墓を作るの それだけ言うと 茜色に染まった坂道を 一気に駆け下りていった また逢うことはあるのだろうか 最後の一言が どうしても気に懸かる 私 ひとりぼっちになっちゃった

「行く先は」

どこから来たの 尋ねても 少女は返事をくれない どこから来たの うつむいた両の頬に 浮き出た血管の あまりのその細さ すっと 音もなくしゃがみこんだ十字路には 何の標識もなく 行く当ては 思いつかない

「名前の無い」

名前の無い 顔がいくつも 拡がってゆく 街を埋めてゆく 呼び合おうにも 呼びかける名前がそこにはなく 躊躇って でも 振り返って 呼び止めようと思ったのに 呼びかける 呼び止める その術がない 幾つもの顔が 私の傍らを行き過ぎてゆく 時に肩にぶつかり 時に足に躓く けれど 名前を持たない顔と顔が 向き合う その場所がない 身体の何処が触れ合おうと 視線の何処が交差しようと もはや 取り返しようのない 欠落が 見上げる空に立ち込めた雨雲のように この街を 呑み込もうとしている

「 居場所」

自分の居場所を確保するために 押し退けて押し退けて 怒らした肩でもって 撥ね付けては撥ね返され 撥ね返されてはまたさらに 撥ね返す 繰り返しの音色は この二本脚が立つ場所さえも示さず 流れてゆく 奏でられてゆく ひしめき合うならいい 寄り添い合うならいい それも出来ないくらいに もう 場所が残ってはいない 他人の庭に入り込み どうにか 一夜をやり過ごすことで 生き延びる

「 群衆 」

選び抜かれた者が成す軍列が 闊歩する 眼前を 何の根拠もなしに ゆき過ぎてゆく 眼前を 私の 見送る群衆の シュプレヒコールは まるで勝ち誇った声色で けれど一体 その心の内は 聴こえない声は 何の意味すらも持てない 周囲の歓声に引きずられて 思いもしなかった言葉で 今度は 内声の群衆が 列を成す

「 崩れゆく地平」

壊れた。昨日まで座っていたはずの椅子 壊れた。プラットホームに喰い込んだ爪先 壊れた。逆立ちをはじめた腕時計 それは今日も、 今日も、今日も 壊れる、壊れ続ける 私を取り囲んでいる事象は 妄想に浸食され 赤い靴をはいた踊り子が描く 弧線に沿って、今、 日没が 始まる

「 本能の崩壊~限界点」

適度な温度と 適度な酸素に水草 揃いも揃った好条件のもと 三〇センチ四方の狭っこい水槽の中で 増殖は見事な放物線を描き うなぎ登りにのぼってゆく それが と或る一点に達した とき 増殖しすぎた魚たちが 闘争を開始する 朝昼夜 止むことなく 一匹 また一匹 と 白銀色の ぷっくらとした腹を ひっくり返し 私の眼の前に どうぞと言わんばかりに 晒してくれる まさか 飯の付け合せに する気にもなれず プランターの隅に 仕方なく埋める のだが 一体何時になったら 止むのだろう 彼ら