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中期ビートルズと村上春樹

音楽としての「ドライブ・マイ・カー」について。

①中期ビートルズと村上春樹

「ドライブ・マイ・カー」は『女のいない男たち』に収められている短編なのただけれど、この小説と映画に、ビートルズは出てくるか、というと、全く出てこない。
映画のラストにもしや、と思われる場面があるが、なにか別の歌謡曲のようなものが流れているだけだった。どうやら著作権の問題で許可が降りなかったようだ。(ビートルズの著作権はかなりややこしくて有名)

「ノルウェイの森」のようにヒロインの直子がタイトルを口にし、その誤訳からくる幻想をつぶやくでもなく、レイコさんが狂ったように弔いとしてビートルズナンバーを弾きまくるわけでもない。そのアンサー小説と言われる「イエスタディ」(「ドライブ・マイ・カー」と同じく『女のいない男たち』収録)のように木樽という、キズキの変形のような友達が奇妙な関西弁の替え歌を歌うわけでもなく『カンガルー日和』の短編「32歳のデイ・トリッパー」のようにサビが主人公の「僕」の脳内を駆け巡って〆となるわけでもない。

それでも先に上げたようにビートルズナンバーの「ノルウェイの森」でベストセラー、しかも代表作としても挙げられがちな本を出した作家がわざわざまたビートルズナンバーのタイトルをつけたことに意図がないわけがないと私は思う。

村上春樹が扱うビートルズナンバーは中期が多い。

ビートルズはデビューから解散までの10年足らずの歴史をおおまかに初期、中期、後期とわけて語られる。

モノクロの歴史的映像として残っているような、少年を思わせるスリムな体型、女の子たちの悲鳴のような歓声の中で、アイドルとして世界を駆け巡っているの初期。

ドラッグの洗礼を受け、世界的なスターとして勲章もバッシングも受けながら身体に少しずつ男性としての肉付きも見られ、触れる楽器や機材たちの多彩さに合わせて表現力も豊かになっていく中期。

20代であるにも関わらず世界の中を走り続けた疲れからなのか髭や眼鏡に覆われ、気だるい雰囲気でいながら、ジョンはヨーコと運命的に出会い、その受難を受け入れるように美しくメロディアスに歌うポール。レノン・マッカートニーを凌ぐほどの傑作を作り始めたジョージとそれぞれの才能がひしめき合う後期。

多くのリアルタイムの方々のイメージにあるのは初期だろう。
66年日本武道館での来日公演は実質時間的には中期にあたるが、文脈としては初期の延長として女の子たちの絶叫と混乱の厳戒態勢で迎えられた。

また、ロックロールというジャンルを頻繁に聴かないクラシック好きのような層にとっては「レット・イット・ビー」や「ロング・アンド・ワインディング・ロード」などのメロディアスな後期の曲がスタンダードだ。

そのなかで、わりかしメジャーな初期でもなく音楽の教科書に載ってそうな後期でもない。ロックファンやビートルズファンでないと知らないような中期のタイトルを村上春樹はわざわざ選んでくる。

特に中期のスタートと言えるアルバム『ラバーソウル』は『1973年のピンボール』に印象的に使われ、そのなかから中編小説「ノルウェイの森」、『雑文集』でのエッセイ「Nowheremanどこにも行けないひと」そして今回の短編小説「ドライブ・マイ・カー」の3曲がタイトルになっていると考えると、このアルバムは特に彼の文学性と相性が良いのだろうと思う。

「イエスタディ」も初期の終わりの集大成とも言え、ほぼ中期にさしかかってるし「蜂蜜パイ」(『神の子どもたちはみな踊る』収録)の下敷きと言える「ハニーパイ」も『ホワイト・アルバム』を後期の始まりというより、中期からの過渡期と考えれば、そして「32歳のデイ・トリッパー」の「デイ・トリッパー」もいかにも中期の曲。
そう考えると村上春樹作品のビートルズナンバーは、ほぼ全て中期のグラデーションの中に位置している。


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