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晩年を始めることにした

私は天才なので17歳で山田かまちのようにギターに感電とかして死ぬと信じていた。エレキギターを持っていないことが幸いしたのか私は生き続けて、彼のカラフルな色彩のプリーズ・ミスター・ポストマンの水彩画を見ながら、彼が好きだったビートルズを聴いたりしてるおばさんになった。

30歳の頃、お腹の中にいる息子の出産を目前にしながら、たぶん60歳で私は死ぬだろうと予測して30歳の現在を人生の折り返し地点と決めることにした。村上春樹の初期の短編にカンガルー日和あたりに入ってる作品にそんな男性がいたのだ。

ジョン・レノンは40歳で凶弾に倒れ、そこで彼の人生は終わった。私もきっと40歳になるときに死ぬような気がした。少なくともその後の生涯は老後であるような気がする。40歳になる瞬間に一緒にいてくれたビートルズ友達Tは、その2年後に54歳で亡くなった。彼のことは昨年、ジョンの命日のこの日に書いたので、今年の今日は別のビートルズ友達Kについて書こうと思う。彼もこの夏に57歳で亡くなった。

彼はTよりも先に、というか1番最初にできたマニアックなビートルズ友達で、それは私にとっても幸運なことだったと思う。その後、ネットを通じて多くのビートルズファンを名乗る男性から連絡が来たけれど、出会い系と勘違いしている人、女ごときにビートルズが、特にジョンの本質がわかってたまるかと侮っているところがあって、そのくせビートルズの知識は薄っぺらくてどっかの雑誌から引っ張ってきたものの受け売りだらけ。

Kの視点は偏りすぎていたとはいえ、正真正銘彼自身の感性からの、彼だけが語ることのできる言葉たちだった。

彼が最初に紹介してくれた本はジェフ・エメリックさんのリボルバーからスタートされた彼のキャリアについて綴られた本で、私はすっかり興奮して、以後、Kからのメッセには優先的に応えるようになった。それは5年近く、彼が亡くなる直前まで続いた。

最期のやりとりは、イフアイフェルというジョンのバラードのデモ音源で、本来ポール担当の高音を必死で出すジョンが、途中、別の曲に脱線したりする様子がおかしくて、先に亡くなったTのお気に入りの曲でもあり、私たちは懐かしくていつまでもその話をしていた。そして、彼は夏バテかな、身体がダルいなとボヤき、2週間もせずに亡くなった。

Tの亡くなりかたとほぼ同じだった。ふたりとも死を意識せざるを得ない大病を患っていたとはいえ「なぜこんなに身体がダルいのだろう?おかしいな」と私にこぼしたまま、あっという間にジョンのいる世界に渡ってしまったのだ。ふたりとも死ぬつもりなんて全然なかったし、死ぬ準備だってほとんどしていなかった。突然、死がやってきたのだ。

ジョンレノンや山田かまちと同じように、彼らにも晩年はなかった。

突然、人生が終わった。

それは珍しいことではない、ということを私は身近なふたりのビートルズ友達を通じて、身を持って知った。教えてくれた、と言っても良いのかもしれない。

私の人生だって、明日、もしかしたらこの瞬間にも終わるかもしれない。

私は今日2021年12月8日から晩年を始めることにした。


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