スワンプマン母さん
先日長女さんと雑談していたら、理想の死に方の話になりました。
私はずっと、火葬は環境負荷が高いと思っています。しかし皆が皆その辺で死んでたりしたら衛生上良くないし、土葬できるような場所も平地の少ないこの日本では難しいし、非現実的なのはわかっております。
しかしもし自分が「好きな死に方」ができるのならば、富士の樹海みたいなその中でも沼っぽいところを探して、全裸になって倒れたい。いや、全裸は恥ずかしいからなんか麻袋みたいな服を着とこう。そしてそのまま死んで、亡骸が動物に食べられた後は微生物に食べられて、自然に還りたい。
気づけば娘相手にそんなことを熱弁していた、52歳の初夏でありました。
娘は「でも私はお墓参りしたいから、できればママにはお墓に入ってほしいなー」と言いつつ、「ママはまるでスワンプマンみたいだね」と笑いました。
スワンプマンって何?ウイングマンの親戚?
娘はスワンプマンの説明をしてくれましたが、難しかったです。どこでそんな知識を仕入れてくるのだ、この娘は。
お母さんは理系なので、「なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。」というところで、「んなわけあるかい」と脱落です。まあ、思考実験じゃないか気楽にやろうぜ。
哲学者さんって、面白いこと考えますね。つまり「私」が「私」であるための条件とは何ぞや、ということなのでしょうけれど。確かに「私は私だよ!私!」と言ってみても、周囲に否定されたら私であり続けることは難しいかもしれないし、だんだん私が私なのかどうかの自信が無くなっちゃうかも。
それはさておき
沼でうっかり死んじゃったら、雷落ちて生まれ変わっちゃうかもという危険性があることはわかりましたので、娘の言う通りとりあえずお墓に入ろうと思いました。って、そんなわけあるかいーーー!
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