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スワンプマン母さん

先日長女さんと雑談していたら、理想の死に方の話になりました。

私はずっと、火葬は環境負荷が高いと思っています。しかし皆が皆その辺で死んでたりしたら衛生上良くないし、土葬できるような場所も平地の少ないこの日本では難しいし、非現実的なのはわかっております。

しかしもし自分が「好きな死に方」ができるのならば、富士の樹海みたいなその中でも沼っぽいところを探して、全裸になって倒れたい。いや、全裸は恥ずかしいからなんか麻袋みたいな服を着とこう。そしてそのまま死んで、亡骸が動物に食べられた後は微生物に食べられて、自然に還りたい。

気づけば娘相手にそんなことを熱弁していた、52歳の初夏でありました。

娘は「でも私はお墓参りしたいから、できればママにはお墓に入ってほしいなー」と言いつつ、「ママはまるでスワンプマンみたいだね」と笑いました。

スワンプマンって何?ウイングマンの親戚?

娘はスワンプマンの説明をしてくれましたが、難しかったです。どこでそんな知識を仕入れてくるのだ、この娘は。

スワンプマン(Swampman)とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した思考実験。思考などの心の状態や発話の内容を主体がその時とっている内的な状態だけでなく、来歴にも依存するものとして捉える彼の理論への可能な反論として提唱された。ルース・ミリカンの目的論的意味論などの同じく歴史主義的・外在主義的な志向性や内容の理論への反例としても論じられる。スワンプマンとは「沼 (Swamp) 」の「男 (man) 」という意味の英語。

思考実験の詳細
ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える。沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

Wikipedia 「スワンプマン」より抜粋

お母さんは理系なので、「なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。」というところで、「んなわけあるかい」と脱落です。まあ、思考実験じゃないか気楽にやろうぜ。

哲学者さんって、面白いこと考えますね。つまり「私」が「私」であるための条件とは何ぞや、ということなのでしょうけれど。確かに「私は私だよ!私!」と言ってみても、周囲に否定されたら私であり続けることは難しいかもしれないし、だんだん私が私なのかどうかの自信が無くなっちゃうかも。

それはさておき

沼でうっかり死んじゃったら、雷落ちて生まれ変わっちゃうかもという危険性があることはわかりましたので、娘の言う通りとりあえずお墓に入ろうと思いました。って、そんなわけあるかいーーー!

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