見出し画像

想像力の行方

2020年4月30日。4月最終日。まったくもって異様な4月だった。そんな4月の最終日は明日から始まる5月の準備であっという間に過ぎ去った。

緊急事態宣言がどうやら延長されそうだということで、5月の予定が大きく変わった。方々から相次ぐ連絡に応対しては最善の対策を考える。もちろんトラブルも起きる。こういう時、私は以前に比べてずいぶん逞しくなったと思う。

ヨガ講師としても、イベントプロデューサーとしても、外出ができないということは仕事に大きく影響する。だから対策のために一応は様々な状況をイメージする。でも、悪い状況を明確にはイメージしすぎないようにしている。人は、イメージしたことはしていないことよりもずっと実現しやすい生き物だ。だから、最悪の状況をイメージすると、無意識にその方向へ流れようとしてしまう。たとえ最悪な状況に至っても、「想定しておいてよかった」と納得できるという点ではいいかもしれないけれど、やっぱり最悪な状況は避けたいから、あまり強くはイメージしない。

その代わり、なにが起きてもたいていのことは経験と想像力でなんとか収束できると考えるようにしている。悪いイメージをした後には、収束できる自分もセットでイメージする。この思考パターンがすっかり沁みついてから、私はほとんどうろたえなくなった。ときどきため息はつくけれど。

というわけで、ため息をこっそりつきながら、息子の要求に応える。1歳半の息子はとにかくよくおしゃべりをする。ただし宇宙語で。本人はものすごく真面目になにかをはっきりと要求しているのだけど、これがまったく理解できない。母親ならわかるものだと思っていたけれど、今のところはほとんどわからない。息子としても、母がなぜ理解できないのか信じ難い様子なので、がっかりさせまいとここではものすごい真剣にありとあらゆる想像力を働かせる。(うーん、冷蔵庫をさっき開けた時に息子の好物が見えたのかもしれない。ということは、ヨーグルトが欲しいのか!)「はい、どうぞ!」「ちがうー!かあたん$%&(&!ちょーだい!」「えーーー」このやりとりを何度も何度も繰り返している。

無事に息子の要求に応えることに成功し、明日から始まる新たな仕事の準備のために三脚を取り出したら、その様子を見ていた息子はすぐに撮影だと想像したらしく、テキパキと部屋を片付け始めた。その想像力と行動力をひとしきり褒めて、アシスタント気分を壊さないようにちょっと撮影ごっこをする。親の行動をよく見ているので、撮影スタートの合図をしたがる。カメラがまわったら静かにと指示までしてくる。なんて愛おしい生き物なんだろうか。

今日も仕事をしながら息子と向き合って、1日の終わりにはぐったりしながら、どちらも中途半端になっていないかとつい考えることはなかなかやめられない。きっとこれは多くの親が経験してきていることだと自分を励まし、できたことを数えて、十分だと考えるようにもする。この状況では、すべての人々に自己受容が必要だと思うから、自分も例外にしないように心しておく。

さあ、明日はどんな日になるだろう。スケジュールなんて、今や自分の意思とは無関係にどんどん変わっていくこの世界で、明日の私はなにができるだろう。わくわくできる想像をして、今日を終えよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?