帝王切開の記録 1回目
はじめての帝王切開 今から7年前
断片的にしか覚えていないのが正直なところ。
ただ 不安というよりは 楽しみという想いが強かった。旅に出る感覚に近い。わくわくウキウキしていたから ハイテンションだったんだと思う
35w4dで陣痛がきたから、このまま下から産まれてこないなら帝王切開です、
と、あれよあれよといつのまにか手術台に横たわっていた私。
オペ室のライトに 微かに映る、私の腹部をじっと見つめていた。
もうすぐ産まれますからねー。と
「オギャー」
あらあっという間。
帝王切開で泣く子は珍しいです。元気な証拠です!と執刀医
気づいたら 病室のベッドの上で その夜は激しい頭痛が襲ってきた
痛すぎて ヘルタースケルターの沢尻エリカみたいに叫んだ。勝手にベッドのギャッジをしたら
「頭上げないでください!」と 助産師に怒られた記憶は残ってる。出産後、次の日にはNにいる娘に会いに行かされる。強制的に。車椅子で。まだ腹部は痛むし、生まれたての子鹿のように立てることも難しい中、行かされる。寝てるなんて許されない。夜間、Nにいる娘に会いに行った。保育器で寝ていた娘。車椅子から立ち上がらないとうまく見えない。クララが立った状態。クララなんてまだいいほう。立つと、縦に切った腹部の傷が疼く。腹筋って大事。数秒立つのがやっとのところ Nの看護師が「抱っこしますか?」ときつめに言葉を放った。今思うと別に私に対してキツい言動したわけではなく、Nという新生児の集中治療室、危機感がいつも隣り合わせ。母体まで労ってはいられないのだろう。常にNではアラームが鳴り響いていた。
「今日は(立てない)ので抱っこは無理です」
立てないこと、少し情けなさを感じた
産後、3日目には院内の売店に立って歩いて一人でいけるようになっていたので人間の回復力というのは素晴らしいわね。
が、腹痛に襲われる。トイレに駆け込む。歩行ができるようになり、また帝王切開のため絶食していた食事を再開したことにより、腸が動き出した。うんこしたいのに出せない。私は産後、売店に来たさきのトイレで倒れてしまうのか…
と冷や汗ものだったが落ち着いてなんとか病室に戻ることになったものの…
この違和感。the 便秘。直腸を刺激するつまり肛門を刺激すると出やすいのでコットンにオリーブオイルを染み込ませて、肛門に塗布したものの、刺激されず。
うんこが出ないとこんなにも苦しくなるのね、初体験。
トイレに行き、ナースコールし
「摘便してください!!!」と懇願
「?」看護師さんの困った表情今でも覚えている。おそらく、患者に「摘便して!」と頼まれたことがなかったのだろう。
摘便の代わりに便秘薬という名の座薬が処方されなんとか無事に腸から排泄物を脱出させることに成功した。
その後は、余裕のよしこちゃんで日常生活に戻る。帝王切開の傷口は良好だった。ただ、縫いあとが1箇所曲がっていたことが気になったくらい。
いつのまにか退院しており、毎日、Gいる娘に会いに行った。
これが私のはじめての帝王切開。
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