世にも奇妙な、親の愛
父が亡くなってから、しばらくして、考えたことがある。
まさかね、とは思う。
そんなわけないか、と。
でも、否定もできない。
そんな、不思議な出来事を少し話したい。
***
7月に、私は少し体調を崩した。大したことないと思ったけど、念のため近くのクリニックに行き、簡単な検査を受けた。
検査の最中、先生は急に黙って、しばらくの沈黙のあと聞いてきた。
「最近、検診は受けていましたか?」
私は、もうだいぶ長いこと受けてないと伝えた。
「なるべく早く、大きな病院でちゃんと診てもらってください」
と、先生は言った。
そこには、ただならぬ感じが漂っていた。
もしかして、ヤバい病気かも?
次の週、大学病院に行くと、さらに詳しく調べるために検査入院をすすめられた。麻酔を使ってする、大掛かりな検査である。
これはもう、ただ事ではない。
先生の口ぶりからは、よそよそしい感じがしたし、治療計画の話の時、ちらっとだけど、癌の治療法の名前(後で調べてわかった)が出てきた。
そして、偶然見えてしまった、紹介状に書かれた「腫瘍」という文字。
私は確信してしまった。
検査の結果待ちの間、毎日眠れない日々を過ごした。食欲もなくて、どんどん痩せていくし、体調もおかしかった。
私はそう遠くない未来に、病気で死ぬのかもしれない。親より先に死んでしまうなんて。子どもも産めず、旦那さんに、ただ迷惑をかけて死んでいくなんて。
絶望だった。
思い悩み過ぎて、もう最後のほうは、
長く生ければいいってもんじゃないんだ!
短くても今までいい人生だった!と、
静かに諦めようとしたくらいだ。
しかし、検査の結果は思いもよらないものだった。
「何もありませんでした。癌もポリープもないですよ」
え!嘘!
あんなに皆、思わせぶりだったのに?
(思わせぶりの使い方が違う)
クリニックの先生が書いた紹介状には、はっきりと、腫瘍がある、と書いてあったのに?癌の治療法が先生の口から出てきてたのに?
それが、何もないなんて。
なんてこった。(これも使い方が違う)
へなへなと力が抜けていった。
***
検査入院をしたのが7月末。
父が急に体調を崩し、入院したのが8月の初め。
私の検査結果が出たのが8月の半ば。
父が亡くなったのが9月の初め。
この時系列をみて、私は思う。
もしかして、父は最後の力を振り絞って、自分の命と引き換えに、私の病気を治してくれたのでは?
いやいやいや、そんなこと、あるわけない!
ないないない!!!
自分の考えに、自分でつっこんでしまう。
私は、スピリチュアルな話は好きだけど、
そこまで信じきってはいない。
けれど、絶対に違うとも言い切れない。
だって、確かめようがないから。
そして、これは捉え方の問題、単なる意味付けに過ぎない。
でも、私は、そう思わずにはいられない。
人間が不器用で、ろくでもなくて、全てが空回りしていた父が、最後にみせてくれた本物の優しさだと。
私がただ、そう思いたいだけなのかもしれない。それでもいい。
親の愛は、子どもが思っている以上に偉大なんだと、多くの年上の人が言っているけれど、それは本当みたいだ。
世にも奇妙な親の愛。
父の愛はわかりにくくて、最後まで、私を振り回したけれど、私はその愛を一身に受け取った。
ありがとう、と伝えたい。
お父さん、ありがとう。
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