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萩の月と包む文化

実家に帰るついでに、
足を伸ばして仙台に行きました。

東北生まれのくせに、仙台にはほとんど行った事がなかった私。

大好きなサンドウィッチマンがお出迎え



さすが、大きな街でした。

自然以外何もないことで定評のある東北ですが、こんなに栄えてる街があるなんて!
(断じて東北をディスってるわけではありません。笑)

そして、仙台は街の中心部にとても緑が多い。
「街路樹」と聞いてイメージする木の5倍くらい立派な木が並んでいて、街の中を歩くだけで、なんだか癒されるのです。

木漏れ日の美しい定禅寺通り



甘いものも沢山食べました。

ずんだもちを食べ(エンドー餅店のづんだ餅は枝豆の風味が活きていて、プチプチとした食感も美味)ずんだシェイクを飲み、

「エンドー」のフォントが可愛い


お土産には萩の月も欠かせません。


仙台銘菓「萩の月」は、丸いカステラの中にカスタードクリームが入った、なんのことはない、よくあるお菓子ですが、

子どもの頃、たまにお土産でもらえると嬉しくて、ちびちびと大事に食べたことが思い出されます。



今も萩の月に対する思いは変わらず、ふわふわのカステラと優しい甘さのカスタード、手にすっぽり収まるくらいの丸い形、どこをとっても、これ以上の組み合わせはないと思います。


萩の月は過剰包装なのか

そんな萩の月ですが、一つ一つが小さな箱に収まっていて、今時すごい過剰包装だなぁと感心(?)せずにはいられません。

箱の中に箱が詰まってます。



小箱を開けると、今度はビニールのパッケージがあらわれ、そのパッケージを破くと、さらに薄いフィルムに包まれて、やっと萩の月に辿り着きます。

箱の中身(内側にはさらにフィルムが!)



この箱入り娘感こそが萩の月!と私は思うのですが、たしかにちょっと過剰かもしれません。
何か理由があるのかな?と調べてみると、Wikipediaには、こんなことが書かれていました。

◇箱入りの理由→もともと萩の月は飛行機の
国内線で出されるお菓子だった。当時、
飛行機は富裕層やビジネス向けのもので
あったので、萩の月も箱に入れて高級感を
演出した。

◇二重のフィルムの理由→脱酸素剤の効果が
薄れないよう、しっかりしたフィルムで
包むことが欠かせなかった。

ってことらしいです。国内線の機内菓子から有名になったとは知りませんでした。

私の予想では、長旅でスポンジケーキが潰れないように、箱に入れてるのかと思っていました。
(多少なりともそういう意味合いもありそうですよね。)


相手への思いやりを包む

最近はSDGsで、簡易包装がすすめられていますが、これはなくしちゃいけない!というものってあると思います。

例えば、お金を渡すときポチ袋に入れること。
裸のまま、ぽいっとお札を渡されるのは味気ないでしょう。同じ意味合いで、水引きもいろんなデザインがあるのは良いと思います。

また、デパートの熟練の店員さんが、ものすごい速さで寸分の狂いもなくギフト包装していくのは、職人芸としか言いようがなく、日本の文化だなぁと思います。

こうしてみると、この包む文化は、なんでもかんでも過剰に包むわけでなく、相手に対する気遣いや思いやりを形にしているものが多いと思います。

だから、かつては、家で食べるためのお肉やお魚は計り売りで、経木に包むだけでした。これぞ素晴らしき簡易包装。


人にあげるものは丁寧に包み、日常のものは簡素なもので済ます。このメリハリこそが、これからの時代にフィットしているように思います。


萩の月も、家庭用に箱なしバージョンも販売してるんだとか。用途に合わせて買うと良いですね。

包むことの意味

ここまで書いて、ふと頭に思い浮かんだ小説の一節がありました。私の大好きな吉本ばななさんの「虹」という小説です。

きれいなリボンで飾られたプレゼントの意味とは、決して物質的な意味ではない。そんな贅沢な時間を何かにそっと包みたいという人の心なのだ。終わりが来るなんて永遠に思わずにいたいという祈りなのだ。

小箱に包まれた萩の月は、私にとってまさに、 
旅という贅沢な時間を象徴していました。

仙台で過ごした楽しい思い出を、そっと包んでそのまま置いておきたい、萩の月はそんな思いがあふれるお菓子なのでした。






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