推しメンと栗の渋皮煮
秋は物悲しい季節です。
私の推しメンが天国へ旅立たれてしまいました。
三遊亭円楽師匠。
私が彼と出会った頃は、円楽さんではなく、まだ楽太郎さんでしたので、ここではそう呼ばせていただきます。
大好きだった楽太郎さん。
子どもの頃、好きな色を聞かれると紫と答えていたのは、楽太郎さんにルーツがあったんだ!と、今さら気付きました。
笑点は、多くの方にとって日曜の夕方の憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれる番組ではないでしょうか。私もそのご多分に漏れなく、心のオアシスでした。
遡ることウン十年前。中学生の頃、膵臓炎にかかり、3か月ほど入院したことがあります。
そこは家から車で二時間以上の場所にある病院だったので、家族が来てくれるのは週末だけでした。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、日曜の夕方に家族が帰ってしまうと、さみしい気持ちにならないように、いつも笑点を見ていました。
楽太郎さんと歌丸さんの軽快なやりとりに、夢中で笑っていました。
淋しい気持ちが吹き飛ぶのはそのときだけで、番組が終わるとやっぱり淋しくなるけれど、
ただでさえ夜の病室って、暗くてしみったれているのです。
少しでも笑わないと、乗り切れなかった、と今ならわかります。
楽太郎さんの毒舌は、ほのかに私の心温めてくれました。
病気にも負けずに、最後まで高座に立った楽太郎さんの姿にはやっぱり泣けました。
ご冥福をお祈りします。
そう、秋は物悲しい季節です。
美味しそうな栗をいただいたので、渋皮煮を作ってみたものの、作るのは3時間、食べるのは一瞬。
その苦労も知らずに、一口でパクパクと食べられてしまうと、切なくなるのです。
一粒一粒が愛おしすぎて、作った本人ですら、もったいぶって食べているというのに。
一粒一粒となくなっていく渋皮煮に、物悲しくなっているというのに。
期間限定に弱い日本人にとって、栗は、特別な、みんなが大好きな食べ物なんだと実感するばかり。
栗が一年中食べれるようになったら、栗が大好きな人は少し減るかもしれません。
秋は物悲しい季節です。
人はいつか旅立つし、
栗は食べればなくなります。
この二つを同じように並べては駄目な気もしますが、まあ、要は、世の儚さ、諸行無常を感じるのが秋ということで。
一つ言えるのは、人はいつ自分の人生がおわってもおかしくない存在であること。明日があるのは当たり前ではないということ。
だから、私は悔いのないように、
美味しい栗を食べるのです。
(しょーもなきオチですみません )
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