見出し画像

哲学の国際ワークショップを開催したら大変だった - 概観

 このnoteは、ウィトゲンシュタイン研究者の槇野沙央理という人が、研究仲間と国際ワークショップを開催したら色々と大変だったという話です。普段ない経験をしたので、備忘録として残そうという気持ちと、今後似たような取り組みをしようとしている人のために、役に立つだろうという気持ちから執筆しています。

ワークショップ概要

  • ワークショップのタイトル:Reconsideration of Wittgenstein’s cultural background and context

  • 趣旨:ウィトゲンシュタインの国際ワークショップの開催および、国内外の哲学者のネットワーキング

  • 開催場所:東京都立大学

  • 日程:2024年9月20日(金)から9月22日(日)

*以下は、当初、有料で公開していた範囲です。

ワークショップ開催前までに考えたこと

日本と海外との「常識」の違い

 私は日本生まれ日本育ちであり、海外への長期滞在経験はない。(長くて1ヶ月くらい。)国際学会には何度か参加してきているが、生活において全く異なる文化の中に長期間置かれたことがない。そのため、驚いたり、苦痛に感じられるようなことが頻発した。
 具体的には、

  1. 応募者が、アブストラクトの字数の目安を守らない

  2. サイトにはっきり書いてあることを何度も聞いてくる

  3. 五月雨式に繰り返し質問してくる

  4. こちらの負担が増しそうなことをカジュアルに尋ねてくる

  5. 勝手にファーストネームで呼んでくる

等々がある。これらは、一つ一つは些細なことに過ぎないが、複数積み重なることで確実に私のストレスとなった。

 先に言っておくべきことは、私は上記を苦痛に感じたが、その理由をあくまで「常識」の違いに認めている。(部分的には私がアジア系女性であることと関係しているだろうと思うので、それについては以下で述べる。)だから、上記の行為を、そのまま「迷惑行為」としてジャッジするつもりはない。(とはいえ、程度の問題というのはある。)

 特に、5番目の「勝手にファーストネームで呼んでくる」は、国や文化によっては、むしろ推奨されるべきことだとされている。しかし私は、自身のファーストネームを、相手から確認なしに呼ばれることをあまり快く思っていない。その理由は、馴れ馴れしいと感じるからであり、また、使用人のように便利に扱われやすいという実感があるからだ。
 (9/24追記:実際に相手と会ってみて、話してみると印象が変わる。対面でにこやかにやりとりできる相手から、ファーストネームで呼ばれることに抵抗はあまりない。とはいえ、会ったことのない人とのメールのやり取りの中で用いられる呼称に関しては、できるだけ丁寧にしてほしいという気持ちは変わらない。)

 他の1から4のポイントは、おそらく、「相手がNoと言ったら直せばいい・引き下がればいい」というメンタリティによって発せられている。これは、上品とは言えないが、海外であればよく見受けられることだ。だから、私もできる範囲で対応した。ただ、程度の問題がある。私は一人でメール(発表者27人+キャンセル9人+その他参加者)の対応を無料で行っていた。(途中から根を上げて、共同オーガナイザーの人に少し代わってもらったが。)そのため、私が対人関係に割くリソースを異常に持っていかれてしまい、うんざりすることも珍しくなかった。

 9/18追記:一度この記事を公開してから、そういえばキャンセルした人たちの人数を、私が対応した人の数に入れていなかったなと思って数えてみたら9人もいた。応募者がカジュアルにキャンセルするという現象は、日本国内の学会と、国際的なconferenceとの間で見られる顕著な違いの一つだろうと思う。これはあらかじめ知っていたことだったので、心理的な負担はあまりなかった。とはいえ、打ち返さなければならないメールが多いのは大変だった。
 ちなみに、応募後のキャンセルがよくあるだけでなく、締め切り後の応募もよくある。こちらも数えてみたら5人いた。(どの人もとても丁寧にメールしてきた。)私などは締め切り後に応募を試みるなどということはしたことがない(そもそもそのような発想がなかった)が、これくらい意欲的に活動した方がいいのかもしれない。(皮肉ではなく本当にそう思う。)
 9/24追記:驚くことに、前日になってから体調不良を理由とするキャンセルが1人、無断キャンセル(キャンセルの連絡なしで、会場に全く現れない)が2人もいた。無断キャンセルに関しては、信じられない。abstractの審査およびさまざまなやり取りで、こちらはかなりリソースを削ったのに、なぜこのようなことを平気で行うのか。

 ちなみに、「Zoom開催しないのか」という打診が何件もあったが、これは、国内外問わず生ずる要求であるだろう。おそらく、コロナ禍で学術イベントのオンライン化およびハイブリッド化が当たり前となってしまい、しかも、そのために現場の人間が酷使されている(上品に言うならリソースが必要)ということがあまり認知されていないからであると思われる。(これは余談だが、ハイブリッド開催は現地開催よりも手間がかかるので、もし仮にやるとしても、現地開催の参加費より高い参加費を徴収してもいいすべきだと思う。)

 9/18追記:ハイブリッド開催は、育児や介護など家庭内のケアの仕事に従事している人にとって参加しやすい形態であろうし、地方と首都圏との機会の格差を埋めることにも役立つ。このことを踏まえて、「徴収すべき」という表現を、「徴収してもいい」に改めた。

 対策としては、メールのやり取りをするとき、日本の学会のように、担当者の個人名を出さないということが考えられる。しかし、今回のように有志のオーガナイザー数名で開催する場合には、あまり意味をなさないかもしれない。私個人が行った対策としては、他の共同オーガナイザー(男性2名)の名前を末尾に一緒に書いたり、Ccに他の共同オーガナイザー(男性2名)のメールアドレスを入れるなどして、圧をかけた。それから、すぐに返信をせず、相手を待たせて自分で調べて解決したほうが早いと思わせるようにしたり、そっけない文章で返信したりした。

 9/24追記:メールによるストレスを軽減するためには、多くのことをGoogle Formなどを使って受け付けるのが有効かもしれない。発表の申し込みはもちろん、都立大学の宿泊施設への申し込み、また、以下で述べる入国ビザ申請のために必要な書類を希望する場合、これらすべてGoogle Formでやればもっとずっと楽だっただろう。

日本に入国するためにビザが必要な発表者もいる

 日本が発行するパスポートを有している人にはあまり認識されていないだろうが、海外から日本へ入国するためにビザを必要とする人は一定数いる。ビザ申請のために、運営から、いくつかの書類を発行する必要がある。

  • Invitation letter ないし Notification of Acceptanceの書類(責任者の署名と、大学のレターヘッドも必要)

  • その他、大使館が要求する書類

 ビザ申請のためでなく、学内に研究費を申請するために上記のような書類を要求されることもある。その場合には、署名も大学のレターヘッドもなしのInvitation letter ないし Notification of Acceptanceだけで済むこともある。

 今回は五月雨式に発行してしまったが、一応の期限を設けてGoogle Formなどを使ってまとめて受ければよかった。

参加費などのお金はどう管理するか

 今回のイベントは特殊で、まず、クラウドファンディングで開催資金を準備した。そのため、槇野個人の銀行口座で開催資金を管理し、毎年、サポーターの方々に収支報告を行ってきた。(ここには詳しく書かないが、確定申告も必要だ。)

 クラウドファンディングで一度開催資金を確保できたはいいが、今回のワークショップは、予想よりも規模が大きくなってしまった。また、コロナ禍やヨーロッパのチームとの連携を取るため、開催できたのがクラウドファンディングから4年後となってしまった。そのため、準備期間にかなり資金が減ってしまい、参加費を徴収することにした。

 徴収した参加費は、教育業および執筆業として届出をしている個人事業主としての「槇野沙央理」が管理し、クラウドファンディングの時と同じように、私個人の口座で管理することになる。(だから確定申告が必要ということ。)

 科研費以外の財源でアカデミックなイベントをやりたいと考えている人は、団体名での銀行口座を持った方がいいと思う。ただその場合には、会議録や規約の提出が必要なので、継続的なイベントにする必要がある。

日本のヴィーガン食対応の遅れ

 本来であれば、ドメスティックなイベントであっても、ヴィーガンをはじめとする少数派への食の配慮は行うべきなのであるが、今回は国際イベントであるため、より一層意識的な配慮が必要だった。私が海外の学術イベントに参加したときには、こちらから申請しなくとも、勝手に開催側でヴィーガン対応の料理やお菓子が準備されていることが多々あり、今回もその標準に合わせたかった。

 しかし実際には、日本の、とりわけ外食におけるヴィーガン対応の遅れから、それが難しかった。周知の通り、日本は出汁文化であり、日本食を中心とする居酒屋を選んでしまうと、ヴィーガンの人はほとんど何も食べられなくなる。居酒屋を選べないとすると、懇親会で使いやすい、収容人数の多い店の選択肢はグッと狭まる。

 2020年に東京オリンピックが開催されたときに、これで少しは外国人向けに、ヴィーガンレストランが増えたり、ヴィーガンメニューが充実したりするかと思ったが、ほとんどそんなことはなかったのではないか。私個人の体感の話になってしまうが、大型のスーパーマーケットでは、プラントベースのお菓子や大豆ミートなどを入手しやすくなったが、外食の不便さはさほど変わっていないように思われる。

「アジア系女性」としての立場の弱さ

 海外で開催される学術イベントに参加するときは、否が応でも、自身が、アジア系で、非英語ネイティブで、女性で、そして比較的若い研究者である、ということを自覚せざるを得ない。ただ今回は、自身が主催する側であるため、かなり気楽だ。ただ、メールのやり取りの中で、「相手が私のことを秘書か何かだと思って雑用を押し付けているのではないか」と思われるようなことがあった。哲学のイベントを主催する哲学者としてでなく、誰かの主催するイベントを助ける側の人間であるかのように扱われるのは、私の属性にも(厳密には、私の属性に対する社会的な偏見に)かなりの程度依存しているのではないか。

今後、学術的な国際イベントを開催しようと思う人へ

 個々の問題については、それぞれ現時点でできそうな対処を考えて書いておいた。追加してさらに述べることがあるとすれば、Invited Speakerのジェンダーや人種の多様性に配慮すべきだということだ。イベントを準備し始めた2019年当初、私が計画していたワークショップでは、白人男性(以下、バイナリーな書き方になります)を3人招待する予定だった。今思えば考えなしだったなと反省せざるを得ない。だが、それら男性のヨーロッパのチームと連携が取れなくなり、結果として、自分たちで招待したい方々を一から選び直すことができたのはかえって幸運だった。

 私は、白人男性を招待するなと言いたいのではない。重要なのはイベント全体として(ひいては組織全体として)マイノリティに対する安全性を保つことだ。例えば、女性を大会のシンポジウムの時だけ客寄せパンダのように登壇させるが、ハラスメントに関する規定を有していないとか、女性を司会役として使い、登壇者には全て男性を選ぶといったことは、マイノリティを起用したとしても、イベント全体、組織全体の安全性を高めることにはならない。

 私個人、さまざまなことを勉強しながら自転車操業的にしばしば見切り発車で試験的試みを行っているため、他人に説教するような身分ではない。他の方々のご助言を頂きながら、今後も自分なりにアカデミアにおける安全性について考えていきたい。

ワークショップ開催後の感想

備え付けのラップトップが必要

 海外から来た発表者の方々は、自身でラップトップを持参していたが、なぜか接続がうまくいかず、スクリーンに映し出されないというケースが何度か起きた。また、飛行機の中にラップトップを忘れたので、貸してほしいという依頼もあった。私たちが借りた教室には備え付けのラップトップがなかったので、急遽、オーガナイザーや事務補佐の方が自前の電子端末を貸し出すことになった。基本的に個人が所有する電子端末は個人情報の塊なので、他人に貸し出すという事態はできるだけ避けたい。次回もし国際的なイベントをやることになったら、大学からラップトップの貸し出しを受けるべきだろう。

オーガナイザーをやることのメリットとデメリット

 メリットとして、まず、自身が思い描いていたhappyなイベントができたということが挙げられる。(これはメリットというよりは、満足できたことと言うべきかもしれないが。)私は、海外のconferenceやworkshopに参加して、あの独特のゆったりした雰囲気がとても好きになった。もちろん、知り合いが誰もおらずアウェーな空気で苦しむことも多々ある。しかし、休憩時間がたっぷりあって、coffee break用のテーブルが発表会場の中にあって、緊張感のある発表と、打ち解けた雰囲気のcoffee breakとが交互にある緩急のついたあの空間がとても好きだ。
 だから今回は、参加者の方々に各国からおみやげのお菓子を持ってきてもらって、発表会場の中に専用のテーブルを設けた。タイムテーブルでは、ランチの時間を80分にし、発表が2コマ終わるごとに必ずcoffee breakを10分入れた。これはとても好評だったし、お菓子を使った国際交流にもなったので、私としても嬉しかった。費用対効果がとても高いので、日本の学会もやるべきだと思う。

 上記とは別にメリットらしいメリットを挙げるとすれば、海外のconferenceへの招待を受けたことだ。まだ話は進んでいないが、これはとてもありがたい。また、国内の研究会で話さないかという打診もあった。こちらもまだ何も詳しいことは決まっていないが、イベントを通して次の研究の可能性が生じるのは、研究者として業績を出すことにつながるので良いことだ。

 他方デメリットは、せっかくウィトゲンシュタインのワークショップを開催したのに、発表をほとんど集中して聞くことができなかったことだ。自身が司会を務めると、タイムキーパーをやることになるので、ソワソワして内容に集中できない。
司会をやるのでなければもう少し落ち着いて聞くことができたが、満身創痍なので、話が頭に入ってこない。当然ながら、私を含むオーガナイザー3名も事務補佐をしてくれた2名の方々も、校務や仕事やその他諸々の研究活動で忙しい。私に関しては、イベント数日前からろくに寝ておらず、イベント中は早く来て遅く帰り(なぜなら会場の準備・片付け・懇親会があるから)、ホテルに帰ってからも授業準備をしていたので、一週間ほど十分に睡眠時間を確保することができなかった。さらに当日は、さまざまなトラブル(無断キャンセル、ラップトップの貸し出し対応、司会の代替など)が頻発するので気が抜けないし、当日参加費を支払う人たちがいたのでお金の管理に気を使う。こんな状態で英語のプレゼンテーションに集中することなどできはしない!! このように、私は、自分が一番参加したかったイベントを開催することができたのに、私自身は、その恩恵に十分にはあずかれなかった。こんな悲しいことがあるだろうか?

投げ銭のお願い

 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。今回のワークショップ開催のために5年も準備しましたが、私がオーガナイザーとしてファンドから受ける人件費は、3万円のみです。(他のオーガナイザーも事務補佐も同様です。)もしこの記事を気に入ってくれた方がいましたら、以下のボタンから500円の投げ銭をお願いします。もう少し寄付してもいいよという方がいましたら、自分で金額を設定できる投げ銭もあるようなので、ぜひお願いします。

ここから先は

49字

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?