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子孫存続に基づく社会のあり方 ー 遺伝子学の話

ある日私の父がこう言った。「自然界の動物は、メスよりオスの方が美しい」と。

確かに鳥はオスの方がカラフルだ。ライオンだってオスは髪がフサフサして立派だ。人間も鍛えれば男性の方が肉体美になる。これは遺伝子(本能)が、より良い個体を残そうとするためだろう。オスの方が種を蒔く機会は多いから、より異性にアピールする必要がある。女性が結婚するかしないかの決めてとして、「この人の遺伝子を残したいか」がある位だ。

もちろん女性とて選ばれる立場にはあるのだが、人間以外の動物と人間では若干異なる気がする。特に寿命が長く一夫一妻制の日本では、「生涯を共にする」という生活面の部分が大きい。かつて女性が結婚相手に求めるものとして3高(高学歴・高身長・高収入)があったが、今はYSK(優しさ・自然体・価値観)だなんて言われている。

人は自分と遠い遺伝子に惹かれると言う。年頃の女の子が父親を嫌うのも、「近い遺伝子を掛け合わせると危険」との本能らしい。確かに犬でも近い個体同士の交配で、弱い子犬が生まれる。16〜18世紀に「日の沈まぬ帝国」としてヨーロッパに君臨したスペイン・ハプスブルク家も、度重なる近親婚により僅か5代で途絶えている。

重い障害を持って生まれた子を不要とか価値がないと思う人もいるが、これも違う。「世の中には色々な人が存在すること」「当たり前に出来ることが、実は有り難いこと」。そういった物事を知らせる役割がある。

近年話題になっている発達障害(自閉症)だってそうだ。アインシュタインや織田信長など、歴史を作ってきた人達にそういう人は意外と多い。もちろん負の部分も作り出したが、それは障害あるなしに関わらず歴史上の人物なら少なからずある。と言うか人間生きてる以上、程度の差はあれ何か(他人や生物や自然)を犠牲には生きられない。

話を元に戻そう。例えば「優れた遺伝子だけを残す・大事にする」とどうなるか。仮に出来たとして、多様性のない社会になるだろう。そしてその中でも優劣は出来る。知人の配偶者の親族の話になるが、何と第二次世界大戦中「優秀過ぎるから兵役が免除された(失うのは勿体ない)」人がいるらしい。でもね世の中の皆が「天才」とか「美人」だったら、そもそもそんな言葉存在しないんだよ。戦後の共産主義によるものではない「日本1億総中流」は、崩壊してしまったが理想的だった。貧富の差があれば国力は当然落ちる。それは長い目で見てもデメリットだ。そして一度下流に落ちれば戻ることは難しい。

「様々な人がいて、社会を構築している」

陳腐だが、これが大事だし本来あるべき姿なのだ。多様性により社会的許容範囲も増えるし、生み出されるものだってあるはずだ。今は多様化だが二極化、人口爆発によるアンバランスや環境破壊が問題になっている。(しかしそれには、生活の質が向上し人々が幸せになったことを起点にする矛盾を抱えている)

友人が言っていた。「たまに世界的に流行る疫病は、人口増加を抑えるためじゃないか」と。確かに黒死病やスペイン風邪など、歴史を振り返ればそれは何度か発生している。それは貧富の差や優秀さに関係なく、誰でも感染する恐れがある。しかし近年頻発に起こる、地球温暖化による災害。あれは発展途上国に多く見られる。今まで恩恵を受けていなかった国が支払う代償は、あまりにも不公平ではないか。富の平等は非常に難しく、地政学的観点や社会システムや時代なども関係する。もちろん優れている方が有利なのだが、必ずしも幸せになれる訳ではない。やるせない気持ちになりながら、他人よりも自分の幸せを求めるのが人である。

冒頭の「生物は本能的に良い遺伝子を求める」のも、ここに起因する。女性が結婚相手に求める条件としてYSKを挙げたが、バブル崩壊後には3平 (平均的な収入/容姿/平穏な性格) の言葉が生まれた。しかしそれより前に提唱された3高の方が、結婚率が高いのも事実で社会的成功を収めやすいのだろう。やはり人は、本能として先ず自分が幸せであろうとする。そのためにより美しさを、賢さを、力を、富を。そしてそれが結果として、社会や世界的規模の不平等を起こすのだ。

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