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相手との合意と自己納得と社会の仕組みから考える「きちんとする」ということ

「きちんとしなくては」と、生きている中で一度は思ったことはないだろうか。どういう時に思ったかは一旦置いといて、つくづく

漠然とした言葉だ

と私は思う。それは人によって意味合いが違うからだ。多分「人並みに生きる」「やるべきことはやる」のような意味で使っているのだろうが、例えばお迎え間近のご老人に「自分のことは自分でして下さい」と言っても、それは無理な話だろう。

バリバリ働いていたとしても、同じことが言える。例えばその人が家庭を持っていたとしよう。お金は稼ぐけど家のことは配偶者任せ。相手との合意の上そうなってたら良いのだが、違えば「きちんとしてる」とは言いにくい。実際に家事育児をしているかではなく、そういった話し合いの元で現実的な問題解決が出来ているかがポイントなのだ。

「結婚しない」という選択肢もそうだ。何十年か前、男性は結婚して一人前だとか社会的信用度が増すなんて考えがあった。もっと前に遡ると、女性は早くに結婚するのが当然で子どもが産まれないと離縁された。未婚者に今そのような話を真面目にしても、一笑されるだけかもしれない。本人が「私は結婚しない」と自己納得していれば良い。

これだけ未婚者が増えれば、高齢になった時に誰が面倒を見るんだという問題もあるだろう。賃貸でも高齢の借り主がいつの間にか亡くなって、以降そういう人には貸さないなんてことが起きる。日本は未だに「保証人制度」が根付いているが、今の社会にすら既に合っていない。将来それに変わるもの、例えば代行サービスが主流でも何ら不自然ではない。

個人の日常生活レベルの話で、「時間はきちんと守る」「出したものは片付ける」などは出来る。しかし上記に述べたように「きちんとする」とは非常に曖昧な言葉だと思う。もしかして真に必要なのは、それをもっと具体的に説明する語彙力とプロセス、社会の仕組みなのかもしれない。

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