泣き顔

承認欲求


SNSの存在が生まれた時から
承認欲求の欲望を表現しやすい世界に。
溢れ出る承認欲求の矛先はどこに行くのか。

承認欲求が足りていない様子が
ピーチクパーチクと聞こえてくることが多くて。

某飲食店での問題行動をネットへUPすることを筆頭に、
承認欲求を大人も子供も求めてやまない人間が
増えたのか、明るみになったのか。

「自分の成果」を表現することは難しい。
「○○をがんばりました」では、実質何も伝わらない。
「△△さんよりも、私のほうが多く仕事をしたので頑張りました」は
よくある方法だけど、
比較対象によってはマイナスに受け取ることも。

「以前できなかった□□を○回練習をして、アドバイスを頂きながら、
○カ月でできるようになりました。」が正しい。
数字で誰が見てもわかるし、簡潔、端的。
けど承認欲求が顔を出すと、

「あれもして、こうもして、時間が無い中も練習して、
時には辛いこともあったし、心折れそうになりましたが、
ここで諦めたらいけないと思って、努力しました。」

長い、うざい、稚拙、自己中心的。

でもそういう内容が、
よく耳にするこの頃。
苦しいなあ。

話をしたいと思う人、
気持ちがいい人って何だろう。

聞いたことに対して、簡潔に答える。
ポジティブな言葉使い。
基本は感謝の言葉でできている。
軸がぶれない。
言葉できちんと表現できる人。
遠く未来を見ている人。
などなど。

そう思うと、私が好きな方々がほとんどこう。
多くを語らずとも、
周りから頑張ってるとか、すごいとか、
自然に思われる人になることが理想。

日々精進。

承認欲求が満たされない背景を考える。
昔に比べて並大抵のことじゃ認められなくなったんだろうね。
もっと勉強しなさい。もっといい成績を。もっと・・・。

さらに褒められることも、褒めてくれる人も減ってしまった。
大抵のことはみんなできる世界になって、
ぶっとんでるくらいじゃないと、
特異なことをしていないと、
誰にも見てもらえないと錯覚しやすいからだろうなあ。

だからって、何をしてもいいってわけじゃないけども。
できることは子供を褒めてあげること。
そして他人の批評の中で生きるのをやめろとは言わないから、
自分が納得して、満足して行うことを、
毎日積み重ねたら、
人からの批評は関係なくなる。
人生は変わる。

それが難しいんだけどね。

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