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少女漫画症候群

一人っ子であった私は、親から本を与えられて育った。童話、昔話、少年探偵団シリーズなど読みまくっていた。

だが、少女漫画デビューはわりと遅く、小学校5年くらいであった。これはうちの親がわりと保守的で、「そんな色気づいて」と叱られそうだったから自重していたのもある。

低学年のときは、小学館の「小学○年生」シリーズで満足できていたのだが、学年が進むにつれ物足りなくなってくる。

学校では「りぼん」「なかよし」の雑誌を買う同級生が多くて、私も買って!と何度も親に交渉したが、
そんな浮かれた雑誌はだめだ」と言われてまた「小学○年生」へと戻る、ということをくりかえしていた。

そんなこんなで、やっと許可がおりたのは最初のお願いから3年後であった。

当時少女たちがこぞって熱意を燃やした「全プレ」(全員プレゼント)に応募したい、と私の鬼のような迫力に押されたのか、「まあ、となりのエミちゃんも持ってるらしいからな」と父がやっとOKしてくれた。

はじめて小銭をつかんで書店に買いにいったときのあの興奮たるや!

雑誌の新しい紙の匂い、ずっしりと手に沈む重さ、おつりをくれたおばちゃんの笑顔、書店のスタンプの押されたうすい紙袋をまだ私は鮮明に覚えている。

さて、そこまでして勝ち得た「少女漫画を読める権利」に私はしばらく夢中だった。

「ときめきトゥナイト」「月の夜星の朝」「有閑倶楽部」などなど、新しい世界観がそこに広がっており、勉強そっちのけで没頭した。

ここで、私の思い込みの激しさと漫画の世界が強く結び付いてしまったのである。

当時の少女漫画は恋愛物が主軸で、主人公たちは中学生~高校1.2年の設定が多かった。

授業がおわると、いきつけの喫茶店に友人(なぜかだいたい三人組)と入り、恋の進捗状況を話す。時にはその喫茶店のマスターも恋のアドバイスや仲立ちをしてくれる。

主人公はだいたい「可愛いが奥手」。いつも右手を胸に当てて顔を赤らめている。脳内会話多め。
(そして廊下に隠れて、いつも意中の彼を見つめている)

友だちAは成績がよくサバサバしており、主人公がテスト前に彼のことで勉強が手につかなくなるとささっとノートを貸してくれる。
友だちBは、主人公と真逆で男女交際に進んでいて、男事情に強い。彼氏がいる場合もある。だいたいこの子が仕掛けをして主人公の背中を押す役目だ。

アホな私は、中学にはいると自動的にこういうシチュエーションが手にはいると信じて疑わなかった。

私が誰かをスキ、と思えばささっとそれを関知して、私がもの言わずとも友人Bが偶然を装って彼の目の前に「ほら、行きな」と押し出してくれる。テスト対策は友人Aが器用にやってくれると。

アホすぎる。

田舎の中学の通学路にはカフェなんぞない。あって自販機だ。
もちろん、傷心の私に「おごりです」とココアを出してくれるマスターもいない。
(当たり前だ。通学路にある喫茶店で傷心の少女たちにその都度おごっていたら、たちまち店はつぶれてしまう)

友人はいたが、AタイプもBタイプもいない。私の秘めた想いを敏感に感じとり、「ピリカ、○くんがスキなんでしょ。あたしが一肌ぬいであげる」なんて言ってもくれない。

中学生とて忙しい。
自分のことで精一杯である。
もちろんノートは自分でとらないと誰も貸してはくれないのであった。

これは、かなりのショックであった。部活=先輩と付き合える、だった私。
お前何年の何組だろ。いつも廊下で見ていたよ
なんて切れ長の目で熱く見つめてくれる男子の先輩がもちろんいるわけもなく、体育系ばりに厳しい吹奏楽部で、女子の先輩から睨まれながらわりとヒリヒリと過ごした。

げ、現実ってシビアだ!

ようやっと私が少女漫画の幻想から抜け出せたのは高校にはいってからだった。

顔を赤らめて、胸に手をあててるだけじゃ想いは伝わらないし、周囲はそんなに私の気持ちを察してはくれない。
私の世話をするために存在している「脇役」なんていないのだと。

まったく当たり前の話だが、ずいぶんと幻想に酔っていた時代が長かったなあと思う。

 以前に比べると、子供たちが日々読み、見ているものはわりと過激な表現も多い気がする。それぞれで、良くも悪くもまた違う影響があるだろう。

感じやすい子供たちの心に、いまのメディアはどういう幻想を見せるのだろうか。

いや、そもそも幻想なんてもう抱かないのかもしれないな。



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