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沖縄

小雪の舞う鳥取を離れ、沖縄へ4日間行ってきた。初めて自分なりに目を開いてみた沖縄本島と自分の知っているつもりだった沖縄との違いが大きくて、帰ってきてからもずっと沖縄のことを考えている。「めっちゃアメリカじゃん。」これが、率直な沖縄本島の印象だった。
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沖縄本島に来たのは、今回が2度目だ。6年ほど前に友人たちと那覇マラソンに来たときに、言われてみればソーキそばを食べる店にドル表記があった気もするし、基地のようなだだっ広い場所を通過した気もするが、その程度だ。みんなでワイワイ楽しく南の島へ行って人生初のフルマラソンを走った。私の記憶はそのように固まっている。
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私の沖縄滞在は12月の12〜15日。その途中の14日に、名護市の辺野古の沿岸に土砂が投入された。正直、辺野古についても「なにやら大変みたいだな」くらいにしか把握しておらず、沖縄に行くにあたってほんの少し沖縄の貧困や基地問題、歴史を齧った。滞在中、せっかくだから地方紙を読もうと思い、琉球新報を買った。そんな中ネット速報で入ってきた「辺野古土砂投入、強行」の文字に、さすがにざわざわする。すごいタイミングで沖縄に来てしまった。これは大変なことになるのではないか。そう思って、途中から琉球新報だけでなく沖縄タイムスも合わせて買う。
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そんなざわざわを抱える中でも、那覇の国際通りを歩いていると、なんてことはない普通の観光地でみんな普通に過ごしている。観光客はもちろん、お店にいる沖縄の人もだ。
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「あれ、沖縄にいても、人ごとなんだ」
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今回の沖縄で一番驚いたことだ。きっと、辺野古周辺では以前ネットの映像で見たような押し問答や暴動が今まさに行われているのだろう。それでも、ここではイメージどおりの沖縄のゆるりとした空気が流れている。そりゃあ、本土にいたら、よほど人ごとになってしまうよな。その違和感と気持ちの悪さに、いてもたってもいられなくなった。別に、だからどうってまだ言えるほどの知識もないけど、知らないことってなんだか恐ろしいなと思った。
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構造的差別という言葉を最近知った。これは差別者が差別しているという認識が全くないのが特徴で、それ故に解消するのが困難であるそうだ。沖縄に米軍基地を過剰に負担させることで今私たちの安寧は守られているので、全ての本土人が沖縄を「構造的に」差別している。これは、「青山に、児童相談所は風気に合わないから反対」と平気で言ってしまうのと似ていると思う。私が8年間通った青山。うちは母子家庭で決して私は裕福な家の育ちではないが、昔の私だったら同調してしまっていたかもしれない。自分が普通だと思っていた暮らしはよっぽど恵まれているのだと、看護師になって東京の東側の野戦病院のような病院で働いて初めてリアルに感じた。自分の目に見えないこと、見ないようにしているものを可視化させられることに対して、人は反感を持ってしまうようだ。だから、排除する。構造的差別のできあがりだ。
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いうても仕方ないよな、とも思う。口先でいくらなんと言おうとはっきりいって人ごとなのだ。でも、なぜだか最近私の身近に沖縄に関わる人が多く、その人たちの口から語られる沖縄を聞いていると、もう少しちゃんと沖縄のことを意識的に見たいと思った。実際に自分が沖縄の色々な場所に足を運んだことで、ニュースに流れてくる町がイメージを持ってわかるようになった。宜野湾ではゴーーという強烈な飛行機の音が平気で会話を遮ってきて、噂に聞いていた騒音とはこれかと思った。そんなことを考えながらも、実際は目の前にいる家の猫の避妊手術の方が私にとってはよっぽどジブンゴトなのも事実だ。なんだかなあと思いながらも、それでも私はこれから沖縄という場所をもうちょっと気にしてみようと思う。いいタイミングで沖縄へ行った。