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みんなの子ども

別々のものだと思っていたことが、実は繋がっていた。

先日、縁側プレイバック・シアターなるイベントを行った。コミュニティナースという3ヶ月前から取り組んでいる研修の最終プレゼンを目前に控えていながらのイベント企画。正直、キャパオーバーでいっぱいいっぱいになっていた。イベント企画はチャレンジしたいと思っていたが、何も今じゃなくても…と後悔さえしていた。

告知から、集客から、前日案内から、会場準備、当日運営まで。心強い仲間に助けてもらいながら、なんとか無事にイベントを終え、清々しい達成感を感じながら、さあコミュニティナースの課題に取り組もうと思ったとき。ふと気付いた。あれ、これって私がまさに作りたかった場づくりだったのではないかしらと。私は、「母と子のための場」ではなくて、「母も子も独身の人も高齢者もみんなが共存できる場」を作りたいと思っている。当日は、13名の参加者と10ヶ月の赤ちゃんがいた。男性4名、女性9名。私の知人もいれば、SNSで見て興味を持ってくれたという初めてお会いする方も数名。高齢者こそいなかったが、職業も年齢もバラバラの多様な人だった。

赤ちゃんの参加可否について、告知文には明記しなかった。正直、共存できるのかよくわからなかったからだ。赤ちゃん連れでも良ければ参加したい、という方がおられ、プレイバック・シアターのコンダクター(案内役)かっくんに尋ねると、快諾。赤ちゃんも参加の運びとなった。

このかっくん、赤ちゃんへのスポットライトの当て方がとても上手なのだ。赤ちゃんはもちろん3時間大人しく座ってなんかいない。よちよち歩いて行っては、そこいらのものをガジガジ噛む。普通だと「ダメよ」と牽制しがちな場面でも、かっくんはそれをその子の個性として、今この子はこんなことしています、と紹介する。それを受けて、参加者達も赤ちゃんが自分のところへ来たらスッと自然と抱っこする空気になっていった。会が終わった後にお母さんと話していたら、「あー、ダメ!と思ったところで、かっくんがすかさず「大丈夫ですよ」と声をかけてくれてとても安心できた」と言っていた。お母さんと赤ちゃんが他の大人と共存できる場は、環境さえ整えれば、作れるのだと改めて思った。あの場では、あの赤ちゃんは「みんなの子ども」だった。

もうひとつ、嬉しかったこと。イベント終了後にお茶をしながら、実は私は助産師で…と話したら、結婚したばかりでまだ子どもがいない女性の参加者に、「ちょうど助産師さんとどうやって繋がったらいいのか?と思っていたところだったので嬉しいです」と言われた。あれ、これってコミュニティナースっぽいじゃないか。意識の高い人が集まる「助産師の○○講座」ではなく、そこいらへんにふらっといる助産師。自分が興味ある何気ない場に、助産師がいること。未婚や子どもがいない女性にとって、赤ちゃんと接する機会は新鮮な体験になる。抱っこひとつオムツ交換ひとつ、お母さんにとっては毎日のルーティーンでも、子どものいない人にとっては付加価値のある貴重な体験になり得る。そういう機会を作りたいと思っていた。

他にも、はるばる京丹後から参加した子どもが3人いるお母さんは、子どもがいてなかなか自由に動けないから、今度は自分の住む地域でプレイバック・シアターを開催したいと、場を作る側への意欲が湧いていた。心地の良い場は、良い空気が循環して、良いつながりを作っていく。

なにより、このイベントは私自身がとても楽しかったのだ。お母さんのためのサロンをやっていたときもあったが、独身の私にとって母と子だけのための場は、正直少しアウェイだ。楽しいは楽しいのだけど、どうしても仕事モードになってしまう。意義があるからやるというスタンスでは、長くは続かない。楽しい、から始まったこのイベントが、期せずして色々な発見を生み出した。このタイミングじゃなかったかな、と思っていたが、このタイミングで良かったし、タイミングを待っていたらいつまでたっても「やる側」にはまわれなかった。ひいこら言いながらも、動き出してよかった。

プレイバック・シアターのワークにもあったまずは一歩踏み出してから考えるということ。その一歩が怖くて重たいけど、出してしまえば、そこから何かが動き出していく。そして、一人でやらずに、自分に足りないところは誰かと補完し合えばいい。

今度は、高齢者のじいちゃんばあちゃんに、保存食作りとか、畑仕事とか、庭の剪定の仕方とか、魚の捌き方とかを教えて欲しい。高齢者と赤ちゃんの融合の場もできたらいい。そのために、地域の人をもっと知りたいし、私のことも知って欲しい。書を捨てよ、町へ出よう。そして、町の人のつぶやきを拾おう。

これから、コミュニティナースの最終プレゼン。言語化したらとっちらかった考えが、少しまとまるかなと思ってこの文章を書いた。プレゼンは本当に苦手。でも、この3ヶ月あれこれ模索しながらよく考えたしよく動いた。それを伝えてこよう。卒業式ではなく、出発式。ここからが、はじまり。