子どもの遊びに付き合うというあそび
妊娠中、指が浮腫んで外していた結婚指輪を久しぶりにつけた。はめない状態に慣れていたため、授乳の度に、慣れつつある赤児の首を支える手つきの中でごろつき、違和感を感じる。これを当たり前につけていた頃は、まだこの子はこの世にいなくて、今と全然違う生活をしていたのだなと感慨深く思う。
赤ちゃん返りでオムツに逆戻りしていた3歳の上の子だが、ここ数日パンツに戻したところ、少しパンツに漏れるもののちゃんと「おしっこ出た」と言えて嬉しく思っていた。しかし、今日夫が仕事中に、私は赤児に授乳をしながら上の子を中庭で1人でシャボン玉で遊ばせていたところ、ジャーッと豪快な音が聞こえてきた。シャボン玉液をこぼしたか?と窓から覗くと、子どもの股下に水溜りができている。慌ててパンツを替えるも、授乳を再開したらまたジャーッ。その後、2回も続けて短時間で4回もおもらしをした。驚いて「どうしたの?」と聞くも、ニコニコ笑って答えない。どれだけおしっこ出るんだ…と呆れる気持ちと、最近はパンツに漏らしても途中で止めてオマルまで我慢できたのに、なぜ?という混乱でぐるぐる考える。ふと、もしかして中庭ならば怒られない(困らせない)と思って気を引くためにわざとやっているのか?と思いあたり、いじらしくて涙が出そうになった。
最近、赤児に授乳をしながら上の子の遊びに付き合うことが増えた。お気に入りの猫の24ピースのパズルを好んで、1日10回くらい繰り返しやっているのだが、回を重ねるごとに、明らかに子どもが進化していることに気づく。行き詰まっていたところが、少し助言すると次はサッとできるようになっている。1ピースはめるごとにドヤ顔でこちらを見るので、こちらもニコッと返さないといけないのだが、何の助言もなく1人で完成させた時には感動してしまった。授乳中は他のことができないので、仕方なく付き合っていたつもりだったが、腰を据えて眺めていないとこの過程は見過ごしていたなと思う。何度も同じパズルをやって一体何が面白いのかと、前は声かけられても適当に流してしまっていたように思うが、試行錯誤の過程と小さな成長は、ながら育児では平気でスルーしてしまうなあと痛感した。
上の子とお風呂に入って肩まで浸かって、手の指を使いながら10まで一緒に数えるのも面白い。「いーち、にーい、さーん、ごー!」と必ず4を飛ばしていたのが、最近は、4はまだ言えないけど5ではなかったな…という面持ちで、3のあとは私の「しーい」の声に少し遅れて小さな声で「しーい」とつづき、自信満々で「ごー!!」と叫ぶ。4が言えなかったことなんて、スラスラ言えるようになったらすっかり忘れてしまうのだろう。
私の自由な時間がちっともない。そう思ってやるせなくなる時もあるのだが、今までぼとぼととこぼれ落ちていた大切なものを丁寧に拾えている瞬間もあるはずだ。気を抜くとすべてをタスク化しそうになるが、赤児のおかげでできた上の子との時間も、噛み締めていきたい。