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ストレスの正体


あやさんのセミナーを聴いた

昨日「あやさん」のセミナーに参加しました。
あやさんのことは最近インスタで知って、花粉症についてインスタでアーカイブされてる内容が「すごい!」と思って、一方的にフォローしていました。(私も食事頑張っても花粉症治らんかった。中学の頃から箱ティッシュ手放せなかった私が、心のことを学び始めてからめちゃ軽くなった!←来年は症状ゼロになる予定〜笑)

セミナーのテーマは「夏目流 気楽な人生の創り方」。
「わー!氣になる〜!」と思った方、まだアーカイブ間に合いますよ♥︎→こちら

「人はストレスがないと生きていけない」

セミナーでは、氣楽に生きていくためのマインドセットや、この世界の法則、具体的にやった事などのお話しをしてくれました。
そんなお話しの中で、あやさんが放った「人はストレスがないと生きていけない」という言葉が、私の中ですごく引っかかりました。
聴いていたときは「ん?どういうこと!?」ってなっていたのですが、今朝目が覚めたら私の中で色んなところが繋がって「あー!そうだったのかぁ!」と大きな氣付きを得ることができました。

私はストレスをなくそうと思って生きていた

私はずっと、ストレスは身体に炎症を起こしてしまうし、良くないものだ!「ストレス=悪」だと思っていました。
だから、食べたいと思ったら食べる、言いたいことは言う、嫌だなと思うことはやらない、小さな違和感を無視しない、など、自分にとって心地いいを意識して生活していました。
心地いいを優先するって素敵だと思うのですが、私の中に「ストレスが悪だから、それを減らすために、心地よいを優先する」って前提があったことに氣付いたんです。
「自分が心地いいから、そうしたい」ってシンプルな素直な氣持ちだけじゃなかったんです。

今朝、起きて鏡を見たら吹き出物ができていて「あ、なんかのストレスかも!」って思った瞬間、自分の中のストレスに対するジャッジに氣付いて、昨日の話しがバーっと繋がったのでした。

ストレスの正体

じゃぁ「人はストレスがないと生きていけない」っていうのは、どういうことでしょうか?
ストレスを言い換えてみたら、わかりやすくなるかな?
ストレス = 欲 = 自我 = 分離
↑これ、ぜんぶ同じ意味だったんです!

欲=やってみたい!こうなりたい!
自我=私はこれがいい!
分離=不足感、疎外感、ジャッジ

魂の心からの欲 = 生きる目的 = 巷で言われる「天命」とか「魂のミッション」みたいなものか。
ストレス = 生きる目的だったんだぁ。

天命とか言われると、何だか大袈裟なものに感じるけれど、欲ってコトね。ほんとシンプル。
今まで学んできた中で「不足感こそ人生のテーマになるの」とか「足りないと思うからこそ、気が付いたらそこが尖ってるの」って言葉を聴いてきたけど、全部同じコト言ってるんだな。

そう氣付いたら「人はストレスがないと生きていけない」って言葉も「うん。そうだよね。」って素直に頷けるなぁ。
そりゃぁ、目的がないとつまんないし、生きていく意味がないってことになるもんね。

今からストレスを受け入れることに決めた!

ストレスを悪として排除しようとしていた私。「生きる目的」を排除しようとしていたなんて、今までなんて事をしていたんだ(笑)
今からは喜んで受け入れよう。感謝して受け入れよう。ほんと、陰も陽もあるから生きていける。この世界には必要なものしか存在していない。すべて完璧なんだ。

ただ、ストレスを溜め込む必要はないいんだと思う。
ストレスに氣付いたら、まずはそれを認めて受け入れて「じゃぁどうする?」って自分で決めて、不要なものだったらすぐにリリースすればいいんだな。
軽やかに生きているひとは、それが0.1秒とかで出来ちゃうような超スピーディーなのかな?もしくは、視座が高いから小さいストレスは観測できないとかね。

まだまだ知らないことだらけ〜!この世界っておもしろい!


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